2008年07月31日

only lonely

7月も終わる。あと今年も5ヶ月だ、まだ今年を振り返る事は無いけど前半でもいろいろロクデナシには普通じゃない出来事のカルマ(業)がプリセットされてる気がする。その数々はこのロクデナシブログに綴ってるけど、そのカルマがあるからこのブログも成り立ってる気もするよ。俺は産まれた事がハプニングと言うのも今年分かった、それは長い間夫婦で頑張って待望の子供や、計画的に何年かおいて作られた子供ではなく、俺が出来てしまったから両親は結婚した。今ではよくある事なんだろうけど、そのあとが良くない。結婚はしたものの俺が産まれて一年も持たない結婚生活というのも分かった。そして俺は大人の事情に振り回される人生が始まった、、、。俺にはどうする事も出来ない過去の事実、そうだいつだって子供は親の大人の事情に従うしか無いのだ。そこで幸せになって行く人も多いんだろうけど、俺の場合振り返ってみると、今の状況を考えるとこのざま

だ。常に感じてた”孤独感”というのは言葉では説明出来ないけど、その分ROCKや音楽やギターに対する異常なほどの固執が今の俺を作り出したし仕事にもなってる。その瞬間は自由になれたし世界と繋がってた。

そんな孤独感が俺に知恵をつけた。独りぼっちでも寂しくない方法もマスターした、それは二十歳で家出してから益々孤独感と言うより自由になれた感の方が嬉しかった。いろんな人の普通の優しさもやっと分かったし、駆け引きの無い日常を求めて来た。この世の中に桃源郷やガンダーラも無いんだと言う事も分かったし、それはそれぞれの心に存在するものだと思う。

最近のTVでの凄惨な事件も幸せそうにでっぷり太った評論家や本の宣伝に出演してるコメンテーターが孤独感や疎外感や社会との繋がりとか、現代社会とか言ってるけど。誰にだって孤独感や挫折はあると思う、逆に事件を起こす若者たちもそんな報道に自分の居場所を正当化してる気がする。人は産まれて来る時も誰かと一緒に産まれる訳ではない、母親が十月十日栄養を与えてくれて、一人で産まれて来る。死んで行く時もどんな大家族の一員であろうとも一人で息を引き取る。それがこの世に産まれて来た人という間の人間だ。そう自分と言う個人を日々いろんな意味を持って生きて行かないといけないと思う、産まれて来た以上は。

やっとで約20曲のイメージが出来上がって来た。一人でスタジオに5時間籠ったり、COCKPITに籠ったりして自分なりの曲のアプローチや落としどころなんかのイメージが出

来て来た。凄く孤独な作業だけど、自分との戦いだけど、やれると信じて余裕を持ってるもう一人の自信家の自分がクールにいる。いろんな事に無理して挑戦する年でもなくなったけど、この夏が終わる頃にはいろんな事が成長した俺が居ると思う。いろんな今後の人生の指南や自分がやるべき事が見えると確信した。

only lonely01.jpg今年の夏のセットアップ!昨日は5時間スタジオに籠った、今日も5時間は籠る予定で、その後よるは3時間別のスタジオで初の石田亜紀子のリハがあるよ。

人間は孤独だから知恵が湧くんだと思う。
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2008年07月28日

夏は夜。

月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一 つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも をかし。雨など降るも をかし。、、、枕草子の夏の下りだ。平安時代中期の女流作家清少納言のもので、俺はなぜか大好きなんだけど。中学生の時に丸暗記させられたのがきっかけで、凄く日本的な美を季節で表現してる。各季節のピーク時によく思い出す、何でだろう?夏はこの句を頭に浮かべると少し涼しい気分になり夏も良いもんだ、とか思ったりするし。春は曙、、、の句が一番好きだけど、日本人としてのDNAがその季節のその時間帯の良さを思い浮かべる。、、、そんな時は決まって俺はそれをあえて求めて思い出す気がする、それは心に余裕や安堵がない証拠だ。心穏やかな時はそんな事よりも現実の方が楽しいしビール飲みてぇ〜!とか思うはずだ。妙にセンチになったり心の内側へ向かってしまう時は余裕や安堵が心から欠落してる時だと長年自分と付き合ってると分かる。

7月も終わりになった。今年はここ数年来ないくらいの忙しさで、それは時間的にも心の

余裕的にもだ。20曲近くバックで演奏しないといけない。バックは自由度が少なくサイズも決まってキメもバッチリ決めなければならない。アドリブが許される部分もあるけど、何かと気を使うので仕事でもやりたくないくらいだ。けどそんな中でも常に自分を出さなければ、と心がけてるよ。俺が弾かなければこんな演奏にはならないんだと言う個性も出しつつその曲になじませる。ジャンルもいろいろだ、ROCKからPOPにGOSPEL,FUNKにR&B、といろんな音を出さないといけないけど、極力自分の音で対応してる。それが個性だと思うし、そんな枠にはめるイメージが出来上がると結構楽になって来る。最初はいつまでに何曲憶えて音作りしないといけないと思うと焦ったり逆にやる気が起こらないけど、じょじょに本番に向けて実音と心とイメージの準備が出来上がると楽になる。でも逆に言えばそんな経験が自分の活動や生き方の源になってる事も分かる。

しらけて冷めた毎日を過ごすより幸せだ。

夏は夜01.jpg食欲が無い暑い日は逆にこんなのが良いよ!冷たい物で胃が弱ってるから。

夏は夜02.jpgいつも通る路地裏の夏景色。

夏は夜03.jpgまず外に出ると必ず空を見上げる、と季節を認識出来て目が覚める。

今年は特に暑いので頑張らずに頑張ろうぜ!
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2008年07月23日

今月のアルバム 2008,,,Jul

昨日は二十四節気の大暑と言う日だそうだ。暑いはずだと言うか、今年は暑すぎる。ここ福岡では20日以上の真夏日が続き、毎晩25度以下になる事は無い。クーラーのタイマーが切れては目が覚め、またタイマーいれて寝て、また切れて目が覚める日が続く。これが夏バテの原因になるし、水分も俺は普段でも沢山取る方だけどその倍は毎日取ってるので、必然的に食欲も無くなる。特に昼間は全然食欲がなく、コンビニのサンドウィッチだけでもやっとなくらいだ。けど今年の夏は心がざわついてる、忙しいのが原因だけど、一つのイメージで忙しいのは耐えられるけど、いろんなシチュエーションが心に点在する忙しさなので、それぞれの場面転換をイメージでしないといけないので落ち着かないのが心がざわついてる原因でもある。前にも書いたけど俺はイメージ出来ない事は出来ないし演奏にも支障を来す。要するにこなす事が出来ないのだ。どんな演奏でも自分を出したいと言うか、逆にそのイメージが結果的に自分のイメージに繋がってると言うか。どんな曲やどんな場所でメンバーやジャンルが変わっても俺と言うイメージを探してる。ざわついてる原因がもう一つある、それは母親の事だ。手紙は多分届いてると思う、その事も色々考える。またそれはMARCOシリーズで。

今月のアルバムを忘れてた。いつもはその月の最初の方で書いてるけど、忙しさで忘れてた。そんな今月のアルバムは、高校生の時にリアルタイムで聴いてたアルバムで思い入れも多い。

jacket_m.jpg

ROLL OVER TOUR TOKYO / HOUND DOG

これはHOUND DOGが「フォルテシモ」で売れる前の1982年の作品だ。荒削りだけどROCK'n ROLLナンバーと上質のバラードが聞けるよ、正直当時のスタジオ盤は物足りなかった。名曲も多いんだけど、このライブ盤を聞くと物足りない。けどそれはロックバンドの勲章の言葉でもある、俺の大好きなKISSもライブ盤の方が有名だ。ちなみに曲目は

1. サンセットロード (ライブバージョン) 2. トラブル・メーカー(ライブバージョン) 3. クレイジー・ナイト(ライブバージョン) 4. 浮気な、パレット・キャット (ライブバージョン) 5. RAINY LADY GOOD-BYE <Miss Mに捧ぐ> (ライブバージョン)
6. おちょくられた夜 (ライブバージョン)
7. 涙のBirthday (ライブバージョン)
8. Hot Line (ライブバージョン)
9. ファニー・フェイス (ライブバージョン)
10. Sake To Me (ライブバージョン)
11. だから大好き、ロックンロール (ライブバージョン) 12. 嵐の金曜日 (ライブバージョン)


当時はTAPEでしか持ってなかったけどのびるくらい聞いたし思い出も多い。高校を卒業してすぐにフォルテシモで売れてライブも観に行ったけどやはりライブバンドで最高だった。憶えてるのが87年くらいに福岡国際センターで「山笠ナイト!」と言うイベントがあり2バンドのライブがあった、そのイベントは珍しくひとバンドごとの入れ替え制でHOUND DOGとRED WARRIORSだった、しかもRED'Sは¥1000で俺はその頃はもうHOUND DOGには興味は無くRED'Sを観に行ったのを思い出す。そんなROLL OVER TOUR TOKYOも去年に心ある友達にレコードをプレゼントしてもらった、それに針を落とすと懐かしくて涙が出そうになった、、、HOUND DOGの初期のアルバムやRED WORRIORSのレコードやその他諸々沢山プレゼントしてくれた。どうもありがとう!若さ勢いでのめり込んだ事や音楽なんかはいくつになっても当時のピュアさを思い出してくれるそんな

芸術は素晴らしいと思う。
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2008年07月20日

ゆうだち

今年は夏が随分早くやって来た。福岡は梅雨が明けて2週間くらいなる、毎日暑く夜になっても気温が下がらずにスコールのような夕立が降る。夕立は俺は好きで傘もささずにずぶ濡れになりたい衝動に駆られる、それは雨が強ければ強いほどそんな衝動に駆られてしまう。子供の頃はよくずぶ濡れになった、雨でずぶ濡れ、川でずぶ濡れ、山にいる時に夕立が来ると最高だった。今で言うマイナスイオンの中で足はどろんこ、緑と土の匂いは最高だった。木や葉っぱからの匂いと下からは土が湿って行く匂い。そんな事を思い出すからだろうか?俺のずぶ濡れ症候群は。

春にデカイ厄が終わり何かと良い事も多いけど、そんなバイオリズムの時は俺は決まって慌ただしい。久々の心に余裕が無いくらいの忙しさだ!まず8月3日のYAMAHAのイベントもう慣れてるんだけど、今年は10曲くらい弾かないといけないのと曲を憶えるのが大変だ8割方イメージが見えて来た(俺はその曲を弾いてるイメージが出来ないまま演奏が出来ない)後以前にもちょっと触れたけど8月16日の福岡サンパレスのイベントも正式に受けてしまったので、4曲を後一週間くらいでマスターしないといけない。詳細は福岡在住の女性シンガーの石田亜紀子のプロデュースしてるベーシストにお願いされた。俺はバックバンドは基本的にやりたくないので断ったんだけど取りあえず曲のDEMOを送るからとPCでハイテクな方法でMP3で送られて来て、それをFILEからCDに焼いて聞いてみた。基本的にギターROCKな感じで嫌いではなかったし、そのベーシストも俺のギターを聞いてのラブコールだったので、じゃあ8月16日限定と言う事で受けたよ。今年の終わりにアルバムのRECもあるらしいけど、それは勘弁してもらう予定だ。

8月16日詳細 http://www.music-complex.com/info/matsuri08/info.html

演奏時間は20分くらいで出番は最後だとしか聞いてないけどゲストがジプシーズなのでその前なのか?とりあえずメンバー顔合わせの飲み会が月曜日にあるので詳細はその後でも。時間が合えば観に来てね。

宮本孝治が活動休止状態になった、、、。というか、その方が良いと俺が進めた、、、。ここ3ヶ月くらい、考えてみれば俺がライブを初めて観に行って色々ダメだしたりレッスン料下げたりしたくらいから、彼は完全に自信をなくしてた。いろいろアドバイスした、例えばストリートでどうしてオリジナルを歌わないのか?とか立ち止まって聞いてくれてお金を入れてくれた人にオリジナルを聞いてもらえとか。要するに表現する事とは何ぞやと言う事を飴とムチで言って来たけど、ギターを弾いて歌うことが楽しくなくなったと言われた、、、。オリジナルにも自信が持てないとも言われた、正直自分自身反省もしたしSHOCKだった、、、。彼は歌もうまくギターも良い感じになってきたけど中々肝心の表

現する事や毎日の生活で言いたい事までは俺はコントロール出来なかった。テクニックとかそんなんじゃない言いたい事歌う事の意味が彼には伝わらなかったし、俺が勝手に宮本孝治の虚像を作り上げてそれに近づいてもらいたいと空回りしてた気がする。レッスンもやめてもらった、取りあえず楽しんでギターを弾きたい時だけ弾いてみるような生活をしたらと忠告した。ストリートも止めた方が良いと言った、レッスン代を稼ぐ為のストリートなら止めた方がいいと思ったから。彼も今年30才を向かえる、気持ちは分かる。俺も30を向かえる時は色々考えた、俺はこのままでいいのだろうか?とか、人に教える為にギター弾く事が目的なのか?とか考えたし、けど俺はそんな年に憧れのSHAKEさんに運命的に出会えて今後の生き方が決まった。けど俺は宮本孝治の運命を変えてやる事は出来なかった、、、。彼にとって楽しいだけの音楽の方が良かったのかも知れない。よけいな事を伝え過ぎたのかなぁって反省もしたけど。

何か言いたい事がある音楽じゃないと
通用しない事も分かってる。今後も頑張って欲しいし、人を育てるのは難しいなぁ。

ゆうだち01.jpgゆうだち前空。

そんなこんなで今年の夏は何かとバタバタと心もしてる、ちなみに一週間悩んで考えたあげく、直接ぶつけた方が良いと思って、昨日母親に手紙を投函した。これも良いのか悪いのかも分からないけど、俺の事だから。でも今の家族に迷惑をかけちゃいけない、、、けど手紙を俺の名前で送れば迷惑がかかるかぁとかも考えながら、俺と実母の事だからと自分に言い聞かせ勇気を持って投函した。今でも心の波は凪ではないけど、俺はどんな結末でも自分を信じて歩いて行くよ!

ゆうだちでびしょ濡れになろうとも。それさえも懐かしく思うし、きっとその後の虹は奇麗だと思う。確実に、多分、きっと、、、。
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2008年07月16日

俺にとっての小倉 PART10 ー出会いはいつも突然にー 

俺にとって小倉シリーズも10回目を向かえた。ブログ内の検索で過去のシリーズも見れるので覗いてみてね、その時にはワードは「俺にとっての小倉」で検索してみてね。

週に2日新幹線に乗って北九州市は小倉に通ってる、そんな生活ももう11年目に入った、それはPLUG-INと言うビンテージ楽器と通販専門のCHU-YAでLESSONさせてもらってるからだ。最初は二人で始まった小さな小さな楽器店は、楽器店業界冬の時代をいろんなアイデアやセンスや経営戦略で生き残り今では全国を相手に有名なお店になった、今では従業員は20名くらいはいると思う。素晴らしい事だ。俺は最初から見て来たので特に素晴らしいと思えるし、ギターレッスンもほぼ俺の為にボランティアでやらしてもらってる事にも感謝してる。

PLUG-IN HP http://www.pluginguitars.com/

小倉は20才で家出するまでの青春の町だ。京都郡犀川町は地区で言うと北九州になる、隣はすぐに田川の筑豊地区だけど、家出するまで通ってた大学も北九州にあったし遊びに行くなら小倉、バイトも小倉でやってたし、ライブも小倉だった。そんなあわい事や苦い事や甘い事や痛い事なんかが詰まった場所だ。いろんな思い出もある町だけど、今は町には出ずにPLUG-INと駅の往復だけになってしまった、そのお店がある場所が駅の裏で(繁華街とは真逆)しかも去年の12月にもっと海の近くの倉庫街に引っ越したのでますます町へは出づらくなり、LESSON終了時間も遅いので飲んで帰る事も年に何回かしか無くその時は泊まる。

出会いは01.jpgPLUG-INへ行く途中の道にて。

出会いは02.jpg博多では山笠、小倉はこの時期は祇園太鼓であちこちで太鼓の練習の音が聞こえて来る。今日は久しぶりにお世話になってる人達へ「お中元」を送る為に最近名前が変わった駅前のIZUTUYA へ行って来たよ。

ここ10年くらいで我が家のCOCKPITは出来上がった。機材も色々勉強して何が必要で何が必要なく、どこにお金をかけてどこを節約すれば良いのか?そんな機材やギター、アンプ、エフェクツ、弦シールド、ピックに至まで90%以上PLUG-INにお世話になってるよ。ギターに関して言えば俺はブランドや年代にはあまり関心無く、その時の巡り合わせ

と言うか自分の心開いてる部分に訴えて来る。楽器と出会った物を手に入れてる。それは恋ににてる、一目惚れがほとんどだけど。今回は初恋の相手に久しぶり出会って告白したような気分になった。ので手に入れた!これも巡り会わせやその時の自分の状況なんかも関係して来るけど。

出会いは03.jpg出会いは04.jpg出会いは05.jpg出会いは06.jpgIBANEZ ICEMAN !

音楽に目覚めてから憧れのギター!初恋の相手だ。セクシーなボディーとクールなルックス、いまシングルコイルになるように工事中だけど、嬉しくてしょうがない!

良い出会いのタイミングは見逃すな!手に入れろ!

しかし厄年が終わって人やものとの良い出会いが多いけど、今だに母親への手紙のペンが中々進まない、、、便せんや筆ペンは買ったし内容も整理してイメージは出来上がったけど、、、、。
posted by usui special at 02:55| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

MUSICIANとARTIST

7月も半ばになると毎年忙しい。それは8月の最初の日曜日にYAMAHAのイベントが毎年プリセットされてて、その為にスケジュールも調整する。それが終わると俺は今年も前半が終わったぁって気にもう10年以上なってるけど実は前半どころか三分の二は終わってる。そのイベントの準備は春の会議からはじまり実際に動き出すので3月から始まってる事になる、今年は10曲近く弾かないといけないのでいろんないみでバタバタする。それは俺にとってはギターは弾くけどもARTISTの部分ではない、MUSICIANの部分だ。MUSICIANは確実にその曲を支え、どんなジャンルでもある一定の基準を超えた演奏力を出さないといけない。お店で言えばチェーン店やのれん分けみたいに、、、。

ARTISTは確実に独創性があり万人に受けると言う事より独創性が無いといけないと思う。それは良い意味でも悪い意味でも、せっかくサラリーではなくこの世を生きていけるんだからARTISTでありたいと思う。仕事としての演奏ではなく、表現する為の演奏をしたいとズーッと思う。勿論それで生きて行ってる人は数少ないんだけど、それを目指したいし、その先にインストラクター業がないと俺にとって多分インストラクター業も成り立たないと思う。

技術を磨く事と表現を磨く事は実は近いようで真逆にある気がする。だから俺は仕事のバックバンドには全然興味ない、勿論食って行く為に仕事としてやってる人も多く魂は表現する事にある人も多いけど、何かフレーズや醸し出すリズムや表現が違って来るような気がするから、あえてそれは避けてる自分がいる。でも勿論」お金をもらう以上は魂も売らないといけないけど、そんな中でも自分の個性も出さないといけないと思う。

今の俺の魂はDOGDAYS再始動!のプランを練る事でいっぱいだけど、MICKもあるけどMICKは3、4回のリハで今年中にライブが出来る。けど性格上のめり込まないとやれない俺もいる、MICKなりのギターは何で、どんな音で、どんな役割で、とか考える。無難な演奏と表現する演奏は全然違う!やはり魂が入ってるか技術だけが買われてるのかの違いは大きいよ。もう一つバンドに誘われた。それはある女性シンガーのバックだけど誘ってくれたBASSISTは俺のギターを聞いての誘いだったのは嬉しかったけど、、、DOGDAYSを再生させるのが俺のARTISTの部分だし、MICKは九月から動き出すので、断ったけど、、、熱心にTELで語ってくれる。断りながらも話を聞くと、ギター2本で一人足りないと、ROCKで椎名林檎みたいな感じ、、、でしかも8月の半ばに福岡サンパレスのイベントも決まってると困った感じだった。

俺は現状を話してバックバンドには興味は無い事も話したけど、取りあえず8月のイベントには、、、と言う事でPCでオリジナルのDEMOが送られて来た、、、。俺も8月はまだスケジュール的にも大丈夫なので「じゃあ取りあえず音源を。」嬉しい事だけど、、、20代の頃なら勉強のつもりでやってるけど、その女の子は事務所にも所属してるけど、まだ自由に動けてBANDでサウンド固めて今年の終わりくらいまでにアルバムを作りたいと言われた、、、、、でもMICKもあるし、それよりDOGDAYSを何とかしたいと言う想いが一番強い。あるイベントにもDOGDAYSまだ〜?みたいに急かされてるし、、、。その女の子の曲も嫌いではなかったし自分がそのバンドで演奏してるイメージも出来たけど、そのイベントも近々でひと月後だけど、それは何とかしてあげたい気持ちもある。けどARTISTでありたい俺に声をかけてくれた事も嬉しいんだけど、、、悩む所だ。自分の性格からしてアルバム作るとなるとドップリアレンジとか音とかはまり込むからなぁ〜。

ISAMI01.jpg

焼酎の伝説を頂いたよ!

8月のイベントは決まったら報告するね。その時はよろしく!
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2008年07月12日

MARCO,,,その参(確実な光りと迷走)

忙しくなって来た。憶えないといけない曲も沢山あるし9月からMICKも動き出すので、その曲も練習しないといけない。基本的にROCK'n ROLLはパターンが決まってるので、やっていて楽しいし逆にノリが凄く大事になって来る。多分ギターの音作りもDOGDAYSとは違うし、弾き方やフレーズも違って来る。良い意味でいい加減さが無いとROLLINGしないしテクニックでもない事も分かる、けど今憶えないといけない曲たちは真逆にある。言わばバックバンドのサウンドと何かをアピールするサウンドの違いだ、まだMICK仕様に切り替わってないけど8月3日が終わるまではバックに徹しないといけない。

先週の月曜日から母親探しに猛走しはじめて心の自分では今まで気付いてなかった所のスイッチが入った。その小さな光りを本能のままに追い求めてる自分に気が付いた。頭の中は母親一色に染められ、俺の取ってる行動が良いのか悪いのかなんて関係ない何と言うか自分でも初めて味わう本能の迷走が起こった。その洪水の様に湧き出てしまった部分はどこか不思議でもある、顔も分からない、迷惑かもしれない、消してしまった事かも知れない、けど俺は考えた。相手の立場やいらぬ想像してもきりがない、俺の実の母親に俺が会いたいんだって事と博多区役所の最初に相談に乗ってくれた人の『あなたは実子なので戸籍を請求する権利があります!』と言う言葉がFEEDBACKしてた。またその言葉が逆に俺の生みの母親を探してる事の事実を再確認させてくれた、顔も分からないと言う事が致命傷で本能の部分だけで探してるけど、もし会えたときのイメージや想像が全然出来ない事も分かった。多分この人が俺をこの世に産み落としてくれたから今の俺が居るんだと言う所から整理しないといけないんだろうなぁ。

母親の実家の戸籍が届いた。それはみやこ町のとは違い無機質に俺が同封してた俺宛の¥80切手を貼った封筒の碓井裕介宛の宛の所に様のスタンプが押され原戸籍だけが入ってた。そこには母親の赤裸々なその後の人生が綴られてた、、、そこに今の戸籍が判明した、、、母親はその後2度結婚してた、、、今はその2度目の戸籍に入ってる事になる。それまで子供はいないらしい、、、そしてその今の戸籍が以外にも福岡市の隣町にあった。めずらしく俺はいつもより少し早起きしてその町役場まで足を向けた。それは完全に本能で動いてる気がした。そこの役場も淡々と事が運ばれた。「あの〜母親探してるんですけど、、、。」と俺が実子の証明の書類を出してるとあまりそれには目もやらずに「この用紙に記入お願いします、、、」と「あっ、後免許証の番号控えさせて下さい」と戸籍と言う紙を一枚渡された。すると職員は「あ〜この町出られてますね〜」そこには次の町の名前が、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、それ

福岡市だった。

そして今日その区役所へ行って戸籍を取りその戸籍が動いてないので腑票を添付してもらった(腑票はその戸籍でも住所が変わってる場合があるので現住所がわかる)そして遂

現住所の居場所と生きている事が分かった。それから自分の心を整理したら運命というか神様はいるのかな?とかいろんな数字の偶然が浮かび上がった。まず妹がいた、今年22才だ、、、、母親が俺を産んだ年と同じ。俺が家出した年の母親の年が今の俺の年。しかも俺が家出した年に妹が産まれてる、その妹を産んだ母親の年が、母親を捜そうと動き出した今の俺の年と一致する、、、、。

光りの方向は見つけたけど最終アプローチには気を使う、、、今の親子三人水入らずに茶々を入れる気はない、、、、妹は若すぎるし俺と言う存在は聞かされてない可能性もおおい、、、、けど同じ母親から産まれた実の妹には間違いない、、、、。ただ真実として

同じ血の兄弟が存在してる事は嬉しかった。けど俺の母親だけど、、、、俺だけの母親でもない事に現実として受け入れた。今の状況を崩してはいけないと言う思うが働くし、、、、けど俺の事だ!という思いの迷走が毎日続いてる。

俺が20才で家出して博多に来た時にもう母親はここに居た。

迷走01.jpg迷走02.jpg迷走03.jpg迷走04.jpg

迷走の記録。

まだ会ってもらえるかどうかも分からないし俺の取った行動が正しいのかどうかも分からないし、どうアプローチして良いかも整理出来ない。でもただ産んでくれた事に感謝の言葉を言いたいだけだよ。
posted by usui special at 03:29| 福岡 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月09日

13年ぶり。

博多は昔から音楽の町と言われて来た。70年代はチューリップや陽水に甲斐バンドに長渕剛と言う「昭和」というフォーク喫茶から全国へ。海の向こうのロンドンでは70年代半ば過ぎにパンクというカルチャーが音楽を通じて全世界へ、要するに反体制の衝動だ。それを音楽と言う芸術を借りてSEX PISTOLSが代名詞になってるけど実は60年代から優等生の天才THE BEATLESにちょっと不良のTHE ROLLING STONES、でももっと神髄をついたモッズ族のアンダーグラウンドから登場したTHE WHOのマイジェネレーションが65年に発売された。それから世の中はユル〜いサイケデリックやヒッピーの時代がすぐやって来る、67年に起きたサマーオブラブのカルチャーだ。そんな中優等生のTHE BEATLESはいち早くビーチボーイズのPET SOUNDSと言うアルバムに影響されSGTペパーズを創り、そのレコーディングしてる隣のスタジオで、生まれながらのサイケの天才シドバレット率いるPINK FLOYDが何の計算も無く、デビューアルバム「夜明けの口笛吹き」をレコーディングしてた。

そんな60年代から70年代へ移行しROCKはよりエンターテインメントをましてZEPPELINやPURPLEにアメリカではよりショウアップされたAEROやKISSが登場した。ライブは何万人と膨れ上がり、ウッドストックに始まったメッセージ性の強い野外フェスから商業性の強いカリフォルニアジャムやモンスターズオブロックにとROCKミュージックがビッグビジネスに変わった頃にロンドンはキングスロードからPUNK MUSICは始まった。要するにROCKはビジネスではなくメッセージだろ!って訴えた、それが80年代になってNEW WAVEとして進化して行きROCKの定義をブチ壊した、コステロやTHE JAMなんかが代表だけど。

そんな80年代初頭に博多でめんたいROCKと言われたバンドが沢山デビューしたし、日本のリバプールとも言われ注目された。ある意味日本の音楽の歴史でも伝説にはなってるだろう、その頃の人達もすでに50代や40代後半。今だにオリジナリティーを求めて頑張ってる諸先輩方もスタジオでよく見かける、俺は博多出身ではないのでその輪には片足しか突っ込んでないけど。博多のミックジャガーことミック岸川さんと出会ったのが今から15年くらい前でバンドに誘われた。当時のメンバーはドラムが元LOOSEの阿部さんとBASSが元ロッピンザクレードルの林田さんにもう一人のギターが元マスターズの渡辺さん。ロッピンはアマチュアながらつくし会館満杯するバンドで名前は知ってたけど、後のバンドは申し訳ないけどその当時は知らなかった。そんな諸先輩方の中へ放り込まれた、俺はロンウッド役だったのでまだ気は楽だったけど。

そのバンドはMICKと名乗り95年に丁度戦後50周年だったのでチャリティーライブをやった。その後メンバーは変わり俺とミック岸川さん以外は変わってその後一回ライブをやって解散した、そのMICKが初代メンバーで再結成する、しかも今回はギター俺一人だ。声をかけてもらったのは嬉しいけどちょっと不安だけど自由に出来るので気は楽だ。たぶん9月くらいから3、4回リハしてライブすると思うので乞うご期待!久々にROCK'N ROLLでギタリストに専念出来るので楽しみだ。STONESのナンバーからLOOSEのナンバーとROCK'N ROLLお好きな方は是非、今年中にはお披露目出来ると思うのでお楽しみに!また日程決まったらブログで紹介するね。

このメンバーで久々13年ぶりだよ。

十三ぶり01.jpg十三ぶり02.jpg梅雨が明けていきなりの真夏の空。

十三ぶり03.jpg十三年ぶり04.jpg初めて本物を見た。KISSはジーンシモンズのサイン!シグネイチャーベースのパニシャー。それに影響されたのか、今日タワレコでブートレッグと分かっていながらも買ってしまうKISSのLIVE DVD,,,8月3日のヤマハのイベントではNEW GUITARが登場する予定だよ、ただ今調整中!見に来た人のお楽しみ。

夏バテ気をつけようね!

posted by usui special at 03:42| 福岡 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

MARCO,,,その弐(消せない真実と手掛かり)

今年は暑くなるのが早い気がする、もう週明けには梅雨明しそうな感じだけど今年は特に食欲が無い。そもそも一日一食でも生きていける俺だけど、特に昼間は食欲が無いし安定剤のお世話にもなる日々だ。仕事が始まってしまえば平気なんだけど仕事前はボーッとソファーに座りTVから伝えられる凄惨な事件やどうでも良い話題を感じながらやはり頭の中は母親の事で占領されてしまってる。子供の頃からおかぁさんが恋しいと言う思いは無かった気がする、何だか初めて味わうDNAや血がうずく感覚と思う。それは自然とひなが母親を追いかけて池を泳いでる鴨みたいに、そこには何の疑問も無く当たり前のように朗らかに写る。

みやこ町から親父の原戸籍が送られて来た。そこには赤裸々な真実が綴られてた、みやこ町の住民課の人には手紙を添えてた「生き別れた母親を捜してるので、、、」みたいな事を一筆添えてたせいか、それとも俺みたいに身内を捜してる人が多いのか、凄く丁寧に戸籍と一緒に母親の別れた後の戸籍の住所(要するに実家)とまだ見ぬ母親のお父さん(俺からするとじいちゃん)の名前をわざわざ書いてくれて(戸籍にも載ってるんだけど見にくい)ここの町役場へ請求するように書いてあり、その際おれと母親が事実上の母子である証明がいるので戸籍のコピー(俺と母親の名前が乗ってる所)を添付してしかも俺の免許証のコピーも添付するようにと丁寧に書いてあり最後にはその町の役場の住所と電話番号まで書いてくれてた。凄くうれしかった。結果はどうであれみんな人の子で応援してくれてるのかなって勝手に思った、、、ブログで書いていろんな人に言葉をもらうとみんな俺の取った行動にエールを送ってくれる。俺はまだ良いのか悪いのかさえも分からないしけどきっと良かったのかなとも思うよ。

二人が結婚したのは何と俺が産まれる8ヶ月前だった、、、今では当たり前で珍しくない  

けど出来ちゃった婚!これには驚いた。その時の親父は32才で母親は21才、これも今風だ。そして母親は22才になったばかりで俺を北九州市は門司の病院で産んでくれた。俺は3月26日に産まれたけど、その翌年の4月に二人は離婚した、、、。俺が一才になってすぐの事だ。何と結婚生活1年と9ヶ月、そしてその一年半後に今の義母と再婚してた、、、、。その一年半は親父の同僚に俺は預けられた訳だ。

母親の実家は予想通りの町だった。それは当時親父が働いてた町だった、親父は国鉄職員でその町の駅で長い事働いてた事は聞いてたし、預けられた同僚夫婦もその町に住んでたし同じ駅で働いてたし、何と再婚した今の義母も同じ町出身だ。

子供の頃から親父のねぇーさんやじいちゃんや親父の弟や近所の人(小さい町なので事情はみんな知ってる)からは何も聞かされなかった、、、それが何だか大人になった俺なりに考えたら、やはり母親との結婚は消したい過去だったのではないかと考えた(親父側の考えでは)母親も若かったし、、、。じゃあ母親サイドはどうなんだろう?忘れたい過去なのか?若気の至りだったのだろうか?とも考えた。今の感覚と当時は違うだろうけど、21才で身ごもり、その勢いで結婚して2年もせずに別れて、、、やり直しはきくだろうし、事実として俺はこの世に誕生させてくれたけど、、、消したい過去なんだろうか?って考えたりもする。俺は女じゃないのでわからない、、、、。消したくても消せない過去は必ず誰にでもある俺にでもある、とすれば俺の取ってる行動は迷惑になるなぁ〜とも考える、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。取りあえず次へ突き進んで見る事は決めた。最悪な結果でもね!じゃ無いと沸き上がったDNAと血が収まらないよ。

その弐01.jpgその弐02.jpg今年も毎年恒例の忙しいこのイベントの時期がやって来た。全28曲中8曲は弾かないといけない。今年のセットアップ!DOGDAYに比べるとシンプルだ。お暇な方は是非観に来てね!

偶然だとは思うけど俺が家出した年は母親が今の俺の年だ。しかも同じ夏だし。

posted by usui special at 03:03| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

MARCO,,,その壱(衝動と手段)

その事は俺の心の片隅や無意識の領域に常にあった。たまに心の多くをその事で占めたりした事も何度あった事か、このブログを覗いてくれてる人達は分かってる人も多いと思うけど、俺は実母を知らない、顔も分からない、、、説明すると俺が1才の時に両親は離婚して親父側に引き取られた。その事実を聞いたのは決して俺の親父からでは無かった、中学生の時に周りに居た親類に聞かされた、正直何の事かも分からず「へぇ〜そうなんだ」って言うのが最初の感想だ。その時は親父は再婚してて義母もいたし、そんな大人の事情を考える余裕も無いくらいに毎日の緊張の方が大変だった。両親に厳しく今思えば親父は今の奥さんの子供ではないので厳しく、言ってみても義母も前の親父の奥さんとの間の子供でしかなく、預かったと言う意味では厳しく躾けられた。

1才の俺は親父が今の義母と再婚するまで親父の同僚の子供が出来ない夫婦に3才まで預けられた、その頃の記憶はかすかにある。でもそれは預けられてると言う意識はなかった気がする、だから多分自分の母親とか父親が誰であると言う認識は無かったような気が

する。本能として甘えられない俺。はここで形成されてしまった。それからその同僚夫婦が俺を養子としてくれと言ったらしいが断られたと後に預けられた夫婦に聞いた。それから物心がついた俺は何事も無かったように親父と義母の元でありえないくらい厳しいなか過ごして行く訳だけど20歳で家出をして今ではその二人とも縁も切れてしまった。その事はこのブログのバックナンバーで辿ってみてね。

この3月で3年間の大きな厄が明けた。それからどういう訳か筋トレ始めたり英語の勉強したり何かと負荷をかけだした。このブログでも書いてる事や書けない事も含めてありえない出来事だらけだった、ギターとられたり蒸発したり、俺の心の一番柔らかい部分をえぐられたリ。考えて見るとすべての事は俺がそうした訳ではない!俺と関わった人達が自然とそうなって行った。何なんだ?って考えたけど答えは見つからない事も分かった、人は鏡のように相手あっての自分を映し出す、と言う事は俺と言う鏡でみんな写ってる訳だから俺と言う鏡には写りたくないと言う事は何か自分にも原因があるのではないか。

本当の愛情を注いだり受けたりする事が人とは違うんじゃないかと思った。もっと大きな愛情や思いやりや、分からないけど、人が気にしないような事でももっと大きな所の繋がりとか?まぁまぁみたいなね。俺はもっと手に取って分かる事ばかりの判断で暮らしてるのかも知れないと思い始めた時にある衝動に

刈られた。生みの母親に会ってみたい。何の想像も出来ないけど、すべてのいろんな根源はここにあるのかなって思った。これからの自分の人生で何か新しい感覚が生まれるんではないか?ここまでが衝動だ。

俺は誰も恨んではない、親父も義母も実母も。むしろそんな複雑な家庭環境によって音楽に目覚めギターを弾く事の衝動を見つける事が出来た事にはむしろ感謝してるし感覚も普通じゃない事も備えてくれたのは今の仕事にも役に立ってる気がする。今まで何度か実母の顔くらいは見てみたいなとかはあったけど(写真も一枚もなく破棄されてる)今回は意味が違う。申し訳ないけど俺の勝手で探す。少ない情報では俺を産んだ時親父は33才で実母は20代前半だったらしいのでまだ元気だと思うんだけど、、、ただ今の生活がある、まだ知らない弟や妹たちが居る可能性もある、今の家族がある。ので迷惑はかけれない。

どうやって探そう?からスタートした、まず子供が居る女性に何人か聞いてみた。みんな言ってくれたのは「おかぁさんも会いたいと思う」だった。ある女性が言った言葉が印象的だった「子供は3才とか5才とか可愛いって言うけど、勿論可愛いけど、赤ちゃんの時に抱いたときの顔と匂いを一番思い出す」って言ってた。興信所もいろいろ調べたけど何か抵抗があった、お金を払えばいいのか?そうじゃないと思い取りあえず区役所へ俺の戸籍を取ろうと思った。そこの説明してるおばちゃんに「すみませ〜ん母親の居場所を探してるんですけど、自分の戸籍から探せますか?」おばちゃんは少し困って「自分の戸籍をとってもダメよ、自分と奥さんのしか載ってないから、、、」俺は「あ〜じゃどうしたらいいんですかね?」とパートで入ってるおばちゃんにたずねた。「今すいてるみたいだか戸籍相談窓口へ行きなさい」って言ってくれた。

順番待ちの番号シートを取って待ってた、俺の前には誰も待ってなくて職員は二人。若めの女性と白髪まじりの男性が忙しそうにデスクワーク、10分が経過した。俺は心の中では女性は嫌だなと思ってた。本能的に自分よりも年下の女性には相談したくないと言う心が働いた、役所と言うのはサービス業ではなく笑顔も無い。俺はお客さんではないのだと言う事を考えた10分間だった。すると男性がピンポンと言う音とともに「どうもお待たせしました」、、、俺は今まで書いてる事を説明した。その男性は親切に丁寧すぎるくらいに何度も同じ注意事項を話してくれた、結果はまず親父の戸籍をとり、そこに実母の本籍が載ってるのでそこの役場へ今度は実母の戸籍を取り、名字が変わってるかも知れないけど現戸籍を追跡して行くしか無いとのこと、そして現戸籍のある街へ戸籍を取る際に附票を添付してもらうと住所変更の履歴なんかも載ってて現住所が分かるのだそうだ。その白髪まじりの男性職員がいってくれた言葉が嬉しかった。

あなたは実子だから戸籍を取る権利があります!
その職員は郵送で送ってもらう用紙を用意してくれて親父の本籍を知らないと言ったら、こちらには見せられない資料から何も言わずにその用紙に書き込んでくれた。まずは(みやこ町)へ親父の原戸籍の郵送の手紙を書いた。

衝動と手段01.jpgこれが戸籍請求書と丁寧にみやこ町役場の住所をコピーしてくれた。

衝動と手段02.jpg博多はこの季節になった。

同じような境遇の人にも分かりやすいようにこのシリーズは実録で紹介して行く予定だよ。

亡くなってるか、拒否されるか、歓迎されるか
このどれかに収まると思う。俺がどんな心の変化が起こるのかは想像で来ない、またこの俺の行動が良いのか悪いのかも正直わからない、向こうにも今があるから。でもどんな結果でも最悪でも良いと俺は思う、そのモヤモヤを晴らす事が出来れば今後の自分の人生に何らかの意味があると思ったから。
posted by usui special at 03:52| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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