その事は俺の心の片隅や無意識の領域に常にあった。たまに心の多くをその事で占めたりした事も何度あった事か、このブログを覗いてくれてる人達は分かってる人も多いと思うけど、俺は実母を知らない、顔も分からない、、、説明すると俺が1才の時に両親は離婚して親父側に引き取られた。その事実を聞いたのは決して俺の親父からでは無かった、中学生の時に周りに居た親類に聞かされた、正直何の事かも分からず「へぇ〜そうなんだ」って言うのが最初の感想だ。その時は親父は再婚してて義母もいたし、そんな大人の事情を考える余裕も無いくらいに毎日の緊張の方が大変だった。両親に厳しく今思えば親父は今の奥さんの子供ではないので厳しく、言ってみても義母も前の親父の奥さんとの間の子供でしかなく、預かったと言う意味では厳しく躾けられた。
1才の俺は親父が今の義母と再婚するまで親父の同僚の子供が出来ない夫婦に3才まで預けられた、その頃の記憶はかすかにある。でもそれは預けられてると言う意識はなかった気がする、だから多分自分の母親とか父親が誰であると言う認識は無かったような気が
する。
本能として甘えられない俺。はここで形成されてしまった。それからその同僚夫婦が俺を養子としてくれと言ったらしいが断られたと後に預けられた夫婦に聞いた。それから物心がついた俺は何事も無かったように親父と義母の元でありえないくらい厳しいなか過ごして行く訳だけど20歳で家出をして今ではその二人とも縁も切れてしまった。その事はこのブログのバックナンバーで辿ってみてね。
この3月で3年間の大きな厄が明けた。それからどういう訳か筋トレ始めたり英語の勉強したり何かと負荷をかけだした。このブログでも書いてる事や書けない事も含めてありえない出来事だらけだった、ギターとられたり蒸発したり、俺の心の一番柔らかい部分をえぐられたリ。考えて見るとすべての事は俺がそうした訳ではない!俺と関わった人達が自然とそうなって行った。何なんだ?って考えたけど答えは見つからない事も分かった、人は鏡のように相手あっての自分を映し出す、と言う事は俺と言う鏡でみんな写ってる訳だから俺と言う鏡には写りたくないと言う事は何か自分にも原因があるのではないか。
本当の愛情を注いだり受けたりする事が人とは違うんじゃないかと思った。もっと大きな愛情や思いやりや、分からないけど、人が気にしないような事でももっと大きな所の繋がりとか?まぁまぁみたいなね。俺はもっと手に取って分かる事ばかりの判断で暮らしてるのかも知れないと思い始めた時にある衝動に
刈られた。
生みの母親に会ってみたい。何の想像も出来ないけど、すべてのいろんな根源はここにあるのかなって思った。これからの自分の人生で何か新しい感覚が生まれるんではないか?ここまでが
衝動だ。
俺は誰も恨んではない、親父も義母も実母も。むしろそんな複雑な家庭環境によって音楽に目覚めギターを弾く事の衝動を見つける事が出来た事にはむしろ感謝してるし感覚も普通じゃない事も備えてくれたのは今の仕事にも役に立ってる気がする。今まで何度か実母の顔くらいは見てみたいなとかはあったけど(写真も一枚もなく破棄されてる)今回は意味が違う。申し訳ないけど俺の勝手で探す。少ない情報では俺を産んだ時親父は33才で実母は20代前半だったらしいのでまだ元気だと思うんだけど、、、ただ今の生活がある、まだ知らない弟や妹たちが居る可能性もある、今の家族がある。ので迷惑はかけれない。
どうやって探そう?からスタートした、まず子供が居る女性に何人か聞いてみた。みんな言ってくれたのは「おかぁさんも会いたいと思う」だった。ある女性が言った言葉が印象的だった「子供は3才とか5才とか可愛いって言うけど、勿論可愛いけど、赤ちゃんの時に抱いたときの顔と匂いを一番思い出す」って言ってた。興信所もいろいろ調べたけど何か抵抗があった、お金を払えばいいのか?そうじゃないと思い取りあえず区役所へ俺の戸籍を取ろうと思った。そこの説明してるおばちゃんに「すみませ〜ん母親の居場所を探してるんですけど、自分の戸籍から探せますか?」おばちゃんは少し困って「自分の戸籍をとってもダメよ、自分と奥さんのしか載ってないから、、、」俺は「あ〜じゃどうしたらいいんですかね?」とパートで入ってるおばちゃんにたずねた。「今すいてるみたいだか戸籍相談窓口へ行きなさい」って言ってくれた。
順番待ちの番号シートを取って待ってた、俺の前には誰も待ってなくて職員は二人。若めの女性と白髪まじりの男性が忙しそうにデスクワーク、10分が経過した。俺は心の中では女性は嫌だなと思ってた。本能的に自分よりも年下の女性には相談したくないと言う心が働いた、役所と言うのはサービス業ではなく笑顔も無い。俺はお客さんではないのだと言う事を考えた10分間だった。すると男性がピンポンと言う音とともに「どうもお待たせしました」、、、俺は今まで書いてる事を説明した。その男性は親切に丁寧すぎるくらいに何度も同じ注意事項を話してくれた、結果はまず親父の戸籍をとり、そこに実母の本籍が載ってるのでそこの役場へ今度は実母の戸籍を取り、名字が変わってるかも知れないけど現戸籍を追跡して行くしか無いとのこと、そして現戸籍のある街へ戸籍を取る際に附票を添付してもらうと住所変更の履歴なんかも載ってて現住所が分かるのだそうだ。その白髪まじりの男性職員がいってくれた言葉が嬉しかった。
あなたは実子だから戸籍を取る権利があります!その職員は郵送で送ってもらう用紙を用意してくれて親父の本籍を知らないと言ったら、こちらには見せられない資料から何も言わずにその用紙に書き込んでくれた。まずは(みやこ町)へ親父の原戸籍の郵送の手紙を書いた。

これが戸籍請求書と丁寧にみやこ町役場の住所をコピーしてくれた。

博多はこの季節になった。
同じような境遇の人にも分かりやすいようにこのシリーズは実録で紹介して行く予定だよ。
亡くなってるか、拒否されるか、歓迎されるかこのどれかに収まると思う。俺がどんな心の変化が起こるのかは想像で来ない、またこの俺の行動が良いのか悪いのかも正直わからない、向こうにも今があるから。でもどんな結果でも最悪でも良いと俺は思う、そのモヤモヤを晴らす事が出来れば今後の自分の人生に何らかの意味があると思ったから。
posted by usui special at 03:52| 福岡 ☁|
Comment(2)
|
TrackBack(0)
|
日記
|

|