2008年08月28日

MARCO,,,その後(Time, passing by)

このシリーズも五回目になった。7月に何かに取り付かれたように母親を捜しはじめた俺、と2週間で母親の居場所が分かった時の俺、それから一週間悩んで大好きな青空の便箋に鳥のシールで封をして想いを綴った時の俺、それから諦めかけてた3週間後母親から便りが届いた時の俺、それに書いてあった携帯NOとアドレスに詫びのメールをした時の俺、それにすぐに帰って来たメールに涙した俺。それから何のコミュニケーションもないまま日常が戻って来て2週間は経とうとしている今年は早い秋の気配の中の俺。じょじょに心が変化してして来てるのが分かる、どんどん冷めて来てるのが分かる。逆に今の母親の平凡だけどしあわせにくらしてる日常をざわつかせてるなって気持ちの方が強くなった。

母親は是非会う機会は作ろうって書いてあったけど、今の家族に心配をかけたくない事が手紙で強調されてた事が、どんどん俺の中ででかくなり、こそっとメールで日常を伝えるようなコミュニケーションも控えたし、手紙には動揺が収まるまで時間の猶予が欲しいって書いてあったけど動揺が治まったとして、じゃあ今の家族に内緒でこそっと一度だけ会う、、、、俺はその方が空しいようにも思えて来た。会えばきっと今は分からない心の一番柔らかい俺も知らない部分に響いて、分からない何かが洪水の様に溢れ出すかも知れない、同じ事が母親にもいえる事だけど、、、、。そうなれば今の家族に迷惑をかけてしまうような未来が来てしまうかも知れない。そんな事を今は毎日母親も葛藤してるんじゃな

いかなと想像した。顔は見たいけど会ってしまえば。みたいな、もうお互いの居場所がわかって一ヶ月以上経つ、、、。メールで初めて母親とコミュニケーションを取って20日は過ぎた、、、、この空白の時間は何なんだろう?俺は母親の顔も知らないので現実味も日々薄れて、あんなにフツフツ湧いてた本能は日々薄れ、日常が戻って来るだけだろうし、恨みも悲しみも無い、、、虚しさは残るけど、もうそんなのは慣れっこだけど、母親は狭間に立たされて苦しいんだろうなって思うと、今の、手紙によるとささやかで平凡な幸せに戻してあげないといけないんじゃないかと思うようになった。今回の最大の目的は自分をこの世に産んでくれた人に触れると自分

の中では欠落してるであろうBIG LOVE無条件の手放しの愛情みたいなのが分かるかなとか、それを家族や人にも向ける事が出来るんじゃないかなとも思ったから。けどメールだけど「この世に産んでくれて有り難うございました」と言うのは言えた事だけでも俺の取った行動は間違いじゃなかったって思えた。こちら側の一方的な想いだけどね、、、、。錯綜する毎日だけど、時間が立てば経つほど難しい事の様に思えて来たよ。確実にいえる事は「過去よりも現在の状況の方が大事だ!」と言う事。これも現世に課せられた俺のカルマだし母親よりも心は平気だと思う。

俺の大好きな秋までにはケリをつけよう。

じゃ無いと母親が可愛そうだ、日常に戻してあげたいと思う。

passing by 01.jpg今日の絶品!黒豚の味噌漬け焼き。最高に旨い。

当たり前の家族の日常に感謝してね。
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2008年08月25日

今月のアルバム 08,,,Aug

秋の気配を感じるようになった、その感覚と言うのは言葉や文字にすると凄く偏ってしまい人それぞれだったり植物や動物に生物と、この世に生のあるものすべて何らかの変化を感じさせてるんだろうと思うと嬉しくなる。そんな事を考えた事は一度はあると思う、例えば自分の好きな人とか、憧れてる人や今すぐにも会いたいけどそれが叶わない人とかも、みんな同じ時間帯で季節感を感じたりそんな変化の中で暮らしてんだとかね。それには人種や貧富の差や性別や何も関係なく生きてるというもののみが感じる事の出来る感覚。何か話がでかくなったけど、俺はそんな季節の変わり目が好きなのかもしれない。そんな自然の事は時には重大な被害をもたらしたり牙をむくけど、こそくな手段や気分で生

き物に接しない受け止める事しか無い”絶対的な事”。

今月のアルバムコーナーをまた忘れてて、昨日このブログのへヴィーリーダーに指摘された。最近はブログを書く時にはiTUNESに溜めてある曲をヘッドフォンで聴きながら書いてるけど、今月のアルバムの時はもちろん紹介するアルバムを聴きながら書いてるよ。

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RASPBERRIES' BEST

 今回紹介するラズベリーズは、何故かしら初恋をイメージさせてくれるバンドだ。ラズベリー=木イチゴの名前の通りに、甘酸っぱい香りに包まれたサウンドが特徴で、ポップで耳なじみのいいロックを聴かせてくれる。実際デビューアルバムにはラズベリーの香りがするステッカーがついていたらしい。正統派のロックファンからは嫌われて、どちらかといえばアイドル派の女性ロックファンが好んで聴いていたバンド。

 1972年デビュー当時は「ビートルズの再来」なんて騒がれた時期もあった。確かにバンドを一人で率いていたエリック・カルメンのメロディ・ラインは、レノン&マッカートニーに近い気がする。結局、ラズベリーズは「ゴー・オール・ザ・ウェイ」「明日を生きよう」「レッツ・プリテンド」といったヒットを世に送り出して、たった3年足らずで解散してしまう。リーダーのエリック・カルメンは、むしろソロに転向してから有名になった。「オール・バイ・マイ・セルフ」という名曲も、彼のソングライターとしての技量が

分かる作品だ。一言でいうならば胸キュンROCK!

俺は勿論リアルタイムではないし、むしろエリックカルメンの方を先に知ってたけど、何せ曲が良いのと、演奏は荒いしドラムはTHE WHOのようにドタバタとキースムーンが打いてるみたいだけど、メロディーとハーモニーが胸キュンものでけどサウンドはROCK'n ROLLと極上のバラード!この曲を青の時代に聴いた人達を羨ましく思うよ。確かKISSのデュースと言う曲のイントロはラズベリーズをパクったと言うのは有名な話だけど、、。

いくつになっても胸キュンとする心でいたいな!と思うよ。

試聴はこちら : http://www.hmv.co.jp/product/detail/392783
posted by usui special at 02:56| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月21日

Hello 悲しみよ。

久々に自分のブログを開いた。ここ8月に入ってさぼりがちで、正直ブログを更新するような精神状態ではなかった。でも毎日多くの人が覗いてくれてて今の心の支えになったよ。7月からの怒濤のバックバンドは16日に終わった、約20曲もの演奏は初めての事だ。しかもシチュエーションも違う事もあり、正直出来るかな?って自分にも余裕が無かったけど、やるしかない、、、何か分からないだろうけど自分の為になるんだろうなと心に言い聞かせた。若い頃なら勉強の為とか音楽性を広げるだとか、場数をこなす事は大事な事だけど。そんな年でもなくなったし自分の世界観を表現する事を第一に考えたい。

まるで全国ツアーが終わった!くらいの疲労感とざわついた毎日だった。お盆休みも一日も取れてないまま日常が戻って来た、なぜかそんな日常の方が心地良かったりしてる。家にいてもリラックス出来ない日々も何ヶ月か続いてるし、久々にいろんな事に孤軍奮闘してるなって思う。誰かのの胸に顔を埋め泣きたくなる事もあるけど、それも許されない。20代の頃に見たあの心の底辺に久々に自分自身触れてるけど、若い頃とは年を重ねた分複雑に絡み合って、あの頃の底辺とは訳が違うけど俺自身の向かってる方向やポリシーは変わっていないのも分かった。

悲しみよ01.jpg8月16日は福岡サンパレスで最終日。

サンパレスは15才の時に初めてリッチーブラックモア率いるRAIBOWを観に行った思い入れのあるホールだ!AM11:30入りのリハが13:30の出番が押して20時過ぎと過酷な一日だったよ。

悲しみよ02.jpg途中は豪雨の後一人抜け出して海辺で一時間くらい黄昏れた。

悲しみよ03.jpg悲しみよ04.jpgステージングは素晴らしかったけど、仕切りや進行は甘い少し課題が残るイベントだと思う。

お前に言いたい!がっかりしたしたよ、俺はカッコつけたくて音楽の世界で生きて行ってる訳ではない、また普通の仕事とか関係なく、俺はこの世界で生きて行く事しかなかったと言う事をお前も理解してないと感じた時に人はプライドやエゴでしかないんだね、そこいらの連中と何も変わらないじゃんと悲しくなったよ。好きで家出した訳ではないし、けど家出して良かったって、今自分が頑張れる源で苦しんでる事を分かるかい?茶化すのは止めてくれ!それぞれの今に敬服しろよ。俺は今後もこれしか出来ないから、自分の世界を表現して行くよ、、、それしか出来ないから!

Hello 悲しみよ。
posted by usui special at 02:50| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

夏祭り、08

夏と言えばあちこちで夏祭り。博多では山笠に始まるけど、花火大会や、地域のお祭りなど。やはり夏と言うのはみんなが行動的になり、夏フェスなんかも多いけど、後お盆もある。それは自分の先祖に対して敬を向ける事だけど、祭りは賑やかで、お盆は粛々と、先祖に感謝する。夏と言うのはそんなパワーがある季節なんだなって今年気が付いたよ。

今年の俺の夏は何か落ち着かない、、、。リラックスも出来ないし、勿論墓参りも4、5年してない。今年は東京から従兄弟も来た。その従兄弟は子供の頃から犀川の田舎で夏を過ごしてた、そんな従兄弟はもう縁も切れてる父親の家にいって墓参りもしてくれたそうだ。相変わらず父親は70も過ぎてるのに自分の今の状況や周りに頼りにされてる事をオーバーアクションで豪快に話したらしい。それは俺にしてみれば常套句だ、誰でも親父の「俺はまだ若いよ!」的な話しっぷりは、俺からしたら久しぶりに会う人にとっては刺激的だろうなぁって思う。けど親父はいつも自分の話ばかりで俺の事は子供の頃から評価された事は無い。今回の従兄弟の親父に会った話を聞いても何も変わっちゃいないなと思った。多分生きてる間俺の事は認めてくれないだろうとも思った。多分俺が親父をどう思ってるかなんて分かってないと思う、、、、。冷たいかも知れないけど、俺は親父には関わりたくない、、、よくそんな意地張らずって笑われるけど、多分俺と親父にしか分からない事だろうし、従兄弟だって分からないと思う。それくらい20才で家出した時に雲がパーッと晴れた時からの俺の人生。

冷たい息子だけど俺は譲れない。

それが今の俺の人との接し方や仕事や反骨精神の原点で生きて行ってるから。碓井家では最悪な長男だけど。

夏祭り01.jpgこんな都会でも夏祭り。

夏祭り02.jpg夏祭り03.jpgこんな暑い夏祭りもあるよ。

夏祭り05.jpg毎日見る急な夕立雲。今年の俺みたいだなぁ、、、。

夏祭り06.jpgピンぼけの従兄弟FROM TOKYO。

DOGDAYS を立て直さないと。
posted by usui special at 02:45| 福岡 ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

MARCO,,,その四(樹海の中の木漏れ日)

このシリーズの反響は大きくて、いろんな人にエールや意見や心配の声や文章をもらう。自分としては凄くプライベートな事でブログなんかに綴って良いのか迷ったけど、同じような境遇の人が探す手段だとか勇気だとか挫折なんかも味わえてもらえたらと思って公開した。また今の世の中の状況を考えると、普通に両親がいて折り合いが悪かったり良かったりする家庭や家族のある人も今一度、今自分がこの時間にあ〜でもない、こ〜でもないと言いつつもこの世の中でいろんな人と繋がって暮らして行ってるのも産んでくれた母親がいるからだと再認識して頂きたい。親である人も覗いてくれてると思う、親が嫌いな人もいるだろうし、俺だって家出から始まったロクデナシ人生だし親父とも縁が切れて4年は経つ。そんな俺が言うのも変だけど、今一度、今この瞬間生きてる、生かされてる意味を考えて欲しいんだ。一人で生きて行って勝手に育ってるみたいだけど、生かされてるしこの世に意味があって産まれて来たんだと思うと、もう少し命の大切さとか当たり前の毎日や自分に降りかかる悪い事も乗り越えられと思うよ。そう命の大切さを。

7月は梅雨が明けてすぐの8日から一才の時に生き別れた実母を探し始めた。それはこのブログのMARCOシリーズで綴って来た、それから二週間で居場所が分かったけど、いろんな現実も分かった。それは母親は元気で福岡市の俺が住んでる場所から比較的近くの隣の区にいた、しかも22才の若すぎる妹も居る事も分かった。それから約一週間どうコンタクトをとるのが最善なのか迷った、、、、。最初に相談した博多区の戸籍相談の人に相談に行った、母親の過去を今の旦那さんが知らない可能性もある、勿論妹には告げてないだろう。ひょっとして今の家族が上手くいってないかも知れない、病気で入院してるかも知れない、、、など、いろんな事を想像した、、、戸籍相談の職員は「おかぁさんの実家に間に入ってもらい、お伺いを立てたらどうですか?」と言った。「実の長男なんで悪い気はしないと思いますよ」って言われた、けど俺は思った、田舎の親戚関係と言うのは上手くいってればいいけど、こじれてる所は大変な事になってる、、、実は碓井家も義母の親戚関係も凄まじいものだと俺は子供の頃から体験してたので、止めた。

一週間の間で自分の心が変化して行くのがわかった。母親の環境を考えても答えが出ない、間に人に入ってもらって自分のストレートな想いがこじれるのも嫌だ!これは俺と実の母親の事だと思い7月18日に手紙を直接投函した。勿論今の家族に迷惑をかけるわけにはいかないし、そんな権利は俺には無いけど母親に想いを伝える権利はある。

手紙は休みの日の昼間に(夜に書くと想いが強くなりすぎると思ったから)想いが届くように俺の大好きな青空のデザインの便せんと筆ペンを新調して鳥のシールで封をした。内容はその後の俺の人生と20才で家出した事や、今音楽の仕事をしてる事や、ギターを叩き折られ、譜面は焼かれ、それが逆に今の仕事になった事や、今の家族には迷惑をかけるつもりは無い事、一度会うだけでもいいし、それがダメならば顔も知らないので写真だけでもいいと綴った、、、、。約3時間もかかってしまったけど、書き直しはしなかった。実の母親に敬語はおかしいと思いながらも無心で書いた、、、、、、、、、、、。

一ヶ月をタイムリミットと自分で決めた。強靭な心で決めた!引きずりたくないと言う事と、俺は顔も知らない只事実確認してるだけ(本当にいるのなら俺を産んでくれた母親に会ってみたい)もし返事が来なくても今までの日常が戻って来るだけだ、と冷めた俺もいたし、そんな人生を送って来たんだと自分自身人として強いとかそんな次元じゃなくて本当の手放しの愛情を知らないんだなってセンチになった。今週で手紙を送って3週間が経とうとして、正直諦めた。ロクデナシにはぴったりのおちが着きそうだ、残す所あと一週間。正直毎日二回はポストを見た。携帯のNOも書いたので留守電もCHECKした、、、、、、、、、、、、、、、、。心は毎日ざわついてたけど、日々そのざわつきも落ち着いて来た、%も毎日減って行った。そんな今日

母親から返事が来た。

便せん3枚に綴られてた。初めて俺は母親とコミュニケーションをとったのだと冷静な自分がいた、とにかく母親は動揺して平常心を取り戻すのに時間がかかったと書いてあった。また今の旦那さんと娘さんには知らせてない事も分かったし、今後も家族には心配をかけたくない事も書いてあった。手紙を見て俺のその後を知って涙が出たとも書いてあった、俺は不思議と冷静だった、とにかく手紙が来た嬉しさよりも今の家族の事が気になったしよけいな事してしまったかなって想いが強かった、、、涙なんかでなかった。今はまだ動揺してて会っても涙しか出ないと思うので時間が欲しいと書いてあった、、、やはり俺は出しゃばった事をしたのだろうか?でも会う機会は作りたけど時間が欲しいと書いてあった、母親も俺と同様に死ぬまでは一度は顔をみたいだとか、もしくはこのまま当たらず触らずでいいのかもって思ってたらしい。最後の文章が気になった、、、「家族には心配かけたくないので、これからは直接携帯に電話なりメールをお願いします」と、、、、携帯NOとアドレスが書いてあった、、、、。複雑だった、、、、けど返事を書いてくれた事は嬉しかった、今の暮らしや状況は一番大事だ!いきなりの手紙、無視する事も出来たはずだけど、返事をくれた。今は平和に穏便に幸せに暮らしてる事も書いてあった、でもその事が俺には凄く強調されて感じてしまった、、、、、、。隠れてメールしたり会ったりして良いものか?母親にはリスクが大きすぎないか?まだメールはしてない、、、。

過去よりも今が大事だ。それは分かる、相変わらず母親の顔はのっぺらぼうのままだけど、こそこそ会うのは良い事なのか?会えばお互い気付いてない心の柔らかい部分が洪水の様に溢れ出しそうな気がするし想像が出来ないよぁ

jukai.jpg長年歩いて来た樹海に少しの木漏れ日がさして来た気がするけど太陽の形は見えない

DSCN1312s.jpgでもまだ樹海のまんまの光りだけど。

さんさんと光り刺す母なる大地を求めて。
posted by usui special at 03:02| 福岡 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

美しく生きる。

8月に入り怒濤の日々が続いてる、よってブログの更新も久しぶりにてごめん!やっと一区切りはついた。夏は何かとイベント事が多い、今年は特に忙しい気がするなぁ〜忙しい事は自由業にとっては良いとよく言われる事も多いけど、ここ地方都市ではそれがそのままお金に換わる忙しさではなく、ボランティア的な忙しさも多いのがたまにきずだけど。呼ばれないよりは呼ばれた方が良い、と言う考えは俺にはもう無いよ。若い頃はそれも勉強だったけど、もうそんな年でもないし仕事としてのミュージシャンも魅力も感じない。インストラクターで食べて行ってるので、それ以外は自分の表現に費やそうと決めて何年か経つ、そして結果としてそれがお金に換わるのが本望でありアーティストだと思うしそうありたい。自分の曲や言葉、音に世界観を今後の残された人生を費やしたいと思う。

美しく生きる!

何か真っ当に清純に生きて行くと言うふうに捉えがちだけど、そうじゃないよ、奇麗にと言う意味でもない、自分の価値に正直にと言うか、自分が描くイメージに忠実にと言うか。それはステージ上でもそう思う、普段から美しく生きてないとそれが出てしまうのが芸術だと思う。人として魅力的に生きてないと、どんな言葉やリズムやフレーズや格好をしていても、観たり聴いたりしてる人は要するに感じてる訳だからギャップが見えたりする。それは俺の永遠のテーマでもあるし中々答えも分からないままの毎日だけど、、、。人生をヒールを演じきって死んで行った人も人の心に残るような人ならば「美しい」と思う。THE DOORSのジムモリソンとかね。日本人で言えば先日亡くなった「赤塚不二夫」なんかは日本人にばからしい事の地位を教えた凄い人だと思う、芸術としてね。最後までバカボンのパパを演じきった人生は「美しい」と思った。俺もこれからの人生が勝負だと思うので「美しい」かそうじゃないかで判断して生きて行きたい。まだまだだけど、、。

美しく生きる01.jpg石田亜紀子ちゃんと。16日の本番まで後3回のリハがある、だいぶこちらに集中出来るようになったけど、この写真の俺は余裕のない顔してるなぁ。

美しく生きる02.jpg8月3日午前9時の久々の朝の空。

美しく生きる03.jpg美しく生きる04.jpgat CROSSING HALL。このホールで毎年夏にもう14年も演奏して来たけど、今年で最後になった。と言うのもこのホールがなくなって、この場所は結婚式場になるらしい。この場所でいろんな意味で成長して来ただけに少し寂しい思いになったよ。福岡のホールでは一番思い入れのある場所だ。

いろいろMARCOシリーズで心配してもらって申し訳ない。もう少ししたら、FINALが書けると思うよ。

いくつになっても美しいものを探したい。
posted by usui special at 02:27| 福岡 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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