このシリーズの反響は大きくて、いろんな人にエールや意見や心配の声や文章をもらう。自分としては凄くプライベートな事でブログなんかに綴って良いのか迷ったけど、同じような境遇の人が探す手段だとか勇気だとか挫折なんかも味わえてもらえたらと思って公開した。また今の世の中の状況を考えると、普通に両親がいて折り合いが悪かったり良かったりする家庭や家族のある人も今一度、今自分がこの時間にあ〜でもない、こ〜でもないと言いつつもこの世の中でいろんな人と繋がって暮らして行ってるのも産んでくれた母親がいるからだと再認識して頂きたい。親である人も覗いてくれてると思う、親が嫌いな人もいるだろうし、俺だって家出から始まったロクデナシ人生だし親父とも縁が切れて4年は経つ。そんな俺が言うのも変だけど、今一度、今この瞬間生きてる、生かされてる意味を考えて欲しいんだ。一人で生きて行って勝手に育ってるみたいだけど、生かされてるしこの世に意味があって産まれて来たんだと思うと、もう少し命の大切さとか当たり前の毎日や自分に降りかかる悪い事も乗り越えられと思うよ。そう命の大切さを。
7月は梅雨が明けてすぐの8日から一才の時に生き別れた実母を探し始めた。それはこのブログのMARCOシリーズで綴って来た、それから二週間で居場所が分かったけど、いろんな現実も分かった。それは母親は元気で福岡市の俺が住んでる場所から比較的近くの隣の区にいた、しかも22才の若すぎる妹も居る事も分かった。それから約一週間どうコンタクトをとるのが最善なのか迷った、、、、。最初に相談した博多区の戸籍相談の人に相談に行った、母親の過去を今の旦那さんが知らない可能性もある、勿論妹には告げてないだろう。ひょっとして今の家族が上手くいってないかも知れない、病気で入院してるかも知れない、、、など、いろんな事を想像した、、、戸籍相談の職員は「おかぁさんの実家に間に入ってもらい、お伺いを立てたらどうですか?」と言った。「実の長男なんで悪い気はしないと思いますよ」って言われた、けど俺は思った、田舎の親戚関係と言うのは上手くいってればいいけど、こじれてる所は大変な事になってる、、、実は碓井家も義母の親戚関係も凄まじいものだと俺は子供の頃から体験してたので、止めた。
一週間の間で自分の心が変化して行くのがわかった。母親の環境を考えても答えが出ない、間に人に入ってもらって自分のストレートな想いがこじれるのも嫌だ!これは俺と実の母親の事だと思い7月18日に手紙を直接投函した。勿論今の家族に迷惑をかけるわけにはいかないし、そんな権利は俺には無いけど母親に想いを伝える権利はある。
手紙は休みの日の昼間に(夜に書くと想いが強くなりすぎると思ったから)想いが届くように俺の大好きな青空のデザインの便せんと筆ペンを新調して鳥のシールで封をした。内容はその後の俺の人生と20才で家出した事や、今音楽の仕事をしてる事や、ギターを叩き折られ、譜面は焼かれ、それが逆に今の仕事になった事や、今の家族には迷惑をかけるつもりは無い事、一度会うだけでもいいし、それがダメならば顔も知らないので写真だけでもいいと綴った、、、、。約3時間もかかってしまったけど、書き直しはしなかった。実の母親に敬語はおかしいと思いながらも無心で書いた、、、、、、、、、、、。
一ヶ月をタイムリミットと自分で決めた。強靭な心で決めた!引きずりたくないと言う事と、俺は顔も知らない只事実確認してるだけ(本当にいるのなら俺を産んでくれた母親に会ってみたい)もし返事が来なくても今までの日常が戻って来るだけだ、と冷めた俺もいたし、そんな人生を送って来たんだと自分自身人として強いとかそんな次元じゃなくて本当の手放しの愛情を知らないんだなってセンチになった。今週で手紙を送って3週間が経とうとして、正直諦めた。ロクデナシにはぴったりのおちが着きそうだ、残す所あと一週間。正直毎日二回はポストを見た。携帯のNOも書いたので留守電もCHECKした、、、、、、、、、、、、、、、、。心は毎日ざわついてたけど、日々そのざわつきも落ち着いて来た、%も毎日減って行った。そんな今日
母親から返事が来た。便せん3枚に綴られてた。初めて俺は母親とコミュニケーションをとったのだと冷静な自分がいた、とにかく母親は動揺して平常心を取り戻すのに時間がかかったと書いてあった。また今の旦那さんと娘さんには知らせてない事も分かったし、今後も家族には心配をかけたくない事も書いてあった。手紙を見て俺のその後を知って涙が出たとも書いてあった、俺は不思議と冷静だった、とにかく手紙が来た嬉しさよりも今の家族の事が気になったしよけいな事してしまったかなって想いが強かった、、、涙なんかでなかった。今はまだ動揺してて会っても涙しか出ないと思うので時間が欲しいと書いてあった、、、やはり俺は出しゃばった事をしたのだろうか?でも会う機会は作りたけど時間が欲しいと書いてあった、母親も俺と同様に死ぬまでは一度は顔をみたいだとか、もしくはこのまま当たらず触らずでいいのかもって思ってたらしい。最後の文章が気になった、、、「家族には心配かけたくないので、これからは直接携帯に電話なりメールをお願いします」と、、、、携帯NOとアドレスが書いてあった、、、、。複雑だった、、、、けど返事を書いてくれた事は嬉しかった、今の暮らしや状況は一番大事だ!いきなりの手紙、無視する事も出来たはずだけど、返事をくれた。今は平和に穏便に幸せに暮らしてる事も書いてあった、でもその事が俺には凄く強調されて感じてしまった、、、、、、。隠れてメールしたり会ったりして良いものか?母親にはリスクが大きすぎないか?まだメールはしてない、、、。
過去よりも今が大事だ。それは分かる、相変わらず母親の顔はのっぺらぼうのままだけど、こそこそ会うのは良い事なのか?会えばお互い気付いてない心の柔らかい部分が洪水の様に溢れ出しそうな気がするし想像が出来ないよぁ

長年歩いて来た樹海に少しの木漏れ日がさして来た気がするけど太陽の形は見えない
。

でもまだ樹海のまんまの光りだけど。
さんさんと光り刺す母なる大地を求めて。
posted by usui special at 03:02| 福岡 ☁|
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