2008年09月29日

空も秋色

秋がやって来た。週末は天気が崩れたけど、夜は長袖じゃないと肌寒いけど湿気が多いので部屋の中の方が蒸し蒸しする。高校生の頃のチャリでのKYOKOちゃん話は以前書いたけど、まだ秋の乾いたすっとした空気で脳みその海馬を刺激して思い出す事がまだある。24才の春にインストラクターのオーディションに受かり、その頃俺はサラリーマンだった、そしてその一年後の25才の春から二足のわらじを履くようになった。水曜日と仕事が休みの土曜日だけ会社には内緒でギターのインストラクターをやりはじめた、そんな夏の初めに総務部の部長に声をかけられた。『大事な話があるので後で支社長室に来て。」、、、やばい完璧に二足のわらじがバレて支社長自らの解雇宣告か?

その会社では九州支店のコンピューター室に所属してて、一つ上の先輩、俺、一年後に入って来た後輩、年下だけど先輩の女子社員、入ったばかりの後輩二人が所属してた。俺はプログラムを作ったり日常業務なんかをやってた。

ノックをして支社長室に入ると、支社長と総務部長が何か談話をしてて支社長は関西弁で「おう!碓井君まぁ座りーな。」そうすると物腰の柔らかな部長が話しはじめた。内容はコンピューター室の体制に関してだった、一つ上の先輩は正直評判があまり良くなかった、営業部からも苦情が出てたのは知ってた。その話が終わると支社長はまた関西弁で「碓井君!ほな頼むで。」と部屋を出て行き待たせておいた車に乗り込み本社のある大阪へ帰って行った。

話の内容は、先輩をコンピューター室から外して俺はまだ若いから役職はつけれないのでコンピューターには無縁の営業部から窓口として係長を置き、コンピューター室を碓井体制で自由に回してくれとの事だった、、、複雑だった、、、期待してくれるのは嬉し

い、、、その一週間後に部長に退職願を出した。その一週間誰に相談したとか、どんな心理状態だったかとかは憶えてないけど、好きで始めたギターで僅かながらお金をもらえるようになって三ヶ月。最初はバイト感覚だったかもしれない、、、ギターだけでは全然食えない、車も買ったばかりだった、、、サラリーマンとしては嬉しい話だろうと客観的な自分がいたけど、正直その当時仕事が終わって開放感を得ていたのはやはり音楽やギターを弾く俺だった、かっこうや着るスーツもエリートサラリーマンとは全然違っていて、毎日通勤で前を通るガソリンスタンドではミュージシャンが帰りよぉとかって後日分かった事だけど噂してたらしい。

退職願を出した直後に総務部長と大阪の本社での会議に行かなくてはならなかった、正直気まずかったし、まだ正式に受理もされて無かった。日帰りで新大阪駅でビールとつまみを買い込み新幹線に乗った。車内で乾杯をし3時間半の二人の時間が始まった、、、部長は物腰が柔らかくいつも遅刻する俺にも寛大だった、そんな部長が自分の息子の話を始めた、「碓井君。俺の息子は絵を描くのが凄く好きなんよ」「中学校の美術の先生になってね、私も夢が叶ったって喜んでた矢先に、、、、(沈黙)、、、、やはり絵描きになりたいって言いだしてねぇ、、、、」「結局教師を辞めて、、、絵描きを目指しとるよハッハッハッ、、、、その道では食えてないんやけどねぇ、、、、、」俺はずっと無言だった、すると部長は唐突に「碓井君には正直やめて欲しくはないんよ、、、会社的にはね、、、、けどねぇ碓井君がただ、今時の若い奴みたいに仕事が嫌でやめるんやったら絶対止めるけど、、、、やりたい事があってそれで花開くかは分からんけども、、、、、その道に進むんやったら俺は反対は出来んよ、、、、、、、」「支社長には俺から話とくから。」って笑ってくれた。その3時間半は鮮明に憶えてる。

その一ヶ月後の8月いっぱいで引き継ぎも終えその会社を後にした。それからが怒濤のバイト生活が始まる、家賃も払えない状況で、車はすぐに売り飛ばし、税金はまとめて請求が来るし、やれ国民年金や国民健康保険証の短冊みたいな振り込み用紙は送られて来るわで、、、、会社を辞めてすぐに髪の一部分を金髪に染めた、、、それは俺にとって儀式でもあった(もうこの世界には戻れないように)。そんな中俺にしか分からない事があって会社に行ったけどね(笑)

レッスンが夕方からあったのでバイトにも制限されたので、早朝から昼や午後三時までの青果市場でバイトする事に決めた。それが今の季節のこの時期だ、その仕事内容は過酷で朝6時からはじまる。30キロはある白菜を100箱も一人でトラックに積んだ事もある、そんな市場は高校中退したヤンキーなんかも多く、名前も憶えてもらえずに「おーい!アルバイト!」と、こき使われた。金のない俺は市場の数件ある食堂でお昼は一人で、肉焼き(豚肉を塩こしょうで炒めたやつ)と小御飯で¥350で何とかしのいだけど、豚肉旨かったなぁ〜。

そんなこの時期の空気で思い出す事は、朝7時過ぎから道路に面したサニー専用の出荷場所でトラックに仕分けしてると、前の会社の仲良かった後輩や同じコンピューター室の女子社員がその道を車で出勤する。そこで車のクラクションを俺に向けて鳴らす、、、笑顔で手を振って行ったりする事もあった、、、、向こうは俺にエールを送ってくれてるのは

分かるけど俺何やってんだぁ〜と凄く寂しい疎外感のシーンを思い出すよ。

空は01.jpg空は02.jpg

空も秋色。
この季節は空の青さとか雲が素晴らしい。空も高いしね。

昼休みに市場の駐車場の屋上で寝転んでた時と同じ空
posted by usui special at 02:47| 福岡 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月27日

CLOSE YOUR EYES

瞳を閉じれば、あなたが私に微笑みかけるよ。

真っ暗なCOCKPITでヘッドフォンで聴いたら涙が出て来た。何でだろう?
posted by usui special at 03:33| 福岡 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

MCR,,,08 秋分の日。

ミッドチャリランニン!略してMCRにしてみた。ロングはLCRになるのでよろしく!九月も終盤にさしかかったのに昼間は三十度ちかくあるし、湿気が凄いので少し歩いたり、チャリ漕いでも汗が出て来るよ。夜も外はひんやりしてるけど部屋の中はまだ蒸し蒸ししてて飯食ったるする時は冷房が必要だ。中々KYOKOちゃんとのチャリ二人乗りのあの頃の高校生の時の秋のシーンを感じる風はまだ吹いてくれない(毎年この風が吹いてそのシーンが頭をよぎると俺の秋が始まる)。秋分の日は何の予定も久々無い事にその日の数日前に気付いたので、前日に同級生の友達に無理言ってチャリで遊びに行く事になった。その友達は同級生だけど、家出して博多に出て来た後に二十歳くらいに知り合った友達だ、彼はヴォーカリストで若い頃はちょっと一緒にバンドもやってて、でも彼は若くして東京へ上京した。メジャーデビューの一歩手前までいった、上京してたのは知ってたけどその後東京で会う事も無く、連絡先も知らないままお互いの心の奥底で良い思い出としてしまい込んでたと思う。再会したのは今から5年前でのZEPPでの事で、俺は当時やってたSTRINGS COMPANYと言うギター2本のユニットのバンドヴァージョンとTHE ACOUSTICSのバックでステージに立ってた、そこへ客として来てた友達が俺を見て「あっ!あれ、ゆう坊やないかいな?)って後日聞くと思ったらしい。そうだ昔の友達には「ゆう坊」って呼ばれてた。それから某スタジオで再会した。話を聞くと博多に帰って来て結婚したばっかりだった、そして今でもスタジオで仕事したり、ヴォーカルの仕事もしてる、みんなが聞いた事があるCMソングも歌ってるよ。今でもスタジオなんかで週一くらいは会うのでいろんな話したり親友だと俺は勝手に思ってる、やはり同じ年と言うのは同じ時代の空気感を過ごして来てるので話も早いし言葉にしないでも分かり合える事も多いよ、そんな友達も数少ないけど。今回母親の件も真剣に考えてくれてるし心の支えになってる。そんな彼にも子供が出来て人の親となり、だからこそ俺の今の状況の話も真剣

に聞いてくれる。心からどうもありがとう!

今回はその友達の家を目指してMCL!奥さんや子供にもまだ会っていなかったので、とても楽しみだった。

08秋01.jpg08秋02.jpg今回は遅いスタートで16時過ぎに家を出た。このミニストップは親父と縁が切れる前に犀川町へ帰省してた時に必ず車で寄ってたコンビニだ。懐かしいなぁ。

08秋03.jpg08秋04.jpgそう今回はチャリでは戸籍を取りに行った東区役所以来の東区を目指した。東区役所は箱崎にあり、以前多々良川までは言った事はあるけどそれよりも東は初めてだ。

08秋05.jpg08秋06.jpg福北豊線とフェンシング銀メダルおめでとぉう!

08秋07.jpg08秋08.jpg多々良川で一服。東区のオアシスだ、遊歩道やランニングしてる人、子供と戯れてる人、釣りをしてる人。癒しのスポットだし、わざわざ行ってもいいと思うよ。

08秋09.jpg目的地は小高い丘の上にあり、最後でチャリでは汗が吹き出たけど曇りの中の太陽に救われた。

08秋11.jpg08秋10.jpg到着!この家のベランダがこの見晴らしL to R!素晴らしい。ベランダが10帖以上あって見晴らしは最高!

08秋12.jpgケンタロスと俺、広いベランダにて、こんな環境はケンタロスはしあわせものだ。

08秋14.jpg08秋15.jpgそのベランダでバーベキュー!最高でした。後奥さんが焼いてくれた卵焼きが旨かったよ。友達は島美人のペースが早めで途中からおじいちゃんになりました。

そこには当たり前だけど、普通の当たり前の俺には分からない家族という形がありました。

手放しのBIG LOVEをまた教えてもらった。


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2008年09月22日

Party ! with student

ギターを弾いて暮らすようになってもう17年くらいになる。10代の頃は予想もしてなかったし、また音楽が仕事になるとは夢にも思っていなかった。けどそれはアーティストではなくインストラクターが主な収入源だけど、いまでもアーティストになりたいと思ってる。勿論ギターを弾いて暮らしてる訳だから音楽が仕事だ、インストラクターとして事務所にも所属してて、独自に楽器店とインストラクター契約したり個人的にスタジオ借りてLESSONしたりして暮らしてる。これは決して自分が思い描いてた音楽で暮らして行く方法とは違う、アーティストとして暮らして行ってる人が本当の自分の奏でるギターの音色や世界で暮らしてる人だと思う。数は少ないと思うけど、今でもそうなりたいと思うし、自分が憧れた人達はみんなそちら側だ。それを勘違いしてこの地方都市では自らミュージシャンの人が多いし多分東京じゃ五万といる仕事人にしか過ぎないと思うしこの地方都市の福岡で成り立ってる事だと思う。

インストラクターとしてしか露出してない自分はあまり好きではない(YOUTUBEなんかね)毎月役80名近くの生徒さんと接してる、それは嬉しい限りだ。みんな年齢も違うし思いや、こうなりたい、あーなりたい事も違う日常に何か自分が役に立てれば嬉しいと思う事がインストラクター業の原点にある。音楽とともにそれぞれある人生に少し手助けが出来れば嬉しく思う、決して上からLESSONはしたくない、それが例えばたまたまそのアーティストのアルバムを聴いて影響されて志したのが俺であれば別だけど、音楽をより良く楽しむ為のLESSONのインストラクターと言うはざまの仕事だと言う事はいつも気に

してる。その人の音楽の世界観の指南役。インストラクターはそこを決して勘違いしてはいけないと思う。憧れられた曲を持ったアーティストでは決してないからね。


PARTY01.jpgPARTY02.jpgそんな生徒さんたちと年に二回ある生徒さんたちとの横の懇親会。

PARTY03.jpg20人ちょっと集まった”碓井組”懇親会だ。幹事も生徒さんがやってくれてる。主役は俺じゃなく生徒さんの横の繋がりで、きっかけは俺かも知れないけど会社も立場も年齢も性別も違う人達が胸に名札をつけてのPARTY!



今日は約三ヶ月ぶりに日曜日の午後を自宅で過ごした、丸々休みではなく昼間は約4時間ほど仕事だったけど、16時過ぎに帰宅してベランダでタバコを燻らせてると日曜の不思議な空気感の違いを感じた、言葉には出来ないけどゆる〜い空気が漂ってる。車の音も違うし何か空気も違う気がした。

それは凄く開放的な感じがした。

PARTY04.jpg日曜の午前中の雨上がりの晴れ。

日曜日は一番大事な曜日かも知れない。
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2008年09月20日

MARCO,,,そのロクデナシ(それぞれの曲がり角)

正直何も進展は無い、、、。よって今回は今の自分の気持ちとかを綴ろうと思ってる。このシリーズは凄く重い内容でプライベートな事なので、気を使って何も聞いて来ない人も多いけど凄く気にしてくれてるのも分かるので、このブログで今の心情とかは書いて行こうと思う。前回まで書いてたけど期限を決めて答えを出そうって思ってた俺がいた。それは実は本当の腹を痛めて産んでくれた母親像って言うのが分からない俺が今もいるから、どうしても他人との接し方と変わらない事も分かった、、、。けど今日同じ年の友達と久々に長い時間話してて(彼は会える事を待望してくれてる)いろんな側面で話した。彼と話すと俺の心は凄く勇気や希望やリラックスをもらえる、そんな彼も真剣に考えてくれる、いろんなケースを考えてくれる、その友達も人の親だし俺よりも家族や母親や息子とかは俺よりも分かってると思う。

俺は親父と縁が切れて数年経つ。そんな話をするとたいてい笑いながら「そうお互い意地張らず!」って笑われる、でも俺は冷たい人間かも知れないけど関わりたくないって書くと薄っぺらいけど、俺の心の底にある愛情とかDNAとか親父や義母への想いは言葉には出来ないくらい特別なものである。最低の息子って言われても良いけど今後一切関わりたくない。憎しみや恨みは無いよ、何でこんなになったのかも自分で分からないけど慈しみも

ない。一般的には最低な息子だ。そう言われても全然結構なくらいの俺の人生があの家ではあった。

生みの母親に関してはやはり手紙を冷静に読み直したり、「メールします」からひと月以上何も無い、、、今の家族に知られたくないのももの凄く分かったし、この状況に困ってるかも知れないとか狭間で辛い想いしてるんじゃないかとか、いろいろ考えたけど、そんな考えこそがBIG LOVEじゃないんだって今日思った。そんな赤の他人に気を使うような想いこそが俺の欠落してる部分じゃないかと思った。もっと本能を出せ!多分俺は赤ん坊の頃からそれが許されない状況の中で顔色ばかリ伺って丸く治めようとして来た人生だったと今日友達に告白をして感じたよ。母親に会えば何かわからない本能の部分が変わるんじゃないかと思った。今はまだ分からないけど、今日それを確信した。一度でもいいから会いたいと思えるようになった。だって俺を10ヶ月お腹で栄養を与え続けこの世に痛い思いして産み落としてくれた人だから、俺にとって一番大事な人!この人がいなかったら今の俺は存在してないと思うと、そんな大人の事情や建前ではなく本能で接しないとおかしいと思った。

それぞれの曲がり角があって今の人生があるけど、今の状況が一番大切だ!と言うのも分かるけど、自分のこの世のROOT'Sはもっと大事だと思った。よって連絡を待ってみる事にした、断られる可能性も充分あるけど、今の状況が大事だから、、、けど俺の本能に大人の事情を入れる事は止めようと今夜思った

それぞれの01.jpg今日の絶品!鯛の酒蒸し、酢醤油でどうぞ。

どんな困難や状況でも腐らず希望を持ちたいね!
posted by usui special at 03:37| 福岡 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月17日

カレーライス

「カレーでいいっすか?」電話の向こうの声は、何の計算もなく尋ねて来た。俺は少し戸惑って「、、、あっ、、いいよ、、、ふふっ、、、」意味も無く少しはにかんでしまった。「もう来ます?」って聞いて来たので「19時くらいに行くね、、、近くに行ったらまた電話するよ。」よくある会話のように思えるけど、俺の方が明らかに自然に接する事 

に戸惑ってた。「カレーでいいっすか?」が嬉しかったし何か心の柔らかい部分に響いた。そんな俺は確実に病んでるんだなとも思った。これは祭日の日に友達の家に遊びに行く約束をしてて、その当日のTELでの会話だ。

その友達は年も俺よりはグッと若いし最近新しい彼女と一緒に暮らし始めて、その家に遊びに行った。ビールのロング缶4本とお気に入りのチリワインとつまみを少々買って行った、家の近くでTELするとわざわざ大通りまで出て来て薄暗い中手を振ってた。そこから入り組んだ路地裏に入り「これ一人じゃ分からんやったわ」とか言いながら二階の部屋へ階段をのぼった。ドアをあけると狭い玄関にすぐの台所が何か懐かしかった、その台所には初めて会う女性がせっせと炊事をしてた。俺は軽い会釈をし、その彼女も恥じらいを持った会釈をした、俺は「はじめまして、、、」その彼女は何も言わずに笑顔で頭を下げた。
決して広いとは言えないその間取りは懐かしくもあり、でも居心地は良さそうだとすぐに感じた。俺は部屋や場所や町やその土地に行くと気が合う合わないをすぐに感じてしまう。二つしか無い部屋の奥が友達の部屋らしくすぐにそこに通された、そこでCD聞いたりいろんな話をしてると友達がお茶を「とりあえずお茶でも」って持って来てくれた、そのお茶がおいしかったので友達に「これ何茶?」って聞くと、ドア越しに彼女に尋ねてた、結構なやり取りが横目で見えたけど、結局「いつものお茶らしいっす」って友達は笑ってた。1時間くらいは過ぎただろうか、友達が「もう食べれます?」って隣の部屋に移動した、部屋を出るとカレーの良い匂いが充満してて、テーブルを並べて二人のお気に入りのテーブルと椅子だと説明され、そのとき初めて彼女の名前を紹介された。俺も「碓井です。」と新ためてまだ20代の彼女の挨拶した、物静かな彼女は恥ずかしそうにしてた。

友達も俺に気を使ってリビングでもいろんなCDをひっきりなしにかけてくた、するとかわいらしいどんぶり茶碗につがれたカレーライスが運ばれて来た。「すみません、まだうちにはカレー皿がなくて、、、」って恥ずかしそうに彼女が言った。そのどんぶり茶碗も二つしか無く、彼女は違う茶碗によそって、ビールで乾杯した。とてもおいしいきのこカレーだった。おからで作ったポテトサラダ風も最高だった。それからその部屋にはでかすぎる液晶TVを観ながら過ごした、そんな彼女は出しゃばる訳でもなく空気のように存在して、俺の質問にはいつもはにかんでた。玄関先で飼ってる金魚は放生会で釣って来てもう二匹死んだって笑ってた。

帰りにも友達は当たり前のようにまた大通りまで送ってくれた。何かうれしかった、凄く嬉しかった、決して広くはないその部屋には当たり前の愛や情が漂ってた。彼女も当たり前のように空気のように存在して、友達も当たり前のようにむしろ身内のようになんの裏表もなく俺を部屋へ迎え入れ、当たり前のようにカレーライスを御馳走し、その部屋にはまだ俺からすると若い若い愛を受け渡し、受け入れた男女の夢や希望やしあわせがありました。当たり前の事書いてるのも分かってる、自分が若い頃の事も思い出した、けど「カレーでいいっすか?」って言葉には大きな大きな人としての愛や情が当たり前のようにつまってる気がした。それがそのまんまあの部屋には寸分の狂いも無く溢れてたのに感動した。

カレー01.jpgお気に入りのテーブルでお気に入りの焼酎も御馳走になったよ。

カレー02.jpgカレー03.jpgGOLDEN DAYS。

深夜2時の帰り道涙がなぜか溢れて来た。
posted by usui special at 03:13| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

今月のアルバム,,,08 Sep

髪を切った。俺は基本的に自然な髪型が好きなので、手入れもあまりいらないパーマをかけて、朝起きてもそのままでムースだけをつければいい髪型になって10数年になる。よってドライヤーも使わないし、ブラシなんかはもってのほかで手グシで整えられるのが当たり前になってる。また手を使う仕事なので、WAXとか油系はギターのネックが気持ち悪くなるので、ライブとか撮影の時にしか使わない。手入れが楽なパーマ、しかも髪も長めなので寝癖もつかないし、ついてもパーマがかかってるので手グシで直せる、そんな髪型にもう20年くらい同じ年の男性スタイリストに切ってもらってる。いつも大体は任せるんだけどテーマだけは告げる、例えば「秋の風になびいてるようなウェーブ』とか「ファーラーフォーセットのように」とか。そのお店にはカラーリストというカラー専門のスタイリストもいて、数は少ないらしい。彼にも同じような注文を出すよ。

今月のアルバム!

今月は指摘を受ける前に早めに!仕事がらいろんな人にCDを渡される、こんなかっこいいバンド是非聴いてみて下さいとか。それはその人が持ってる世界観の中で響いてるサウンドで自分の知らない世界のかっこ良いサウンドに巡り会ったり、また今流行ってるサウンドに触れる事も出来るし、インディーズのどうしようもないサウンドもあるし、良い線行ってるけど、仲良しバンドごっこだなとか。そこには抜けてるか抜けてないがキーワードになる、旨い下手は二の次で、演奏はうまくなったけど新しいリスナーはゲット出来ないだろうなとか分かるようになった。近しいバンドならばそんな俺の意見も言うけど、大学のサークルのりバンドが多い気がするよ。

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LEZ ZEPPELIN

2004年の結成以来、NYCのガールズZeppelinカルテットは、今いる最もエキサイティングなライブアクトと各メディアから大絶賛されている。
彼女達はLed Zeppelinにオマージュを捧げる初の女性ロックバンドで、各所からべた褒めの批評を獲得している。Lez Zeppelinは本家の大胆不敵なミュージック・スピリットに忠実で、もっぱらソールドアウトとなっている彼女達のライブで、伝説的ロックバンドの激しいアレンジとモンスター・サウンドを観客に届ける。しかし、本家にはなく彼女達だけに固有の色というのがある。それは、性別不明のパフォーマンスだ。

あれは、2003年半ば頃のある日、自分のニューヨークのアパートの部屋に友達と居たときに、ステレオをセットアップして、Zeppelinをかなりラウドにプレイしていたの。空っぽの部屋でね、それが多分物理学的引力の関係かしら、そのとき私は彼女に言ったのを覚えてる。「どんな曲も演奏できるミュージシャンになれるというおとぎ話があるのなら、これだわ。Zeppelin女の子バンドを結成するって。」言った瞬間から、それはその時の(多分人生最大の)最高のアイディアを考え付いたわって感じたわ。--ステフ・ペインズ--

2004年にギターのステフがLez Zeppelinを結成。
結成以前はお互メンバーのこ とは誰も知らなかったのだが口伝えに“こういうバンドを作りたい"と言っていたら、知り合いが色々と紹介をしてくれて、驚いた事に、思った以上に意外と簡単にこのグループが集まった。
G.ステフとB.リサ、そこにオーストラリア人のVo.サラが加入。その後、ドラマーヘレンが加わったことで、'04年に現在のメンバーとなった。この中でステフはロニー・スペクター('60年代に活躍したガールズ・グループTHE RONETTESのリード・シンガーだった人物)のツアー・メンバーとしてプレイした実績があり、サラはニューヨークでミュージカル女優として活動していた後、ラスヴェガスでもあのQUEENのミュージカル『WE WILL ROCK YOU』にも出演したことのあるなど、その美貌も注目を集めている。

彼女達は、伝説的プロデューサーEddie Kramer(Led Zeppelin, Jimmy Hendrix, KISS, Lauren Hill)によるデビューアルバムをリリースしたばかり。このレコードは、世界中でEmanation Records/Redeye Distributionからリリースされた。

LEZ ZEPPELINはいわばコピーバンド、いまはトリピュートバンドというのかな。あの伝説のツェッペリンのトリピュートバンドでしかも全員女で、しかもイギリスではなくニューヨーク出身てのがしびれた、しかも本物のプロデューサーのエディークレイマーを従えてのアルバム!このバンドは雑誌で観て知ってはいたけど、やっと今年日本デビューしたアルバムを貸してくれたので聴いたらしびれた。そこまでものまねしてる訳ではないけど演奏も上手いし、オリジナル曲もツェッペリンぽいのも笑顔が出てしまう。特に感動したのがカシミールの音の作り方が本物のプロデューサーだけあって、思わずうなずいてしまった。今の日本の音楽業界も見習うべきだと思う、こんなバンドでも世界デビュー出来るくらいの過去の遺産へのリスペクトを商業主義だけの日本の音楽状況へfuck off!

試聴はこちら http://listen.jp/store/album_ctcr14584.htm

08 sep01.jpg1年半ぶりのSATOSHI!アルバム「媚薬」のロイヤリティーを渡してなかったので久しぶりの再開。

08 sep02.jpg現DOGDAYS!久々3人で盛り上がって、二次会はケイタクのタクヤも参加の乱痴気騒ぎ!

この世界は横と縦の繋がりが大事だと思う。

それを大事にしないで勘違いしてる奴が消えて行く、間違いなく。
posted by usui special at 03:02| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月09日

秋ーMODE

秋らしくはなって来たけど決定的な秋をまだ感じられない。それは俺の個人的なフィーリングだけど、それは乾いた風や匂いと日差しの光りの色などなど、、、。空の高さもまだ低い気がする、あっそれとアコースティックギターの鳴りは決定的に違いを感じる、言葉には出来ないけど、じゃっかんギターが軽く感じたりするし軽くつま弾いても音が抜ける

と言うか心地良い。そして『ある風』を感じると必ず高校生の頃の文化祭を思い出すし、当時好きだった女の子を自転車の後ろに乗っけて走ってる場面が、映画を見てるように客観的にようするにカメラに写ってる二人として登場する。場所ははっきりは憶えてないけど、その娘が通ってた高校の近くで緩やかな坂道で周りは山や田園風景で、俺はその娘の事が好きでその娘の気持ちはまだ分からないけど良い感じの二人、勿論二人とも制服で、風が少し強い放課後の光りで、その娘は長い髪をはためかせ、俺は一生懸命立ち漕ぎをして、その娘は俺の腰に手を回さずに恥じらいを持って支えて、何が楽しいのか二人とも大きな口を開けて満面な笑みで笑ってる場面。それは毎年思い出す、その恋は叶わなかったけど、、、。その場面の色や気温や気持ちを「ある風」が毎年思い出させてくれる。それを感じると俺の秋が始まる。

今年は自分に負荷をかけたり本を切らさずに読もうとか筋トレしたりとか、この7月から英語の勉強は出来てないので再開したいと思うし、去年の11月に知覧の特攻記念館に行ったのが引き金になって戦争の歴史に興味が出て来たのもあって、生徒さんで歴史や戦争にめちゃくちゃ詳しい50代の男性に戦争もののDVDを借りた。約30本ほど第二次大戦を中心に日本ものや海外での出来事の映画を観た。本も切らさずに読んでるよ、大体2、3冊同時進行だけど中には三ヶ月かけて合間合間に読んだものもある。一番最近読み終わったのは夏目漱石の「三四郎」。また推理小説が読みたくなったので内田康夫で一息ついて、また海外の古典小説でも挑戦しようと思ってる。またこの秋までには新生DOGDAYSのオープニングで流す為の曲をRECする予定だ、頭ではパズルのように鳴ってるので後はキャンバスにデッサンはしないので(最初の一筆で構図を創る)色を塗って行く。それがDOGDAYSの表現にしてる、要するに自分の内面の音。無意識との会話と言うか。多分その曲がDOGDAYS第二弾の世界観を導くであろうと思うし自分でも楽しみでもある。

秋MODE01.jpg今日、空を見上げるとドラゴンのような雲だった。

秋MODE02.jpg生徒さんが第二弾のDVDを貸してくれた。二段になってるので多分50本くらいはあると思う、、、まだ第一弾も返してないと言うのに、有り難い。

まだまだ知りたいし成長したい。
posted by usui special at 02:25| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月07日

音色

どんなブランドの服が好きだとか、バッグはどこのとか靴はこのスニーカーに限るだとか、車は絶対TOYOTAだとか、好きな音楽はこれだ!とか好きな女性のしぐさはここにぐっとくるとか、男性の手の血管にセクシーさを感じるとか、まぁ〜人はそれぞれに勝手にフェチシズムが人の数ほどある。それがあるのが正常な人と思うけど、食べ物の好き嫌いだってそうだし、受け付けない異性のタイプだってそうだ。でも長渕剛はI LOVE YOUと言う曲で、そんなことより目の前のおまえを裸ににして、その胸にシャブリつく事が愛だと歌ってる、、、分かる気がするけど次元も違う気がする。愛を交わし合う時と個人の世界観や好みとはSTAGEは違うと思うけど、剛が言いたい事もよくわかるし俺もそう思った事は多々ある。

音楽。特にギターに特化して言えばフェチシズムがないとそれは個性も無い事になる。それはどんなギターを使ってるとかアンプは?エフェクツは?とか、その人がどんな言葉でどんな音色をどんなルックスで奏でてるかが全てマッチしてないと痛いと思うし、それがバッチリかみ合ってる事が共感を得ると思う。そんな人達が活躍出来ると思う。ダリがあのルックスであの絵を描いてる、岡本太郎があんなキャラであの絵を描いてる、シドバレットがあのルックスでPINK FLOYDの初期を創りだしてすぐに脱退する、ジミヘンが黒人なのにあんなギタープレイでイギリスから白人二人を従えてデビューする。まだまだあるけど、俺からすれば全て素晴らしい芸術で、全てが寸分の狂いも無くハマってるように思える。そこには音楽に関して言えば音が圧倒的な支配をする、それがまたギターに特化すれば歌詞とかじゃなくてギターの音色。

初めて買ったアンプは高校一年生の時に、親父は断固として反対だったけど、当時我が家には義母の実の息子夫婦が同居してて、そのしげあき兄ちゃんが苦労して説得してくれて手に入れたアンプだ。

ga1000.jpgGUYATONE FLIP!オール真空管で60wだったけどゲインチャンネルは良い歪みしてたなぁ。高校生の頃は全てこれでやってた。

次に本格的にバンドをやるようになってメインで頑張ってくれたのがこいつだ。

DSC01020-lg.jpgMARSHALL BLUESBREAKERS!これは60年代にクラプトンが使って有名になったやつの最初のリイシューだ、確か手に入れたのは新品で88年くらいかな?そのご6年後くらいにLONDONに行く為の資金にする為にスタジオに売ってしまった。

それからインストラクターになった俺は自分のアンプを持ってなかった、そうだ自分の音色が無いいろんな音を出そうとしてた時代はYAMAHAのスタジオにあったこれまた名器のRED'SのSHAKEさんもデビューしてからもずっと使ってたアンプを使ってた。

yamaha.f100-115.1128.2006.8.13.jpgこれは俺の人生初のトランジスターアンプだったので、歪みのエフェクツはマッチレス使ったり試行錯誤した。

それからやはり真空管の歪むアンプが欲しくて、当時Z-BACKというバンドのギターの平ちゃんが使ってたアンプを譲り受けた、見た目は全然違うけどこれは今だに名器で元ストリートスライダースの蘭丸も使ってるFENDER THE TWIN!今はルックスも変わってるけどつまみが赤い80年代のモデルが今だに人気あるよ、ミッシェルガンエレファントのギターが使ってた。俺のは今だにYAMAHAのスタジオで現役だけどドライブチャンネルがやられてて、クリーンチャンネルを使用中。

ga1000.jpg俺のはつまみが黒くて、スピーカーネットがラメ入りの布に交換されてる100wあるので音も出かいし一番お世話になったアンプだ。何回真空管を交換した事か、、、、。

DOGDAYのSOLOをやるようになって大きなダイナミクスの音が欲しくなり、ギターもシングルコイルからハムバッカーのギターに持ち替えた、時によりパワフルなアンプが欲しくなった。ちょうどそのころX JAPANのPATAなんかのアンプのモディファイやメンテナンスをやってる人と出会って「PINK FLOYDのデビットギルモアみたいなが音が出るアンプ」って話をしてたら、ひと月後くらいにMARSHALLのプレキシ、1959MK−IIを俺の好みを考えて改造したアンプのヘッドを持って来てくれた。それはMARSHALLでもなくFENDERでもない歪みで気に入ったので手に入れた、100wでDOGDAYのライブでしか使ってないくらい、使い回しが出来ないアンプだ。以前もとROCKERSの鶴川さんレコーディンで貸したけど、使いきれないって言われたあばずれのお気に入りだ。

marshalljmp1959.jpgいろいろ改造してあって原型をとどめてないアンプだけど、男らしいアンプだ。

レコーディングの時はMARASHALLの100WをブースでフルにならしてコンソールルームでRECした事もあるけど、いまのモデリング技術は凄くて、アンプシュミレーターで充分本物の音が残せるようになって10年は経つ。俺もCOCKPITではギターアンプはない、LINE6のLIVE PODでいろんな音がしかもノイズレスで録れる、ライブではずっと真空管にこだわってたけど、8月のバックのイベントでサンパレスながらアンプがROLANDのJC−120だった、俺の一番嫌いなアンプだったけど、バックバンドだしどうしようと思ってた所で、こいつに出会った。と言うのもアンプが歪まない事を前提にいろんな歪みが出せるものが一つ欲しいと思ってたから。

音色01.jpgBOSSのDRIVE ZONE!こう言う歪みは今までは拒否してた(電池臭い歪み)だと思ってたけど、これが今のモデリング技術かROLANDの成果か良い!使えるし、もはや真空管にこだわる時代ではないのか、、、?と思ってしまった。

音色02.jpg

真空管の倍音はモデリング出来ないよ、やはり!

そんな耳をずっと持っていたい!!!!!
posted by usui special at 03:10| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月03日

真夜中に何を想ふ。

今は三連休の最後の深い夜を楽しんでる。基本的に休みだからと言ってなじみの店に顔を出す習慣が無いので、家で過ごす事が多いし逆に休みの日にはギターは触らないよ。逆に仕事の延長で飲みに行ったりする事の方が多いので、OFFの日は精神の解放をしたい。本当に一日中なんもせずにソファーでボーッとTV見たり、気がむけばCOCKPITに入り色々溜ってるCD(人が好意で貸してくれたアルバムやDVD、聴いて下さいと溜ったインディーズのCDを聴いたりするけど)そうするとスイッチがポンとONになり自分の世界観の創造の頭に切り替わる。すると俺は音楽が仕事なので開放されない事が多いので、要するに休みではなくなるのだ。今回は7月から自分の世界観と向き合えなかった、元々だらしない俺だけど、そんな事さえも許されない日々が続いた。もちろんそれは俺のポリシーに反するのでいろいろ整理して、石田亜紀子ちゃんのバックも正式に断った。

みんな精神の解放の時間は確保してると思う、それは独身で彼や彼氏もいない人や、結婚してる人、子育てに追われてる人、子育てが終わった第二の人生の人。それは仕事や状況によって様々だと思うけど、自分だけの時間や世界観があるとおもうし、それがないとストレスは溜ると思う。そんな時間も様々だと思うけど、俺は今このブログを書いてる時間だ。だいたい深夜1時から4時がそうだけど、普通に朝から仕事してる人は0時くらいだったりするのかな?逆に夜の仕事をしてる人は朝方からめざましTVくらいまでとか、確実のに毎日の流れがある。

0時からの人は1時は真夜中だろうし、俺は2時からが真夜中で、夜の仕事の人は4時くらいが真夜中で個の自分に戻る時間だ。今日一日を振り返ったり、明日の予定を立てたり、昔を思い出したり、自分を反省したり、とそこに実はその人の人間形成や価値観、趣味指向が出来上がるように思う。最近の俺の真夜中に考える事は、勿論DOGDAYSの構想だけど、いろんな人に出会う時のみんなのあまりに心を閉ざしてる表情だ。心からの笑顔や嬉しい、楽しい、苦しいの表情が堅い気がする。人間味溢れる表情に出会う事が少ない、いろいろな状況でみんな生きて行ってるけど、それは状況は違うけど目指すものの中で戦ってる。そんなある日に「体験レッスン」に高校二年生の女子高生がやって来た、よくある事だけど、最近ではOLさんも学生も表情も無く、フラワーアレンジメントかホットヨガかその次にアコースティックギターかの勢いでお習い事感覚だ。その女子高生はちゃんと返事も出来、笑顔も作れ、YUIが好きでギターをやりたいと言った、、、俺は救われたと思ったし、音楽の影響力もまだまだだと思った。その娘はエビちゃん見たいに美人では決して無いけど、俺には輝いて見えたよ。その笑顔は美しかったしこんな娘もまだこの時代にいるんだと嬉しかった。高校生の時の享子ちゃんを思い出した(知らないよね)

真夜中01.jpg真夜中02.jpg俺の毎日の真夜中の光景。

真夜中03.jpgこれは絶対欠かせない。

真夜中の太陽に照らされて。
posted by usui special at 02:51| 福岡 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月01日

Smoking Area

9月になった。去年は確か10月くらいまで暑く、やっと秋が来たかと思えばすぐに冬になったのを思い出す、俺の大好きなキンモクセイの香りも一瞬だった、、、。こんな緑も無い都会暮らしだけど、キンモクセイは匂って来る事に普通に感動したりする。今日から三日間やっとで夏休みが取れそうだ、天気がよくて気温もよければチャリで走りたいんだけど天気予報は良くないらしい。7、8月の怒濤が過ぎて心に日常が帰って来たのがお盆過ぎだけど休みは無かったので久々の精神の開放をしようと思う。本能のままに。

初めてタバコを嗜んだのは中学生の時だった。当時試験前になると、それを口実に友達の家へ勉強しに行くといい大嫌いな家を出てた、それは夜でも『試験勉強』という口実だったら出やすかった。実際勉強なんかせずに好きなレコード聴いてた。そんな友達が既にタバコデビューしてたので、一本もらった。SEVEN STAR タバコを吸う事に当時何もカルチャーや反骨精神もなかったように思う。ただ大人っぽいなとかクリントイーストウッドみたいだとかそんな好奇心だったと思う。それから自分の部屋でも吸うようになって、灰皿は誰かは忘れたけど、バレンタインでもらったペコちゃんのチョコが入ってた正方形のカンカンだった。煙りが部屋にこもらない方法も研究した!それは暖かい空気は上に行くので、窓を10cmくらい開けて、その窓に口を寄せて上の方に煙りをはくと見事に外へ出て行く事を発見した!でも俺の部屋は両親の寝室のすぐ前にあったので、深夜の奇襲攻撃には打つ手も無く、、、タバコを燻らせてた深夜に部屋のドアを開けられた、、、義母が一言「あんた!タバコ吸ってないね!」俺は深夜だから油断して部屋の真ん中で堂々と吸ってたので、部屋は真っ白、、、しかもドアを開けられた時は煙りを吸い込んだ直後だった、、、義母の問いに俺は、、、性懲りも無く、口から白い煙りをはきながら、「吸ってないよ、、、」吸、っ、て、な、い、よ。が煙りだった、、、、。

高校生になった俺は相変わらずSEVEN STARの愛煙家。けど毎日学校には5本しか持って行かなかった、それには理由がある。一箱持って行けばみんなにたかられ、そんなお金もない、、、5本は自分が3本、人に2本!授業が始まる前の一服、昼休みの飯後の一服、帰りの電車で一服、と言うのが決まりで、昼休みのSMOKING AREAもいろいろバレないように変えてた、野球部の部室だったり、武道場の二階の倉庫、はたまた学校を飛び出して神社の片隅。そこからがサバイバルで自分の教室に帰るまでに先生に会ったらOUTだ。タバコの臭いでばれる、、、一度担任とすれ違った、、、何か話しかけられたけど、俺は息を吸いながら「ハイ!」、、、多分バレてたと思うけど見逃してくれた。帰りの電車は(当時電車でも煙草は吸えた)ので車両の一番端の4人座りに男女関係なく座り、見張り役を一人立てて、一本のタバコを回し吸いしてた。その決まりが、必ずひとすいしたら回す、、、だったので肺活量の限り吸って渡す(笑)、、、そして駅員が来たら座席の下のヒーターの穴に差し込む!がルールだった。

大学に入った俺は金が無い事もありハイライトに変わった。当時¥140で¥100持ってれば「40円おごって!」でハイライトが手に入った。そんなある日憧れのミュージシャンが音楽雑誌に載ってて、ウエスタンブーツをテーブルに投げ出し、ギターを弾いてる写真のそのテーブルの片隅にくしゃくしゃのマルボロが写ってた、、、かっこいい!それからマルボロになった(そのころやっとヨウモクがやすくなった)その憧れのミュージシャンとはマルボロ談義をするとが出来た。その時の印象的な言葉が「マルボロはソフトパックの方が旨いよね!」俺も同感だった。20才で家出した頃、大人ぶってBARに行くようになり。そこで見た事も無いメンソールのタバコを見た。当時メンソールといえばSOMETIMEか、セーラムが手に入ればラッキーな時代に、隣に座った外人が、マルボロのパッケージの赤い部分が緑のタバコを吸ってた、、、、「え〜〜〜〜っ!」しか無かったけど今では当たり前のマルメン。

今でもタバコはかかせないけど、肩身は狭い。

SMOKING01.jpgSMOKING02.jpgテーマは「胸キュン!」の絶品。

SMOKING03.jpg

NO! SMOKING AERAがないのはおかしいよ!
posted by usui special at 03:39| 福岡 ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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