11月に入った。身を切るような寒さではないけど、去年だと同じと思う気候の変化を感じる。それはキンモクセイが基準なんだけど、ここ2、3年キンモクセイの香る日にちが極めて少ない気がする。キンモクセイは気温が一定の温度に下がると香りだす、よってじょじょに気温が下がり毎年キンモクセイが香る季節になったと感じてたんだけと。今年もそうだけど10月くらいに一度グッと夏からの気温が下がり、キンモクセイ達が慌てて香だすけど、その気温は数日しか続かず、また気温が少し上がり匂わなくなり11月になるともう気温が下がっても匂わない、、、。昔は二週間くらいは匂ってた気がするし、その香りの最後の方の少し醗酵したような独特な匂いも感じてたのに、寂しく思う。
今日も風邪はあまり良くなく、栄養剤をぶち込んで、ビタミン剤と塩化ブロムヘキシンとで仕事は出来てる。俺は子供の頃は病気がちでいつも添田町の雪武医院に連れて行かれてた、風邪をひくとすぐに中耳炎になり添田町の名前は忘れたけど耳鼻科でそれはそれは子供にとっては怖い拷問のような治療を受けさせられてた。記憶にあるのが、あまりに泣き過ぎて治療が終わった後に目が開かなかった事もある。開けようとしてもまぶたが開かない、子供ながらに恐怖だった。後病気になって優しい言葉をかけられた思いが無い。義母は病気になるのは自分のせいだ!不摂生してるからとか体力が無いからとか、御飯を沢山
食べれないからだとか、風邪なんかをひくたびに逆に怒られてたので、優しくされた事は無い。一番記憶のトラウマで憶えてるのが小学生の高学年のときの土曜日の事だ。俺は野生児で山なんかで遊んでたので、その時は触るとまけてしまうから触ってはいけないハゼの木なんかは自分でも分かってはいるんだけど、義母と土曜日の昼下がりに昼ご飯を食べていると、腕が見る見るうちに湿疹というか水疱瘡のようにぶつぶつが出て来た、それを見た義母は怒鳴りながら「あ〜〜気色悪い!早く病院行って来なさい!」と絶叫された。それは嫌そうな汚い物を見る目だったのを憶えてる。その時は分からなかったけど、病気
をして優しい言葉をかけてもらえない事や病気をするのは自分のせいと言われてたのもつじつまが合う気がする。よって俺は病気をしても自分の責任だという人間になったので「だいじょうぶ?」とか言われる事の方が違和感を感じてしまうようになった。
前置きが長くなったけど、山大の学祭後は新山口(昔は小郡)の駅前に宿を取ってたので、次の日はプチ一人旅を計画して防長バスで山陰の萩市へ向かい市内観光をして山陰線の鈍行列車で帰って来ようと決めた。山陰線は単線でしかも海沿いに通ってるので、俺の大好きな夕日でも見ながら駅弁でも食べながらツアーを計画した。

ホテルにて。最近は頼んでもないのにやたらツインやダブルの部屋が準備されてる。


この季節はホテルに泊まると必ず借りる加湿器と、浴槽にお湯を張ったまましかも床にはお湯をまかないと必ず風邪をひいてしまう。


在来線の新山口駅(旧小郡駅)の三連休2日目の日曜日の駅前と萩へ向かうバス停、、、寂れてるなぁ。


新山口から萩まで防長バスで1時間ちょっと、山陽から山陰へ。山口はさすが道は素晴らしく整備されてて60kmもきっちり一時間で着く。でも九州とはちと違った風景や懐かしさや、決して観光地なのに観光客に安売りしてない地元パワーと昭和の匂いを感じた。この山口シリーズは写真が多いので二回に分けて書こうと思う。取りあえず幕末のあまり知識の無い俺が萩にたどり着いたよ。何で萩まで行こうと決めたのか分からないけど、多分高杉晋作に呼ばれたのかなぁ。
一人旅第二回もよろしく!
posted by usui special at 02:24| 福岡 ☔|
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