その時が遂にやって来た。今年の7月から生みの母親を探し出して、以外と簡単にしかも近くにいる事が分って、悩みに悩んで手紙を書いた。それからメールで頻繁でもなく2、3度やりとりがあり、当初は10月か11月に会う予定が12月になった。約五ヶ月かかりその間俺はいろんな思いで過ごした。母親の今の家庭を壊してはいけないと言う思いがかなりの部分を占めていたし、期限も決めた方が良いのかとかBIG LOVEを知らない俺は実の母親にもわがままになれずに友達に注意されたり、またこのブログを覗いてくれてる人達の励ましの言葉に勇気をもらって今日と言う日を迎えた。
その事は唐突にまた一方的に2日前の日曜日に連絡が来た、その内容に俺は少し疑問符だったけど、それは向こうの都合ばかりだったからだ。しまいには会うのは明日はどうか?って書いてあったけど、その日は無理だったので自分の都合を丁寧に書きメールして今日と言う日を迎えた。けど心は喜びで一杯で、ドキドキして猶予は2日しかなかったけど、自分をこの世に産み落としてくれた人に会えるっていう今まで味わった事の無い感覚を過ごした。12月中にはと決まっていたので、写真を整理して赤ん坊の頃から母親が知らないその後を慎重にチョイスした。母親にも写真を持って来てくれとお願いした。そういえば誕生日が1月だと戸籍で分っていたのでプレゼントも買った。どんな趣味かは分らないので、ドイツ製のボールペンと万年筆のセットを買った。あまり大きなプレゼントだと家族の人に不審に思われてはいけないと言う配慮で選んだ。前の晩はあまり眠れずにドキドキしていた、初めて交わす言葉も考えた。
今日の午後二時に某ホテルのロビーで待ち合わせる事になっていたので、そのホテルのカフェレストランも予約した。目覚ましよりも先に目が覚め準備をして出かけた、空を見上げるといつもと違う空に感じられ空気も清々しくホテルに近づくにつれてワクワクともドキドキとも違う不思議な感覚だった。5分前にロビーに入り見渡すとスーツ姿のサラリーマンがちらほら点在して置いてあるヨーロッパ調の椅子に座ってた。一番端に外をむいて白髪混じりの小さな女性の後ろ姿が目に入った、後ろから近づいて行ったけど声はかけきらずに柱を挟んだ少し離れた椅子に俺は座った。時計を見ると2時を少し過ぎていたので、「ロビー真正面の椅子に座ってます。」とメールした。しかしその女性はこちらに来ない、違うのか?その女性の方角と正面の入り口に交互に目をやった。そんな事を2、3分だろうか、やってると正面玄関から小柄な女性が入って来た。目が合った、、、向こうも俺の方もじっと見つめてる、俺は本能からか母親だと分り立ち上がって軽く会釈をし笑顔で近づいていった。すると母親が小声で「あら〜〜碓井の顔、、、」俺は決めていた言葉を言った「久しぶりです。」それから少しの沈黙の後、母親はさばさばした口調で「じゃあ行きましょうか」と階段を上り二階のカフェへ、、、。
予約してあった席に案内されると40年ぶりに会ったとは思えないくらい淡々とメニューを開きアイスティーを俺は温かいコーヒーを注文した。すると母親は淡々と天神に買い物の用があって少し遅れた事を謝った。堂々としたものだった。俺は緊張してた、この人が俺を産んでくれた人なんだぁと心では思ってたし、そんな母親の心の琴線に触れたいと思ってた。そして俺が「発表会は終わりましたか?」って聞くと怒濤のごとくシャキシャキした口調でしゃべりだした。「私ばかりしゃべってごめん」と言ってまたしゃべりだした。きっと母親も緊張してしゃべってるんだと思った。そして俺は勝手に戸籍を調べた事を謝り、手紙を送った事を謝ったら今の旦那や娘には俺の親父との結婚や俺の存在は伝えておらず今後も伝えるつもりは無いのでごめんなさいと少し笑顔で言われた。そして二度目の結婚の際に息子がいる事を告げられた(俺にとっては弟)そして今は33か4才でその事は今の旦那は知ってるので、その弟が若い時は何度か家に遊びに来てた事を告げられた。俺は尋ねた「その息子さんは今どこに居て、結婚してるんですか?」母親は少し戸惑い「、、、今は分らない」と淡々と言い、自分は過去を心配して今どこでどうしてるんだろうとか思わないし探したりしない事を告げた。それは俺に言われてる気がした。
俺は写真を出すタイミングを伺ってた時にようやく母親の昔話になったけど、それは自慢のオンパレードだった。自分は頭の良い進学校に通ってたので50%私の血が入ったあなたも優秀だったんでしょう?俺は別に優秀ではありませんって告げると、高校と大学はどこに行ったのか聞かれ、俺が告げるとコメントはなかった、、、。すると今度は運動神経の話になり、俺は別に運動神経は優れてないですって告げると、そんなはずは無い私の血が50%入ってるんだから、、、俺はもはや絶句するしかなかった。ようやく父親の話になり、そこはツボが同じで悪口を笑いながら話し合えた。父親に暴力も振るわれた事も知った。俺はこのタイミングだと「あの〜写真もって来たんですけど、、、」と取り出すと「ごめんなさぁい、私は持って来てないです」キッパリ言われ、写真を一枚づつ見せた。まずは赤ん坊の頃は懐かしそうにはしゃいでたけど中学生や30代の写真には興味をあまりしめさず、中学生の写真を見てボソッと「この頃はもう碓井側の顔ね〜、、、」と残念そうに俺は見えた、、、、いろいろ写真を持って行ってたけど出すのを止めた、、、俺はなぜか気を使ってしまい「今日会って目と口元が俺に似てると思いました」告げると「自分の目がどんなとか自分で分りますかぁ?」って言われたけど俺は断固として「分りますよぁそりゃぁ!」って言ってやった。実際目と口元は母親に似てると思ったから。それからどれくらい時間が経ったのだろう、俺の誕生日や丙午生まれの話になったので、1月生まれの母親にプレゼントを渡して嬉しそうにその場で開封して「使わせてもらいます!」って喜んでた。けどしんみりしだすと、もう40年も経つし自分は過去を引きずらない人生を送って来たと告げられた、複雑だった、、、見た目も奇麗にしてたし若いしシャキシャキしてマイペースでバイタリティーに溢れてるおばちゃんにみえた。
約三時間あまりの時間だったけど、上に綴ったように生みの母親と過ごした感じはしなかったし母親の微妙な気持ちや心の琴線、俺の母親を思ってた気持ちや心の琴線なんかの話にはならなかった。ショックな事も言われた、相手の事を思って言葉を選んで迷って迷って丁寧に思いを乗せた手紙について「手紙の文面から凄く暗い人だと思って戸惑ってた」ってあっさり言われた。そうか俺は暗い人間で考えすぎるところがダメなんだとも思ったけど、俺の思いや40年分の重みは伝わってないのかも知れないくらい楽天的な人が生みの母親なんだとも思えた。確かに40年ぶりだと親子と言えども違った価値観の人間になるのも当たり前だとも思った。
涙はお互い一滴も出なかった。そう言う事が嫌いな母親で、過去を振り返らずに邁進して行く女性だった。けど軽く「大人の都合で子供は可愛そうな思いさせてごめんねぇ」って明るく言われた。俺は言った「ただこの世に産んでくれて有り難うございますを言いたかっただけです」それから二人で博多駅に歩いて向かった。母親は俺の誕生日くらいにまた会おうみたいな微妙なニュアンスで言って来たので俺はそれには答えずに聞いた「今日俺に会ってみて想像と違いました?」すると母親は少し考えてこう言った。
男だからもう少し私に似てると思った、、、ショックだった。結局終止最初の印象のままで、嫌な碓井との思い出を思い出させた事が多分母親を占領してたのかな?今考えると俺の思いの方が強くてBIG LOVEを勝手に40年も経ってる母親に求めてしまったと反省もしてるし、もうまったく血を分けた人間ではあってもそれは事実でしか無く、感情的な心の柔らかい部分までは届かなかった。それが現実だし、何よりいろいろあったけど今しあわせで、チャキチャキ暮らしてる母親に触れてある意味女性は偉大だと思った。けど頻繁に会ったり甘えたるする事は無いだろう、永遠に。
俺自身が凛と今を生きなきゃ!
持って行った写真達とプレゼント。
え〜っと。このシリーズを覗いてくれてまた今まで応援の言葉をくれた人達、また密かに心配してくれた人達に心から「ありがとう!」感謝しています。無事に母親に会う事が出来ました。こんな結末にそれぞれ意見はあると思うけど、俺のストレートな思いをこのシリーズでは個人的な言葉で綴ってきました。何か自分自身来年からは変わりたいと思います。このシリーズはもうつづきは書きません、いや何か単発で別冊MARCOを書くかも?知れませんが、今も同じような境遇に人の何らかの参考になればと思い赤裸々に綴りました。不愉快に思った事もあるかも知れないけど、決して100%HAPPYではないけど、これが今の複雑に入り組んだ現在社会ではないでしょうか?人のいろんな思いは、いろいろ湾曲してしまうけど、PUREな気持ちと言うのはいくつになっても俺はバカ見ても持ち続けて行きたいと思う。そう!それがおれにとってのBIG LOVEだと思った!本当にありがとう。みんなのおかげです!
posted by usui special at 03:20| 福岡 ☁|
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