こう見えても野球少年だった。音楽の洗礼を受けてからは辞めてしまったけど、小学生まではソフトボールを結構真剣にやっていた。といっても小さな町だから住んでる地域対抗の町内大会が毎年子供会が主催となってやってた、そこで優勝または準優勝で今度は郡の大会だ。要するにまずは「犀川町」の大会でその後「京都郡」の大会、俺の当時住んでたちっぽけな町営団地が桜台と言う場所にあって、毎年優勝候補の歴代強い地区だった。だいたい6年生主体のチームだったけど上手なやつは5年生からレギュラーだった、大会が近づけば放課後や夏休みも練習に明け暮れて、近所のおばちゃんたちがおにぎり握って来たり麦茶をでっかいやかんで冷やしてくれて地域ひっくるめての戦いだった。今思うと当時は運動会でも住んでる地区対抗のリレーなんかがあってそれはそれは一番運動会で盛り上がってたなぁ。
みんなに言うとびっくりされるけど俺は「左利き」だ。ギターは普通に右で弾くようになったけど、勿論厳しい家庭環境では礼儀作法(はしや鉛筆)などは強制的に右利きにされたし、当時はまだ左利きに対しての田舎独特の差別意識があったと思う。そんな俺のヒーローは勿論「王選手」だ!「王貞治物語」も読んだ。5年生の時に監督に左利きだしファーストの守備を勧められた、5年生でもたまに練習試合なんかには出させてもらってた。そして親父に無理言って行橋のスポーツ店で買ってもらった、ミズノかローリングス
かは覚えてないけど憧れの
ファーストミット柔らかくなじませるワックスを毎日塗ってボールをミットに挟んでひもで縛る、そうやってミットの形をなじませてたし、夜は小さな庭で素振りなんかもやってた。
小学生の頃はすでに西鉄ライオンズは当然もうなく俺たちはみんなジャイアンツのファンだった。小倉球場(今は北九州市営球場)にプロ野球もたまに親父と二人で観に行ってた、今思い出したけど小倉球場へ行く時は犀川町から車で1時間ほどかかるんだけど、必ず車を球場の結構近くの住宅へ止めてた。ある住宅の玄関前に必ず止めて玄関をノックすると若い女の人が顔を出して、親父と俺を何の違和感も無く部屋に迎え入れる。そしてその女の人は俺を見て俺の目線までかがんで頭を撫でながら「ゆうちゃんまたおっきくなったねぇ」と言うのだ。その部屋は確実に女の人一人暮らしの雰囲気で記憶では暗くヨーロッパ調の感じだった。そして手際よくお茶を入れ俺にはお菓子と三ツ矢サイダーを注いでくれる。終始笑顔で髪は長く決して家にはないような化粧品が並び甘い匂いが記憶に残ってる。親父は当時はもう40才を過ぎたばかりだと思うけど、その女の人は20代だった。子供の俺から見ても綺麗な人で無邪気なかわいらしい振る舞いだった、今だに誰だったかは分からないけど多分大人の事情だったのは違いない!
6年生になりレギュラーになった!打順は2番で守備は勿論ファースト、左打左投げだ。その最後の町内大会で桜台はぶっちぎりで優勝した。それから京都郡の大会が隣町の勝山町であった、そこには噂で聞いてた豪腕投手がいて一回戦で負けてしまった。後に、対戦したそのチームにいた奴と高校でバンドを組む事になるんだけど、不思議な縁を感じた。
ここまで書くと分かると思うけど、これも意外と言われるけど「ホークスファンだ」毎日試合結果はチェックする。観れる時間に家にいると必ず野球中継は観てるよ!29日の祭日に約三年ぶりくらいに野球観戦に行った。結構良い席のチケットを頂いたので楽天戦のデーゲーム楽しかったなぁ、勿論ホークスの勝ち!大好きな松田選手がホームランを打って試合を決めた。和田投手も完璧だった!


快晴のヤフードームと「川崎弁当」が売り切れててご機嫌斜め。

ゴールデンウィークは意外と観客が少ない。


球場に足を運ぶといつも感じるけど淡々と試合が進行していく。


お立ち台は和田と松田選手!今日も勝ったんでただ今4連勝中。

この日は勝利したら花火の後、天井が開く予定だったけど強風で中止に、、、。
いくつになっても野球選手には憧れるなぁ
posted by usui special at 03:30| 福岡 ☀|
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