思いやりって言葉があるけど、あと優しさと言う言葉もあるけど、どうやら俺は勘違いをして間違った使い方をしてたんじゃないかって思う。実は思いやりや優しさには見返りを望む気持ちがあってはいけないと思うし、見返りなんか望んではないけど、心のどこかで導いてやろうとか思いやったり優しくする事に自分自身がおごった気持ちでいたんじゃないかって思う。
そんな思いやりや優しさの言葉や行動は何かをやり遂げてる人がやるから人の心に届くんじゃないか?って思う。作品にしても立場にしてもその背景に「そんな人が言う言葉」ってものが人の心に響くんじゃないか?って思う。そんな人の一言は重いし、その人のイメージや作品ややって来た事に対して会って話してみると意外と優しいとかね。
そいつの為とか言う考えは所詮自分を買い被ってるように思えて来た。人はそれほどそんな事を重くまたありがたくとらえずに俺と言う人はこんな人だと当たり前になる。俺が何かをやり遂げて作品やギターがみんなが納得するくらいの評価のレッテルを張られてるなら別なんだろうけども。う〜ん言葉じゃうまく伝えられないけど、、、。俺は博愛主義者でもなければ無宗教だ、いったい何様のつもりだ!って自分に問いかける。人の事の世話をする前に自分自身もっともっと精進しないといけないし、その事に一生懸命にならないといけないんじゃないか!インストラクターとしての仕事の話とは別だけどね。もっともっと魅力的な音を奏で自分自身の事を第一に考えて精進しないといけないなぁ。考えてみればずっとそんな人生だった気がする(気がつくのが遅い!)
いつもからから空回り、心に空っ風がピュ〜ピュ〜と
俺はあこがれのアーティストに優しくしてもらった。その人の活動や容姿や作品からはすごく意外だった。それが凄く心に響いて今でも心の根の部分にあるけど、随分勘違いしてたもんだ。そんな凄い人と同じ土俵に上がってしまっていたのだ、、、。とんでもない恥ずかしい勘違いである。まずはもっともっと自分が自分の事を一生懸命表現しないといけないのに、、、。ずいぶんからから空回りしてたもんだ。俺は何様だ!恥ずかしい限りである。思いやり?優しさ?随分俺も偉くなったもんだ、何もやれてないくせに。
7、8年前に行った北海道の「美瑛の丘」の風景が忘れられない。この写真はその時のではないけど、懐かしいようなどこか自分の心のふるさとと言うか、この丘の向こうに冥土があるんじゃないかって感じた事は今でも鮮明に覚えてる。何か心の状態が良くないときは無意識にあの時の風景が頭を巡る。
凄く私的な狭い戯言かんべん!心のネジが一つ外れた気がするよ。