2010年11月29日

Monochrome mosaic

もうあっという間に11月は終わりだ。この時期になると何かと来年の予定が入って来る。1月は20曲くらいあるバックバンド、これはリハ一回のしかも本番当日のみの全てに神経を使う仕事だけど、多分リハも入れて20x2の40曲の演奏かな?あまりアドリブも許されないかっちりした苦手の演奏だ、去年は20x4の80曲だったので少し気分は楽だけど、まだ音源も何ももらってない。2月は『DOGDAY流 Vol 3』これは毎年恒例になった自分で仕掛けたアコースティックイベントだ。今年は自分が演奏するかどうか分からないけど、誰かの演奏に絡んだりはすると思うけど、主にイベント仕切りや準備、PAを担当する事になる。3月は約一年ぶりの『MICK』のライブがある予定だ。これはセッションに近く、リハも二回のみなので楽だけど博多の先輩達との絡みなので気を使う、お客で観に来てくれる人たちも博多の重鎮がちらほら居たりして緊張感があるしギターリストとしてロックンローラーに専念出来るので楽しい。

logicの使いこなしは、だいぶましになって来たし、あんな事も出来る!こんな事も出来る!って今はイメージの構築を咲咲のMIXをやりながらイメージはどんどん自由になり、作りかけの曲達は今年中はまだいじれないけど、お正月休みが5日くらいとれそうなので、そこからが創作活動が本格的にスタート出来る。一昔前はいろんな事が同時進行出来ないでいたけど、イベントやライブ、仕事もこなしながらも創作が自由に出来るようになった。楽しくなって来た!って言うのも今年は約一年がかりでlogicも含め勉強の年だった。何度か「俺の性格にDAWは合ってない!」と投げ出しそうになったけど、解説本を二冊いつでも読める所に持ち歩き三回しくらい読んだ。けどただ漠然と読んでるのはつまらないけど、こんな事が出来るとしたらどうしたらいいんだ?ってイメージと合致してくるとスーッと頭にはいるようになって、良いタイミングで咲咲のMIXの依頼でその頭で構築してた操作のイメージを試す事が出来て、難しく考えてる事が分かり、そこからはスイスイ楽しくなって来たし早く制作に入りたいと思う。以前のアルバムは期間も決められての作業だったので、それはそれで良い集中力と良い意味のあきらめの作品だったけど、今回は時間にも縛られず自由なイメージでとことん自分と向き合えるので、どうなるかが自分自身楽しみでもある。

家出をする前に用もないのに大学に3年まで通ってた。福岡県の端くれの犀川町から一時間もかけて電車を乗り換えて通ってた。そんな朝の電車で同じ町出身の少女と仲良くなった。年ははっきり覚えてないけど、15、6才だっただろうか。少女の方から俺に話しかけて来た。当時としては珍しく髪は金髪に染め上げ、つけまつげに目張りがバシッと入り指にはリングのタトゥー。少女も同じ小倉までの電車だった。俺の少女への最初の印象は良くなく、タバコをふかした不良少女で目つきは凄みがあり誰も寄せ付けないようなオーラだった。少女の視線は気になってたけど関わりたくない感じの子だった、何をきっかけで話しかけられたかは覚えてない。そうだ同じ時期にとなりの駅から乗り込んで来るOLさんにも話しかけられ友達になった。そのOLさんはパリっとスーツを決めて長い黒髪をなびかせてた、年は当時28くらいだろうか。俺の事をOLさんは「ゆうすけくん」金髪少女は「あにき」と呼んでた、そんな三人で小倉まで電車に揺られた。俺はOLさんの仕事も知らない、また少女が学校もいかず毎日何をしに小倉まで通ってるのかも知らない。その朝の電車だけのつながり、もちろん少女が乗ってこない時もあったしOLさんが乗り込んでこない事もあった。そんな時は風邪でもひいたんだろうかって心配になったりした。そんな関係がどれくらい続いただろうか?少女が自分の事を話し始めた。俺に心を開いたのだ、、、悲惨だった。親からの暴力、学校にもなじめず、先生からは学校に来るなと言われ、お小遣いももらえない、などいろいろ悲惨な話を涙ながらに俺に話し出した。仕事もしない親父、暴力を振るう母親、よくよく話を聞くと少女は家族の生活費を稼ぐ為に体を売ってた、、、。親も承知の事だと言う。俺はただ絶句した。その告白からは一度もそんな話はしてこなかった、笑い顔がまだあどけなくかわいらしかった。俺には何でも腹を割って話してくれたし、俺は少女の仕事について何も深くは聞かなかった。そんな事辞めろ!とか体を大事にしろ!とかそんな誰もが言いそうな言葉はかけたくなかったし、俺にそんな事言えるような簡単な事でもなかった。

そんなある日少女が今日は誕生日だと言う。そんな日にまで街角に立つのかと俺は虚しくなった、それまでは駅に着いて改札を抜けるとそれぞれバラバラに別れていくんだけど、その日は俺は少女に「今日授業が16時に終わるので、時間あったら喫茶店でも行かん?」って誘った。少女は嬉しそうにうなづいた。そしてOLさんからこそっと預かったお金を忍ばして井筒屋のデパートに行った、そして少女と帽子を選んだ。「こんなの私ににあわんやろー」とか言いながらも二人で確か赤い帽子を選んだ。OLさんのお金と、当時引っ越しセンターのバイトで稼いだ俺のお金でプレゼントした。それから喫茶店へ行き満面の笑みで帽子をかぶり誕生日プゼントをもらったのは何年ぶりの事だろうって喜んでた。

その後OLさんが結婚する事になり電車だけの付き合いの俺にも招待状を渡された。少女はある日を境に姿を見かけなくなった。勿論携帯電話なんてない時代、連絡先なんて知らない。そして俺もまたOLさんの結婚式の返事もせずに、その電車から消えた。家出を決行したのだ。そんな電車での風景はなぜかモノクロでOLさんと少女の顔を思い出そうとしても必ずモザイクがかかってる。それぞれの人生のほんの一瞬の瞬きくらいの時間だったけど、良い時代だった。みんな真剣に悩み真剣に生きてた。


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都会にひっそり咲く花。


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まだ頑張ってる木。


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さっさと冬支度してる木。


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コントラストを気取ってる兄弟の木。


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本当はこやしになりたかった子供。


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とりでのような木。



道ばたに植えられた花を見て思い出した話だ。










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2010年11月24日

今月のアルバム,,,10'11'

約8ヶ月ぶりに髪を切った。いつもこんなペースだけど、ん?いつもは半年に一回くらいかな。今回はスパンが長かったなぁ、切ったと言っても女性のように髪型に命をかけている訳ではないので、あまり代わり映えしないと思うけど。前にも書いたけど、もう20年近く同じ人に切ってもらってる。年も同じだし、俺の仕事内容も理解してくれてるので髪型の注文もほとんど抽象的な事しか言わないけど男性だし気兼ねない、セットされた時の髪型はあまり人に見られたくないくらい、このままTVでも出演するのか?みたいな髪型になる。ただよくわからないけど値段は高い気がする。ここは代官山か青山か?ってくらい普通の大名なんかに乱雑してる美容室よりは高い!ちなみに一回のカット、パーマ、カラーの料金でコンパクトエフェクターが二個以上は買える金額だ。でも俺はこういう所は何故かせこくなく、別に投資してると言った思いもなく、長いこと切ってもらってるので、髪を綺麗にしてもらうと言うのはその金額が当たり前になってしまい、また身だしなみは最低限ちゃんとしないといけない商売だし、いろいろ他を探すのが面倒なのが一番の理由のような気がする。腕は勿論気に入ってるけどね。

毎晩、若さ溢れる「咲咲」の曲をMIXしてると、俺もあの頃の若さ溢れる気持ちで向かわないと良いMIXが出来ないと思い。極力「若さ溢れる」と見出しにして、あ〜でもない、こ〜でもないとバランスや音量や最終的な聞こえ方を吟味する。凝って音を加工しすぎると面白くなくなる事も分かったので、けど確かいくらかで売るみたいな事言ってたなとか、録音した時にかわしたコミュニケーションを思い出しながら、その雰囲気を詰め込もうとしてる気がする。商品にするのなら、ただどうしようもないタイミングの悪さの所だけは波形編集してるけどね(笑)それも若さと言えば若さなんだけど、けど音を残すと言う最低限の判断を迫られる。もちろん自分の演奏した作品とは全然違う落としどころで気がついたらやってる。何とか今年中には間に合いそうだ。

今月のアルバムは、咲咲の反動じゃないけど、好んで聴く音楽は最近はダークなものやインストを聞くようになった。考えてみると面白い事だよね、やはりHAPPYで楽しくってものばかり音と言う世界観に求めてない事に気付く。今もiTUNESで、あえて内面の表現のサウンドのアルバムばかり選んで聞いてる。そうすると不思議と心がそう言うのを求めてるから逆な咲咲の曲のMIXの時に新鮮な耳で聞ける事が出来るよ。またそんな時は今まで何気なく聞いてたアルバムがまた違って聞こえ、聞き流してた曲のある部分の魅力に気がついたりする。音楽って凄い力持ってんなぁって思う。嫌な事があれば、スカッとする曲を選ぶだろうし。失恋すれば、元気づけてくれる曲や、その相手との思い出の曲で、いろんな事考えさせられたりとか。嬉しい事があれば18番の定番SONGがみんなあると思う。


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Out Of Our Hands / FLASH



これはレコードで持ってるけど、中々マイナーなやつを久しぶり選んでみた。これを選んだのもきっと咲咲のせいだ!いや、お陰だな。俺が持ってるこのレコードは非売品のサンプル盤だ。前にも書いたけど、家出での久留米でのFACTORYの逃亡者の時に、その工場の人にレコードを50枚くらいもらった、その中には通な作品や当時の若造の俺にはまだ理解出来ないものや、業界に配るようなサンプル盤が沢山あった。このFLASHも当時の俺には理解出来なかったけど、音楽の仕事に就いたくらいの時に真剣に聞いて俺なりにプログレッシブROCKの奥深さを感じた作品だ。1973年の作品だけど、YESの初代のギターリストがアルバム2枚くらいでYESを抜けて作ったバンドの3枚目のアルバムだ。まずジャケットのシュールさに惹かれたのを思い出す、フロイドやツェッペリンのアルバムジャケットを手がけたので有名なヒプノシスだよ。派手さはないけどハイトーンのVOがハードロックっぽいのと、看板ギターリストのピーターバンクスが音楽知ってんなぁ的なギターを弾く。当時のUKのシーンは凄いバンドがゴロゴロいる。簡単にバンド紹介を!

フラッシュは1972年に最初の作品となる「Flash」を発表している。イエスを去った元メンバー2人を中心に結成されたフラッシュは初期のイエスを彷彿とさせるサウンドを武器に活動を展開、最初の作品のみでトニー・ケイがバジャー結成のために脱退するも、同年早くも2作目となる「In the Can」をトニー・ケイの代役を立てる事なく専属のキーボード奏者抜き(バンクスやベネットが代役としてキーボードを演奏)で発表している。ムフフなジャケット2連発の後、フラッシュは翌1973年に再び4人編成により3作目「Out of Our Hands」を発表するも、ほどなく解散の憂き目にあっている。ちなみに「Psychosync」というブートまがいのライブ盤もあるが、これは1990 年代に発表されたフラッシュの未発表ライブ盤。
フラッシュ崩壊後、ピーター・バンクスはフラッシュを再び立て直そうと計画するが、このバンドがエンパイアというバンドへと発展する。私はこのバンドの存在を知らなかったが女性ヴォーカリストのシドニー・フォックスを要する、米国での成功を夢みたバンドだったらしい。1974年から1980年に解散するまでに3枚?のアルバムを発表したというから、音楽性は兎も角、フラッシュよりはバンド継続が長持ちしたようだ。1980年代は音楽活動から遠のくが、1990年代に再び活動開始、ソロ作「Instinct」(1993年)、「Self- Contained」(1995年)、「Reduction」(1997年)などを発表している。これ以外にフラッシュ活動時の1970年代前半に吹き込んだ「Two Sides Of Peter Banks」というソロ作も存在する。

試聴が見つからなかったので一曲YOUTUBEから:http://www.youtube.com/watch?v=_g-SvCA56ZQ&feature=related

久しぶりこのレコードを聞いた。以前聞いたのとはまた全然違って俺の中に入って来た、早くアルバム作りたいと、また溢れそうな構想や音や世界観が頭を渦巻く。あ〜素晴らしき音楽人生!


100の噂話より、ひとつの真実を信じて暮らして行こう。


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2010年11月22日

行間を感じろ!

毎晩朝方まで起きてる。やる事がいっぱいって訳でもないし、何かに追われてる訳でもない。ネットサーフィンでよろよろしてるわけでもない、ただ音の波形と実際に聞こえて来る音の空間や演奏してる楽器や演奏してる人の思いを現実のものにしてる。昔からゲーム機を持った事もないし、iPHONEも持ってないしゲームには興味は今だにないので画面に向かって波形を見つめる作業にはげんなりして来る。波形をそろえたり、ノイズを取り除いたり、オートメーションでVOLUMEやPANにEFFECTSのかかり具合を書いてると、その時は凄く集中して自分の価値観全開でやってるけど、何かゲームでもしてる感覚になる。実際の空気の中に閉じ込められたアコギや声が、ゲームの主役が武器を増やしていって強くなっていくようにロールプレイングしてるみたいだなって朝方思って、作業をやめる。

やはり俺は演奏する側だな!って強く思ってしまう。エンジニアリングの細かいこだわりの世界は専門家に任せた方が良いって思うけど、自分の価値観としての耳や音の善し悪しの判断のクオリティは上げたいと思ってるけど、考えてみればその昔はテープに録って微妙なノリがそのまま作品になってた事を考えると、ばっちりタイミングを合わせる作業と言うのが逆にナンセンスに思えて来たりして、そんな綺麗な音源をみんな求めてるんだろうか?って思ってしまう。道具とセンスさえあれば誰でもクリエーターになってしまう、勿論センスってのは何事にも一番必要だと思うけどね。アナログ→デジタル→アナログ→CDと言った具合にアナログのプリアンプを最終的に通して最後の音を決めようと自分のやり方は見えて来たけどね。

みんなは毎日少しは行間と言うものを感じる時間を作ってるだろうか?情報でも何でもスピードは速く、知りたくない事も知らされ、興味の無い物を持ち歩き、便利なものや綺麗に写るものスピードが速いもの、そんな物達に囲まれて古いものはまだ使えるんだけど廃棄され、、、人付き合いもそうなんじゃないかな?叱咤激励の激励ばかりと繋がり、ちょっとでも都合が悪くなれば指先で消される。電車に乗ればみんな携帯電話をのぞき、、、そんな情報が欲しいんだろか?俺には不思議な光景に見えてしまう。行間を感じるって抽象的な言葉かもしれないけど、想像力だったり余裕だったり独自の世界だったり。俺はベランダのタバコタイムや移動のときに今日あった出来事とか、自己への反省だったり未来の希望だったりを考えたり感じたりするのが好きである。そんな次の行動へ移る時の行間、その素敵な時間の感覚が好きだ。

音楽に対してもそうだけど、波形でそろえられない微妙な行間にその演奏者の駄目なところや素晴らしいところが詰まってる気がする。やはりセオリーではなく感覚でOK!したいと毎晩思うよ。この作品が最高に伝わる音にする事、RECの世界も世の中の流れと同じで、凄い事が簡単に出来てしまう、いつも自分に問いただす、それって聞いてる人にとって意味ある方に伝わってるの?ってね。どんな価値観で暮らして、これは俺には必要とか、これは必要ないって言う勇気とか、そんなこだわりなんかを行間で感じる。



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ここ何年かこだわって取り寄せてる水。毎月10本送られて来る。



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寒くなって来た時のこだわりの入浴剤。一つは水と同じ所のやつ。



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毎年この時期にお目見えするセンスのかけらもないイルミネーション。



ふっと立ち止まって深呼吸して周りを見渡してみようぜ!何処に向かってるの?



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2010年11月18日

紅秋。

最近は何かと忙しくなって来た。この11月は俺に周りの関わりのある人たちからコンタクトが多く、いろんな相談受けたり、独立して新たに自分の店をOPENさせたりとか。そんな時期というかそんな事が重なる事ってあるよね?毎日の日常業務は変化なくやってくる事は幸せに思わないといけないけど、年を取ったせいだろうか?やりたくない事はやりたくない度が強くなった気がする。仕事を選んでる訳ではないけど、仕事というよりプライベートにおいてプラスとマイナスをはっきりと分けるようになった気がする。若い頃はいろんな場面に出向いていく事も多く、先輩に呼ばれれば『勉強だ』と思い、後輩と遊びに行くのも『吸収だ』とか思いながら来るもの拒まずで、イケイケドンドンだった。今でもある意味イケイケドンドンだけど、深みを増したイケイケドンドンになってしまった。

アルコールを毎日飲まなくなってから、たまに飲み会があると次の日に決まって頭が痛くなる。何故かすぐ酔っぱらうし、体質的にアルコールは実は合ってないのかも、と人生で初めてそんな事思ったりしてる。これが老いと言うものなのか?とか考えてしまう、昔から人からどう思われてるとかはあんまり気にならなかったけど、最近は益々興味がない事と興味がある事の差がはっきりして来た。それは人に対してもそうだ、もういろんな事件にもなれっこになったし地球がひっくり返らないとびっくりも動揺もしなくなってしまったのかもしれない。やはりそれも老いなのかもしれないなぁ、、、『駄目な事とわかっていながらも、あの人の子供は生みたい』とか相談されても、何とかなるんじゃない?って思ってしまうし、熱心に宗教を勧められても笑顔で「俺興味ないから」ってバッサリ言えてしまう。そして自分自

身のDNAをふと感じてしまう。俺は心の冷たい冷めた人間だ。って思う。


青春の頃は遥か遠くに輝いており、夏のアヴァンチュールの時代はサンサンと太陽と汗の臭いとクーラーのきいた狭い部屋が今でも首筋あたりの記憶に蘇る。そして今、人生である意味一番実りの収穫の秋を過ごしてる。そう考えると心の充実度は今が一番な気がするし、あまりぶれない価値観で暮らせていけてるのかなとも思う。必要で欲しいもので徐々に進化してる俺の周りを見渡せば、全て何かの俺の歴史をかいま見る事が出来て現在地も分かる。何をしたいのか?と言う問いもよりはっきりして来た、本物と偽物の見分けもどんどん出来るようになって来た。おべっかな環境で暮らしたくはないし、裸の王様にもなりたくはない。素晴らしいものは素晴らしいとはっきり言える、見栄やプライド越しには見えないと思うし、見えてるつもりでも凄く狭い世界だと思う。美しいものは今後もライフワークとして追い求めるだろう。とにかく今年の秋は何かここに三年バタバタしてたので、その反動かもしれないけど、何か熟していってるのが分かる、それが老いだとしても、、、。


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砂に隠れた太陽。となりの国から色々やって来る。


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最近お気に入りのBAR、近所に見つけた。


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最近は夜は「Logic」で咲咲のmix 6曲を後ひと月で仕上げないといけない。


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今夜の「さきめし!」シャケとかもろもろ茶漬け。


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恒例の「碓井会」小倉は「大太鼓」のおでん!最高。最終で帰還。


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どの季節でも、今だに共にしてる人たち。




みなぎるものはきっとどんな冬を迎えても越冬出来るだろう。

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2010年11月10日

Human Analyzer

日が沈むのが早くなった。何故か損した気分になったりする、昼間の太陽が嫌いな訳ではないけど、今日が終わっていく事の何か追われるような気分。夜の時間の方がよっぽど俺にとっては長く自由な気分になれるのに、何故か残念な気持ちになるのは生物としての本能だろうか?人は生まれた時点で肉体の終わりに向かって無意識に生きて、また生かされてるなんて事は考えて毎日は暮らしてないけど、魂だけは老いぼれを知らずに成長していく。時間軸で考えると、なんでもない一週間でも一分一秒誰として同じ感覚で過ごす人はいないと思うと、何でもない一週間は二度とやってこない。そしてPINK FLOYD の HIGH HOPES って曲で歌われてるように、スタートの合図に気がつかずに人生が過ぎていく、きっと毎日なんてみんなそんなもんだ!でもそれぞれ何かを毎日みんな目指して、ささやかな目標に背中を押されて、駄目だなって思ったりする。でもみんなそうだと思う、そう思えば辛い事も一瞬で過ぎていくような気がする。そう、みんな頑張りすぎないように頑張ろうぜ!

そんな事書きながらも俺は毎日、SLOWにそして欲望に負けてしまい、少しずつしか前進出来てない気がする。基本的にこのブログで書いてるうんちくは自分自身に言い聞かせてる部分が多い。「何言ってんだ」とか「分かった事書いて」とか「立派な事書きなぐって」とか、そんな心の声も聞こえて来るし、自分自身そう思うので、あまり読み返す事はしない。けどその日の何でもない一日でも心に感じた事をストレートに書きたいと思ってる。それが表現する事だと思ってるから、曲だって詩だって絵だって誰でもに認められる表現て面白くないよね。芸能人のブログだったら分かる気がする気がするけど、その日常さえも商品だから。毎日よい事ばかりじゃないのは当たり前で、そんな大事件もサプライズも起きないよ。けどそんな毎日何かを積み重ねないといけないと思ってる、それが近い未来の自分自身になっていくんだろうから。それぞれの美学をもってね。


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今日の一品。久々JUMBOにデートに誘われて食べた「豚骨ネギしゃぶ」味は、う〜ん,,,



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今日電車で雲を真剣に眺めてたら、普遍的な素晴らしさを感じて感傷的な気分に久々なった。おっ!UFOか?俺に迎えが遂に来たか?



ここ何十年も助けられてるし、あの頃のHUNGRYな気分を思い出させてくれて、今だに俺にとって悩んだり迷ったり落ち込んだりした時に助けてくれる「歌詞」を紹介するね。この歌詞に胸動くと、まだ大丈夫だとも思わせてくれる。


西の空が今赤く落ちて 遠い彼方へと沈んでゆく

疲れ果てた俺の体に 風がからみついてる


今日も一日歩き続け どれだけ前に進めたのか

今日も一日もがきつづけ 何が出来たのか


いつになれば終わるのさ この長いSTAGE(階段)は

いつになれば終わるのさ 手さぐりの毎日が



I wanna be free...


薄紫の空は今も あの日の影を残したまま

昔話を刻み込んだ 歌を唄い続ける


何の価値があるというのさ この長いSTAGE(階段)に

何の価値があるというのか 手さぐりの毎日に



Oh, Golden Days あきらめないと決めたのさ

輝く光の中 生まれた意味をたしかめてみるまで


Oh, Golden Days あきらめないと決めたのさ

輝く光の中 生まれた意味をたしかめてみるまで


Oh, Golden Days,,,, Oh, Golden Days,,,,




作詞、曲 木暮 shake 武彦




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FXじゃないよ、音域の分析グラフ。


これからも日々の Human Analyzer は続くだろう。


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2010年11月06日

音楽指南

この時期になると一週間が早くなる。早く超えたいのか?振り返りたいのか?わからなくなるけど、今年の秋は、チャリRUNNIN'が出来てないので少しストレスが貯まり気味でもある。休みも少ないんだけど、その休みと天候の折り合いがつかない事が多く、「秋」を感じられるタイミングがこれまた合わない。でもまだ、そこまで寒くないので今年もあきらめてはない。

今年はどんな年だったかな?ってまだ早いけど、師走は怒濤のように過ぎて予定もいっぱいなのでこの時期に振り返った方がいいよ。去年の暮れ位から徐々にREC環境をDAW、すなわちPC環境に移行して試行錯誤した。イライラする事の方が多く、また良い音の概念やアナログの素晴らしさも活かしながらのCYBER COCKPITに移行したけど、、、とにかく、こんなに実務的な勉強したのは何年ぶりくらいだろう。基本的な音の通り道は何年かかけて出来上がってるので、それをPCに管理させる、、、そこの考え方が戸惑った。勿論デジタルの素晴らしさや便利さも分かってはいたけど、俺はエンジニアになりたい訳じゃないって何回思った事か。けど最近のデジタルサウンドの作り方や、当たり前のセオリーの意味にも何とかついて来れるようになった。後はセンスだけかな。

この秋からRECを始めた。びっくりするくらい自分のペースで、いろんなサウンドコラージュの実験が毎晩毎晩出来るし、気に入ったテイクがあれば保存、遊びでTESTすれば、SAVEしなければ前日の状態に音達は行儀よく整列してくれる。けど毎晩、何か俺の創作意欲を刺激してくれる、ずーっと心の奥底のマグマはまだ枯れてないし、これからの人生でもライフワークとしてやっていける楽しみや、どんなかっこ良い曲を作ろうかって言うPASSION、と言うか、そんな事がやっと毎日の生活の中に浸透して、またそんな事がやりたくて家出もして、あの頃からギターを弾き続けられてると言う充実感はものすごくある。けど毎日、参考書のようなLogicの本を何度読み返し、まだまだ、漠然とあるかっこ良い音や曲に近づける為に勉強しないといけないけど、そんな事ばっかに費やした2010年だった気がする。

今年は久しぶりに春に「屋久島」に旅行に行って、プチトレッキングを楽しんだ。そう、旅行は久しぶりだったなぁ。5年前くらいまではよく東京や関西に行って刺激を求めてたけど、その5年前に19才だったシンガーはもう24才になった。翌日は富士山のSHAKEさんの家に行く前日に、渋谷のハチ公前で待ち合わせて、お洒落なイタリアンで19才のシンガーはもうすぐデビュー出来ると言って喜んでいた。名前は「宮本あいこ」。彼女がもう確かSONYに囲われてた17才の時に1年くらいギターを教えた、芸名は「二千花」って言うんですって言って笑ったその年は、彼女が活動拠点を東京に移して1年が経とうとしてたくらいだったけど、「インストアライブで九州回る時はギターお願いします!」って笑ってたけど、確かその翌年に二人組のユニットとして「二千花」はデビューした、芸名は「宮本一粋」。CM曲やタイアップ曲でTVなんかでもたまに見てたけど、しかし歌のうまさは抜群で、俺の人生で身近ではNO.1の実力だと思う。とにかくずば抜けてたし、これくらいじゃないと逆に全国区としては通用しないんだなって事も身近に感じられる事が出来た。そんな事をいろいろ感じ取り吸収出来た次の日は、富士山の兄貴(最近ではSHAKEさんの事をこう呼んでる)のところに遊びに行ってセッションしたり夜中までPINK FLOYDのライブ観たりして充実した、また今後のそれからの俺の矛先を指南してくれた年だった。(翌年からアルバムの制作とソロコンまで突っ走る)

今年は約5年ぶりに何故かこのタイミングなのか?コンタクトがあり、まず、あいこちゃんはたまたま「二千花」が去年解散してた事を知りメールを慌ててしたら、成田空港からの返事でレコーディングでロンドンやフランスにまさしく今から飛び立つ時で「話したい事がいろいろあるんで、帰って来たら連絡しますね」との事だった。約3年くらいの活動で短かったので心配ではあるけど、多分SOLOでやるんだと思う。兄貴も久々のメールで「新しい音、楽しみにしてるから!」とか家を増築して広くなったから遊びにおいでよ!と温かい言葉と、同時に新らたな創作頑張るぞ!って気にしてくれる。SHAKE兄貴は特に先輩で現役で憧れた人で、今だに創作活動とライフワークとか、もう出会って15年くらいなるけど、そんな人に関われて幸せに思うし、負けずに頑張ろうって素直に思える。そんな音楽人生の関わりとか、指南役の人がいる事でも毎日が幸せに感じるし、自分の価値観が間違えてないと思ったりする。来年は久しぶりに刺激を求めて、また新しい音を引っさげて、そんな二人に会いにいこうと思ってる。


そんな二人の動画貼付けとくね。



MDFhkQ.jpg宮本一粋


二千花 - エーデルワイス  : http://www.youtube.com/watch?v=Ev7w4EbZaTc

Genius Party / 二千花 : http://www.youtube.com/watch?v=lRrNrcYmRpw



4b5c3862.jpgSHAKE



RED WARRIORS - SHOCK ME (LIVE 1987) : http://www.youtube.com/watch?v=sDXUiFuOCTY

Casino Drive - Carnival of Fever Visions - Part 3 : http://www.youtube.com/watch?v=WfQy6v9vfRU&feature=related



MAGICAL TRIP TOUR はまだまだ続くよ。









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2010年11月01日

またたき

ブログのサブタイトルの「家出から〜」を変えた。深い意味はないけど、何か違和感を感じ始めてたので、勿論、俺のルーツはまさにこの行動から始まってると言うのは否めないけど、家を飛び出してから何か気分も性格も人間性も体質も変わった気がする。変わってなく増幅し続けてるのはPASSIONかな?それはずっとあるんだけど、何かこのブログの「家出」や「母親」というキーワードがあまりにもインパクトが強いみたいで、今の気分じゃなくなった。でもそんな事がルーツにある事はもう百の承知で覗いてくれてる人たちばかりだろうから、あえてサブタイトルにする意味はなくなった気がする。

家出を繰り返し始めた頃(本格的に家出する前のプチ家出を繰り返す大学生の頃、その頃に義母からつけられたあだ名が、嫌みたっぷりに「鉄砲玉」だった)年は3つくらい上のバンドマンの先輩と知り合った。彼はそれはそれはお洒落で、手塚治虫みたいな帽子をかぶり大正ロマンのようなマントみたいなコートとエンジニアブーツをキメ、RCサクセションの大ファンで、当時の俺からみたらRCのギターリストの「CHABO」そのままだった。そのバンドのサウンドも日本語を大事にした、RCよりもブルージーでかっこよかった。ドラムは助っ人で、その先輩の幼なじみでもあった「少年B」という当時博多では結構活躍してたギャルバンのドラマーだった。まだ鉄砲玉で大学在籍の俺は家出してはライブも観に行ってたし、打ち上げにも参加してメンバーみんなも年下の俺を「ゆうすけ!」と呼びかわいがってくれた。その頃はもう親父達とはうまくいってなかった俺はプチ家出をしては1、2週間は家に帰らず、行方不明の鉄砲玉状態!そんな20才そこそこの青い悩みもよく、その先輩の家に泊めてもらい朝まで話してた。その先輩の彼女がまたかわいらしく、二人とも仲睦まじく羨ましいカップルで、よくデートにも便乗して遠くまでドライブなんかも連れて行ってもらってた。とにかくその当時の俺は先輩も、そのバンドも、先輩達のカップルの価値観全てに影響を受けていた。その先輩カップルといると、すごく幸せな気分になれたし、ものすごくかわいがってもらった。

その後その先輩は、当時の博多では有名な雑貨屋さんに就職、先輩の彼女は保母さんになって、二人は数年後結婚した。俺はもう本格的な家出を果たし、久留米での逃亡とFACTORY生活で交流は前みたいには途切れてたけど、たまにTELなんかしてた。

月日は流れ、俺は気がつけば何故か音楽で飯を食おうとしてた。その先輩は大手の親父さんが勤めてた服飾の会社へ入社して出世街道まっしぐらで、バンドという一つの季節は終わってた。

そんな時に郊外に家を建てたと風の噂で聞きつけ、久々にTELして、不思議とあの頃のように少年のような気持ちで電車に乗り込んだ。音楽一本ではまだ到底食っていける状態ではなく、いろんなバイトしてた時で辛い時期でもあったので、俺の心は「あの先輩夫婦に会える!」と浮き足立ち、郊外の家を訪れた。初めて出会ってから、5、6年の月日は流れてただろうか、、、、、、、、、。

新築の匂いがした。かわいらしい彼女だった奥さんが笑顔で「ゆうすけくん、久しぶり!」と、かわいらしい出来たてほやほやの新居に迎え入れてくれた。、、、、、、、、ん?かわいらしい彼女だった奥さんが、妙に老けて見えた、笑顔も以前のものと違う、あの頃俺たちはいつも腹から馬鹿笑いをしてた、それは涙が出るくらい笑ってた、そんな、かわいらしい彼女だった頃の表情と違う。笑い方も違う、、、、、、ん?、、、、、奥から先輩が出て来た、「ゆうすけ!元気やったか?」、、、、笑顔はない、、、、、。

かわいらしい彼女だった奥さんは、そそくさと台所へ、、、、、俺はリビングのとなりの畳の部屋へ通された。すかさず先輩は何やら押し入れをゴソゴソやり始め、ゴソゴソやりながら俺に向かって「ゆうすけはギターの先生になったとや?」、、、、「あっ、は、い、、、」、、、、何やら押し入れの奥から埃を払いながら、小さなギターアンプと弦が錆びきった見覚えのあるギターを取り出した。小さなアンプをコンセントに差し、ギターを俺に差し出し、「何か弾いてん」、、、、いきなりの事で何を弾いたかは覚えてはないが、、、、そんなこんなしてると、かわいらしい彼女だった奥さんがコーヒーを運んで来てくれて、また台所へ引っ込んでいった。次の瞬間、「ギターの先生って、、、全然アーティストでもなんでもないやん」って、唇の端を持ち上げ少し笑ったように言われた。「、、、、、、、、、、。」
俺は何の反論も出来ずにギターを弾く行為もやめた。その先輩の言葉は的を得ていた。この頃既に俺はインストラクターになりたくてギターを弾いてるんじゃなくて、アーティストになりたいって心から思ってたから。でも心はSHOCKだった、、、、、、。

それから俺たちは隣町の先輩達の知り合いの、お洒落なバイクと雑貨のあるカフェに車で向かった。後部座席で俺は昔を思い出してた、こうやってよく遊びに行ったなって。でもさっきの先輩の言葉と、かわいらしい彼女だった奥さんの様子が頭から離れなかった。、、、、、何故か、、、、、、無言の車内、、、、、話しかける雰囲気でもない、、、、、すると小声でかわいらしい彼女だった奥さんが先輩に何か言ってる、、、、、鼻をすする音が聞こえた、、、、、、話し声が車内のBGMをかき消すくらいになって、先輩の怒鳴り声、、、、、かわいらしい彼女だった奥さんの責め立てるかのような罵声、、、、、鼻をすする音、、、、、、相変わらずおしゃれな二人とBGM、、、、、初めて見る二人の感じだったのと同時に、俺の中でガラス細工のように何かが崩れ落ちた。それが月日と、俺の勝手な思いと言うものなのか?そしてこれが今であり現実であると感じた瞬間だった。それからは重い空気の中、目的地に到着して、そこら辺から俺の記憶はあまりない、、、、。その後、子供が出来たと言う風の便りが届いた、、、、、、でも、その後会ってないし、疎遠になってしまった。誰が悪いのか?、、、、多分俺が子供だったんだろう。でも今でも先輩とかわいらしい彼女を思い出す時は、馬鹿笑いしてる楽しい事ばかりだ。

咲咲のRECがようやく一段落しそうだ。DEMOと言う事で、簡易な機材で、でもその機材の中でも音を残すと言う事の境界線や真剣さ、現在の俺のセンスや感覚やRECの実践を伝えられただろうか?って思う。もう半年以上なるけど、月に二回だけ時間を合わせてやって来た。彼らも来年は大学4年生になる、それぞれの夢や希望を抱えて巣立っていくだろう。俺もそんな若い二人に接して勉強になる事もあるけど、きっと大それた事は伝えられてない気がする、どこへも導いてやれてない気がする。本格的にアーティストを目指し、アルバムを作ると言う事は、きっとアスリートのようにストイックにならないといけない!もっと、もっと厳しいだろう。楽しいだけではなく、悩んだり戦ったり、ものを創って表現すると言う事は唯一無人な事であって孤独な事でもあるけど、それがアーティストだと思う。ZERO TO ONE ! でも今日と言う、二人の年齢や状況は二度とはやってこないと思う。でも毎回のその一瞬をどれくらい深く過ごせたり、毎日の日常に取り込めるかだとも思うけど。俺も相変わらず、あの頃に「クソーッ」って思った感覚だけは色あせてないよ。咲咲の二人の今の瞬間に関われて、今後彼らが、そのDEMO音源を聞いた時に、そのそれぞれの今後の現在に何らかのPOWERになって欲しいし、そして生み出したZERO TO ONE なオリジナル曲達は、きっと素晴らしい財産になるだろうし、誇りに思って欲しいし、思い出の場面は馬鹿笑いしてる俺たち3人の瞬間であって欲しい。俺からYELLなんて大それたものを送るつもりもない、彼らの将来の事等分からない、今後、ある時押し入れから埃をかぶったギターを取り出して、その時の素直な気持ちで楽しくギターを奏でて欲しいよ。俺から伝えられるのは、そんなちっぽけな事くらいだ。うん!それだけだ。


またたき01.jpg

咲咲。現在、大学3年生の秋。



あの、一瞬一瞬が現在地を創ってる。


posted by usui special at 04:21| 福岡 ☔| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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