2011年07月30日

セレナーデ

暑い暑い!そして今年はアコギが中々鳴らない、、、。40歳ちかいハミングバードにはもう少し頑張ってもらわないといけないけど、弦を張り替えてガシガシ弾いて鳴りが良くなったらコンデンサマイクと暖めていた真空管プリアンプでRECするんだけど、調子が良くない。気に入った音で録れない。ネックの状態を見るとかなりうねってるし準反りしてる、、、そろそろ入院させた方が良いのだけど、もう少し頑張ってもらわないと入院代も出ない。アコギのネックのうねりなどを治すのはかなり大変で時間もお金もけっこうかかる、ネックに多分アイロンのようなものをあてながら熱によって少しずつ力を加えてうねりや反りを治す。結果的にはネックが熱によって乾いて鳴りはまた良くなるんだけどね。

ここ一ヶ月くらいは制作面でも心の調子が良くなくはかどってない、Sitting on Limestoneというタイトルとイメージをアコギを何台か重ねてカホーンとタンバリンとかでとにかく爽やかな乾いたサウンドにしようと思ってた。コード進行やメロディもいろいろ試し、真夏なのに心の長い冬も終わりかけてRECを始めようとしたところハミングバードが不調だ、、、。12弦ギターや軽くシタールギターの音色も入れようと思ってるけど、土台となるベーシックな曲の雰囲気を左右するハミングバードがネックのせいで弾きにくいし、鳴りが良くない。最悪、1997号に頑張ってもらうしかないな。それと毎年恒例のZEPPでのイベントの準備もあり、6月からそれは平行してやってたんだけど、今年はそのイベントは8/28(SUN)にあるので、どっちみち終わるまではバタバタしそうである。

先日もとハンドレッズのVO 佐々木君(ササキモトアキ)からメールが来た。彼とは3年くらい前にハンドレッズ解散して福岡に戻って来てる時にひょんな出会いをしてしまい。それからまた彼は東京へ行ったけど今だにたまにメールが来る、今は「集英社MUSIC IMIDAS」で頑張ってる。ミュージシャンとしてではないけどYAHOOなどのネットを通じて音楽の記事を書いたりしてる、今回はその記事の掲載を知らせてくれるメールだった。世界的に有名な曲「上を向いて歩こう」海外では「SUKIYAKI」を何故誕生したのかとか、作曲の「中村八大」作詞の「永六輔」などの記事や時代背景、なぜアメリカで同じ時期のビートルズではなく「SUKIYAKI」を紹介したのかなど、じっくり読めて面白かったのでこのブログでも紹介するね、興味ある人は是非!ちなみに佐々木君が担当したレポは「仲井戸CHABO麗市」のインタビューだ、なぜ忌野清志郎は「上を向いて歩こう」をライブで「日本のROCKナンバー!」として紹介したのかなど中々読み応えあるよ!気になる方はこちらへ : <Yahoo! JAPAN特集内 「上を向いて歩こう」特集> http://event.yahoo.co.jp/sukiyaki/




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27日に楽天戦の野球を観に行った、その日は和田と71日ぶり復帰の岩隈の投手戦で、負けた。



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福岡YAHOO DOOMからの夕焼け。



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しかし凄い数のカメラマン!



今日のタイトル何だっけ?そうだ、「セレナーデ」これは小夜曲だけど、もともとはドイツ語かららしい、二階の窓越しにいる女性に一階の外から男性が唄いかけるらしい、今日は「上を向いて歩こう」と言う名曲を紹介したので、以前YOUTUBEサーフィンしててたまたま見つけた名曲でもあり思い出の曲のタイトルである、約30年近くぶりに聞いた!やはり良い曲であり、あの頃に一気に戻れるわけで是非それも紹介したいな。

尾崎亜美 蒼夜曲(セレナーデ): http://www.youtube.com/watch?v=xRymNBvf7VA&feature=related

この曲を聴くと淡い気持ちや汗や夏の日差しや無邪気さや仲間や戻れない切なさや大切な宝物とか言葉にすれば軽いんだけど、社会に放り出される前の奇跡に近い小さな同じ年のコミュニティーなんかを考えて時間が過ぎてる事を忘れさせてくれた。


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しかしこいつらにも悩みや思い出ってあるのか?



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2011年07月25日

今月のアルバム,,,,11'07'

先日バスに乗って六本松にあるハートストリングス(スタジオ)に移動してると、バスはほぼ満員立ってる人も多く俺は座れてたんだけど、横に立ってた大学生風な女子二人男子一人がぺちゃくちゃくっちゃべっていた。仲良しなんだろうなくらいで俺は感じてた、結構声もでかく一人の女の子のバックも俺の足にバンバン当たってた。俺はそんなに気にもして無く、楽しい年頃だろうなとか思ってら、俺の席の斜め前のサラリーマン(40代くらいかな)が一人の女の子に何か小声で言った、すると女の子は動揺した顔になり3人はかたまり降車するまで一言も会話を交わさなくなり、目も合わさず外の風景を見てるだけ。、、、、んんどうしたのか?何を言われたのか?俺からはサラリーマンの頭しか3人がいるから見えなかったので状況はつかめず、、、すると三人はバスを降りて行った。サラリーマンが見えた、なるほど!サラリーマンの手には小説が、、、、。多分言った一言は「ちょっと静かにしてもらえませんか?」か「ちょっとうるさい!」か「うるせ〜!」か「やかましいね〜!」かは分からないけど、そんなたぐいの言葉だろう。う〜んこれってどうだろう?って俺は考えた、映画館でもないし公共のバスの中だし、確かにワイワイがやがやだったけど、言われた女性は「すみません」もなく、ただ動揺した顔でだんまり、、、。俺は勝手な想像をした、サラリーマンが「すみません本読んでるので、少し声を小さめでお願い出来ますか?」女の子は、はっ!とした顔になり笑顔で「うるさかったですか?すみませ〜ん!」そして仲間にキュートな笑顔で片目をつぶって、人差し指を立てて口に前にもって行って「シーー」って舌でも出して小声でしゃべるくらいのやり取りが理想だなと考えた。注意の仕方も問題があるから女の子は動揺してだんまりになって悪い事をした人みたいになってしまい、何とも言えない空気感だけが漂う。そのサラリーマンは酔っぱらいのいかにも部長みたいな人が同じ状況だったら注意してるだろうか?本を読むのは勝手だけど、公共の満員のバスだ。会話が弾んで楽しいのは分かるけど疲れてる人も乗ってる公共の満員のバスだ。両方にもう少し想像力や思いやりがあれば、あんな空気感にはならなかったんじゃないかな?


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Game, Dames And Guitar Thangs /Eddie Hazel


77年に発売されたアルバムだ。勿論リアルタイムではないけどギターリストのソロアルバムとしては隠れた名盤と思うし、聞けば聞くほど発見のあるサウンドでギターの音やエフェクトサウンドは結構影響受けたアルバムである。ジミーヘンドリックスとよく比較されるけど、確かにスピリッツは引き継いでると思う。ジミヘン好きな人にはお勧めだよ!

 P-FUNKの重要ギタリスト。Funkadelicに在籍し、Magot Brain等の名演を残した。裏ジミと呼ばれ、「ジミ・ヘンドリックスよりジミヘンぽい」と言われたりするように、Jimi Hendrixとプレイスタイルが近い。しかしながら本人は「自分の心に聞こえる音をそのままプレイしているだけ」と語るように、彼の出す音はズブ深くファンクであった。ちなみに彼はFunkadelicの幾つかのアルバムでGrace Cook(エディの母親の名前)という名で作曲者としてクレジットされ、ギターを弾いている。1992年12月23日に逝去した。




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ハートストリングス!バンドリハをやってたCスタに久々入った。



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懐かしくなったので「その頃」のショットを!06'10' ファーストフライト。



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こちらは 07'02' レコ発ソロコン!



今週、来週のオンラインレッスンお楽しみに!


火曜日に更新されると思うので、今週が「Gettin' Jiggy Jam」来週が「LED WOMAN」check it out ! PLAY LOUD !


chuya-online.com 動画チャンネル : http://www.youtube.com/user/chuyaonline

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2011年07月21日

放課後の校庭。

ROCKの洗礼を受ける前の小学生の頃は結構真剣にソフトボールをやってた。ポジションはぎっちょ(左利き)の俺は2番ファーストだった、背番号は3番。王選手に憧れてた俺は1番が良かったけどチームの方針で高校野球方式の背番号の付け方になった。犀川町の各地区ごとにチームがあり町内大会、それに優勝すれば京都郡大会と進むんだけど、俺たちのチームは伝統でずっと優勝するチームだったので練習も本格的だったし、本当にうまい奴しか9人に選ばれなかった。俺も5年生のときはたまに守備に着いたり代打だったけど6年生でレギュラーを確保出来た。夏休みは朝から晩まで練習で町内大会ともなれば父兄たちが麦茶やおにぎりやら作って、やんややんやの大応援合戦!ちなみにみんなの予想通りに俺のおやじも継母も一度も練習はおろか大会なんかにも顔は出さなかった。そんな思い出がつまったのが小学校の校庭。

中学生になって完全にROCKやギター少年になった。小学生のような夏の校庭は関係なくなった、けど前にも書いたけど彼女が出来たりして、クラスマッチでソフトボールに奮起してかっこ良いところを見せようとした中学校の校庭。放課後はむしろ校庭ではなく自転車置き場や帰り道の道草が校庭よりは大事になった。

高校生になり、はじめて自分で集めたROCK BANDを作った。ずぶの素人ばかりが集まって、やっとで2年の文化祭で自分たちで「カリフォルニアジャムだ!」って意気込んでステージを組んで(実際は学校の前でマンション建設してた工務店の人にただで組んでもらうんだけどね)演奏した校庭。二年生にして高校のHEROになった校庭。野球部の部室や校庭に隅に並んでる運動部の部室を転々としながらプカプカタバコふかしてた放課後の校庭。

大学生のときは、ほとんど講義にも出ずに食堂の売店に一番近いテーブルをぶんどってバンドの打ち合わせやウォークマンばかり聞いてた思いでしかないので校庭の記憶はない。

昨日久しぶりに南区の某小学校の校庭へ行った。小学校の放課後の校庭て何十年ぶりだろう?全然自分との過去とは関係ない校庭だけど、何か懐かしく、その小学校を卒業して行った人たちの年輪や思いが浮遊してる気がした。シーソーがありジャングルジムがありブランコがあり滑り台があり鉄棒がありタイヤが半分埋まっており、ウサギ小屋がありひまわりが咲き水飲み場があり、何も進化してないアナログな空間。何かホッとした、放課後の校庭は寂しさもありワクワクしたものもあり、ここで遊んだ生徒たちの歓喜や憂いや思い出が渦巻いて確実に風化する事無く土にしみ込んでる気がした。


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その日の移動は何故かベンツ。



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その小学校のすぐ横にある名前も知らない公園に抜け出して一服。



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今回の目的は甥っ子たちのサッカー教室観戦。



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俺はジャングルジムの上からずっと観戦した。



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その後はワイワイとバーベキュー!トムとジェリーに出てきそうなアメリカ製のコンロ。


放課後に開放してある学校もあるみたいなので、忘れてた何かを思い出しにキャッチボールでもしたくなった。











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2011年07月18日

公人?

毎日くそが着くほど暑い、梅雨時期のジメッとした頃に比べるとクーラーにもなれて来て頭痛もとれたけど、とにかく暑い!もう若くもないのでチャリはこの夏は封印してる。またここ何年か必ず夏になると夕立、今の言葉で言えばゲリラ豪雨の確率も高いので乗ってないなぁ。けどチャリランニンは俺にとってリラックスや魂の開放も担ってるので、少しその部分のストレスも溜りがちだ。徐々に体が夏や温度や日差しになれて行ってるのが分かる、夏のなると気持ちは開放的になり、女の子たちの服も開放的になり、恋が始まったり、また終わったりもする記憶がある。

今年の夏で小倉のお世話になってるプラグインのオンラインレッスンも3周年を迎える。毎週火曜日に動画がアップされるんだけど、回にすると130回くらいになる、いろんなテーマを決めてエレキギター、アコースティックギターを10回ずつレッスンをカメラに向かって、いや違うなカメラの向こうで見てくれてる人に向かって台本もなくライブな感じで撮影する。もちろんお店の宣伝も兼ねてるので、きせいのテキスト的なものは著作権があるから使えない、自分の頭の中と今までの音楽人生で培って来たものをヒケラカスのではなく同じ目線でレッスンしてるつもりだけど、これがまた大変で約10分程度にまとめ二本撮りする。基本的にレクチャーは相手の反応があるから次こうしようかとか、もう少しここをこうした方がカッコいい音になるよとか、そのフレーズについては曲のキーがなんなのでここのポジションでこんなスケールで成り立ってるよとか、そんなキャッチボールのないレッスンは独りよがりになりがちで、テクニックをひけらかすだけの動画なんかもよく見るので、そうなら無いように心がけてるつもりだけど、勿論失敗したりあまり良くない内容も多いんだけど、そんなライブな(実際目の前で同じ部屋でレッスンを受けてるような)レッスンをやってる。そして最近では10回終わると2回分のスパンをもらい、レッスン以外の俺の素顔と言うか、曲とかをプロモーションビデオ風に流してもらったり、要するにこんな曲作ってこんな活動してる人がレッスンしてますよ!って宣伝も兼ねてる。最近ではマイクがヘッドセットになったりカメラもハイヴィジョンになったり進化はしてる。

写真を撮られたりするのも苦手な俺だけど、オンラインレッスンはもう慣れたけど、コメントの前ふりを撮影されたりするのは(カウントダウンTVをごらんのみなさん〜的な)いつまでたっても苦手である。今日も何か忘れたけどオンラインレッスンのダイジェスト盤を作って流すので、急遽コメントの前ふりの撮影があった。『カウントダウンTV風にお願いします』こうみえても撮影の前は鏡の前で最低限の身なりや髪型のチェックはする、というかするようになったのかな。しかしネットの世界はきらいで誰でも誰にも成り済ます事が出来て、そんな仮想空間みたいな世界に自分の顔を出してるリスクみたいなのも感じる事もある、よって撮影された動画は繋がりがあるので一度だけチェックするだけで後は見ないし「碓井裕介」で検索するとびっくりするくらいのヒット数が出て来て、こんな国にもっておどろいて、それから見なくなったけど、ネット社会ではいろんな事が公開され、どんな情報でも手に入るし知りたくもない事も知ってしまう恐怖を感じる。

今10回目が終わってスパンの2回分の動画を制作してくれてるみたいだ。これはまた今作ってる曲を二曲紹介する事になって「Gettin' Jiggy Jam」と「LED WOMAN」を来週からかな動画が見れると思うので興味のある人はみてね!それぞれの曲の紹介はこのブログの記事でまさしく曲のタイトルがブログのタイトルになってる記事で書いてると思うので併せてよろしくです!

碓井裕介オンラインレッスン : http://www.youtube.com/results?search_query=%E7%A2%93%E4%BA%95%E8%A3%95%E4%BB%8B%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3&aq=0r&oq=%E3%81%86%E3%81%99%E3%81%84%E3%82%86%E3%81%86



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夏バテ予防はこれに限る!伝説の「クリミ」やっと食べれた。



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暑い昼間はお腹に優しいこんなのがいい。



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今日の絶品は有明海のエイリアンと魚のイタリアン風バジリコ風エイリアン!最高!



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2011年夏の足長おじさん。



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北九州は小倉の今日の夕焼け、俺は夕焼けが好きである。



現実とネットの狭間で、、、。
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2011年07月15日

ONE NIGHT IKEDON.

昼間は何か調子が上がらない。夜は4、5時に寝て12時台には起きる生活だけど、もう何十年続けてるのだろうか?水商売のオネェちゃんと同じようなサイクルかな?仕事のピーク時間は18時からで遅いときは23時くらいまででアフターがあって帰宅時間が深夜3時とかもある。だからか昼間は調子が上がらない、別に二日酔いでもないし体がきついわけでもないけど、気分的に今年は梅雨も真夏も突然場面が切り替わったような気がするから体が追っ付かない状態だ。明日は仕事前にお世話になってるクリニックへ行って薬の処方をしてもらう予定である。やはり何かを生み出すと言う事はこの年になって来ると何かをすり減らしてんだなって思うようになった。若い頃に比べて季節の変わり目に弱くなった、対応出来なくなって来たと言うか。けどそんな時は自分で蹴散らして、自分で奮起させないと行けない事も分かってる。若い頃は夢だけでも生きてゆけた、夢だけでも酒が飲めてまた夢を語ってベロンベロンになれた。いろんな女たちが助けてくれた、喰えない時には晩ご飯だけを買って来てくれる娘もいた、掃除してくれる娘もいた、精神的に支えてくれる娘もいた、焼酎に睡眠薬を入れた娘もいた、罠をしかける娘もいた。今となれば良い思い出だけど、けどそんな娘たちにぎゃふんと言わせようっていつも考えてた若い俺がいつもいた。それはかっこ良い曲作ってかっこいいステージを恩返しででも見せたいって思ってた、それが最高の恩返しだと思ってたあの頃、それは若い男のただの独りよがりの幻想だって言う事も分かる年齢になった。あの頃の君たち!どうもありがとう!そのかいあって今だにあの頃と何も変わらずに、むしろとしくった分複雑にはなってしまった俺自身だけど感謝してます。

今日は六本松はハートストリングスSTUDIOのみの仕事が20時から入っており、通常この時期はチャリで行くんだけど、最近の夕立と言うかゲリラ豪雨でちゃりは止めた。23時に仕事が終わり最終のバスは23時13分。でも何故か帰りたくなくて携帯を取り出し「咲咲」のふみやにTEL,,,,応答無し、ち〜ん。う〜んそれから「ケイタク」のタクヤにTEL,,,,佐賀からの帰福中のくるまで「飯でもどうかな?」タクヤ「今佐賀からの車なんですよ〜」俺「家近所だし近くでどう?」タクヤ「、、、」俺「疲れとんやろ?OK、っていうか俺CDまだもらってないし」タクヤ「すみません!明後日からツアーで、それ終わりで行きましょう!」俺「いつ帰って来ると?」タクヤ「8月初めには、、、」俺「了解!では帰って来たら連絡して、また、寝てるんやろ?ケイタにもよろしくね」タクヤ「す、い、ま、せ、ん、、、」って俺どれだけ上から?でも俺だって寂しくて、今この時間を共有したいときがある。結局一人で六本松の来週でなくなる10年来の付き合いのあるバーテンの店へねぎらいの訪問。そこで隣に座った25才のB型◎きちゃんとエロ話で盛り上がる。◎きちゃん「入って来た途端に良い香りがしました!」初対面の俺は「え?」バーテン「俺の三本の指に入る尊敬するギタリスト」俺「でた、、、。」◎きちゃん「もう風貌が、輝いてますよねぇ」俺心の中で「でた!」それから俺のIKEDON伝説のハンドラの箱は開かれるのであった。そこからエロトーク満載で持って行く事になる、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。


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今日のスタジオからの夕暮れ、福岡タワーも写ってるよ。



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移転するバー。でも近くに移るらしいので今後よろしく。



よってブログもこんな時間に更新である。



恐るべしIKEDON伝説!まね出来るかな?


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2011年07月13日

アドバルーン

ここ何日かマンションのベランダからアドバルーンがふたつゆらゆらと空を舞っているのが見える。懐かしいような気分になった、ベランダでタバコを燻らせてる5分くらいの時間をアドバルーンがこっちゆらゆら、あっちゆらゆらと舞う。どうも近くのパチンコ屋さんのものらしい、この広告手段を考えた人は何だかロマンティックな感じがする。バスや電車の中刷り広告やド派手なネオンやネットを開くと必ず横っちょに表れるぶら下がり広告よりも何だか俺は好きだなぁ。「ここですよ〜」って風船が青空に舞う、空を見上げる事が好きな俺にとっては「ベランダでタバコを燻らせる時はずっと空を眺めてる」ほのぼのした気分になる。やはりアナログ人間だろうか、昔の人は狼煙を上げて遠くの人に何かを伝えた、空と言うキャンバスに、またお金のかからないキャンバスに信号を上げる。今では誰もが「ここですよ〜」ってこのブログもそうだけどつぶやいたり不特定多数に存在を知らせる事が出来る。また好きなだけ宣伝も出来る、商売も出来る、便利な時代だと思うけど、何か大切な、何かははっきり分からないけど心の奥底にある大切な部分までもが簡単に吐き出せてしまって、知恵や想像力や空想なんかは退化して行くんじゃないだろうか?伝えたい事を音に変えて神髄を伝えるとか、絵に思いを込めてメッセージを詰め込むとか、ためてためて溢れ出す思いを目の前の人に目を見て伝えるとか、そんな心の奥底の大切な柔らかい部分を意を決して青空に、俺ここだよ!ってアドバルーンを打ち上げたいと思った。

最近はここ最近珍しいくらいに、いろんな事が絶不調である、、、、。やる気とか仕事とか体調も含めて最悪である、原因もよくわからないし別に心は幸せに毎日暮らしてるんだけど、何かを考えたり何かを思ったりしても心が冷めきってしまってる。何か嫌な事があったわけでもない、曲作りのプレッシャーはもう4月から続いてるんだけど、そんな事はなれっこになってるはずだし、プレゼンも今のところ全曲うまくいってる。でも心ときめく事がない、のでまた本を読みあさるようになった、いつもそうだった。心がよろしくない時は何年前からだろう本を読みあさるようになった、本を読んでる時は心が落ち着く。現実とは別のファンタジーの世界にずっといたくなってしまうのだろうか?これは現実逃避?曲作りも昔みたいに無理しなくなった、やりたくない時はやらない!けどひらめいたときは2、3日で完パケまで出来てしまう事がここ2曲くらい続いてる。夢の国があるのならば行ってリフレッシュでもしたいなぁ、千葉にあるやつじゃなくてね、また中洲にあるやつでもなくてね。きっと頭の中に探せばみんなあると思う夢の国にね。


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こいつにも悩みとかあるのかなぁ?



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ゆらゆら仲睦まじい二人。



あの頃から俺はずっとここに居るよ!


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2011年07月10日

白秋。

やっとでと言うか早々と梅雨が上がった。梅雨に入るのも早かったから俺は首を長くしてこの時を待っていた!今年は特に体調を崩しかけたりバテ気味になり頭痛に悩まされた。しかし今日と言う真夏を感じる温度と日差しで気分も随分変わった気がする、単純だな。そんな季節が変わった瞬間の日、春も秋も冬もそんな瞬間を感じる日が必ず一日ある。空気であったり湿度であったり温度であったりファッションであったりとね、そんな日は必ず「青春」時代のいろんな光景が頭をよぎる。そして必ず青春って?何?言葉を探すけど、言葉じゃ見つからないし言葉にすれば膨大な単語や台詞や言葉でまとまらないけど、頭の中には必ず言葉にできない青春が巡る。みなさんにとって「青春」を一言で言うと何ですか?勿論思い出したくもない人も居ると思うし、いじめられたりとかね、けど今青春とは何?って考えられると言う事は「青春」真っただ中の人も居るだろうし、そんな時を通り過ごして「今」を生きてるから青春は存在するわけで。良くも悪くも、良い思い出も悪い思い出も含めて全て「青春」のわずかな貴重な時間を通り過ぎて来てる、20代の人から見れば中学生、高校生が青春であったり、30代から見れば大学時代や新社会人の何年かも青春であり、それ以上になると、やはり中学生や高校生に限定されて戻って行くのが青春。俺はそんな青春時代とやってる事は何も変わらず、その事には感謝しないといけないのかもしれない。青春時代のギターや曲は今でも継続中で、何かを諦めて来た人生じゃない、けど確実に大人になっているわけで無理もしなくなった。けど青春時代とやってる事と夢見てる事と価値観は何も変わっちゃいない。けど、やはりあの短い青春の時期の感受性は特別で今では考えてあの頃の感覚に持って行く必要が出て来た事は確かだけど、、、。「自分て何?生きてる価値は?自分の存在って何?何がやりたいの?」とか知らず知らずのうちに哲学にも目覚めて行く事が青春でもある。そんな青春が終わり次に「朱夏」がやってきて、そしていつのまに「白秋」に実年齢はなってるわけで、俺もそんな実年齢だけど青春の頃と何か変わった事はあるのだろうか?子供も居ないし、自分の身の丈を比べるものも無く、あの頃と同じような事やってる。

言葉や文章にするのは難しい「青春」それは今の状況と反して、それぞれの心に宿るマグマでもある。良くも悪くもね、俺も悪い事の方が多いような日常だった気がするけど、良い事のほうが「青春」というカテゴリーには近いような気がする。そんな良い事の方に知らず知らずのうちに自分の身を置き今を暮らしてる事は、すっごい幸せな事かもしれないと今日思った。良い事も悪い事も今よりも圧倒的に生きてた気がする。恋をし、男になり、半人前だけど見えない未来に夢を膨らませ、それに向かって圧倒的なパワーで逃げ出した。人がどうのこうのとか家族がどうのこうのうとかじゃなくて、自分自身が圧倒的に生きる!いろんなバランスなんて考えてなかった、自分の心に響いた事に圧倒的に向かう!これが俺の青春だったかもしれない。だから俺の青春に対しての一言はというと。


圧倒的に生きる。



そんな言葉にできない「青春」という哲学は今だに曲になり、文章になり、映像になり、絵画になってる。それくらい「青春」は人生において特別な時間だと思う。かの吉田拓郎でさえ青春を歌にすればこんなに言葉が多くなる。


青春の詩



喫茶店に彼女とふたりで入って
コーヒーを注文すること
ああ それが青春

映画館に彼女とふたりで入って
彼女の手をにぎること
ああ それが青春

繁華街で前を行くいかした女の娘を
ひっかけること
ああ それが青春

すてきな女に口もきけないで
ラブレターを書いたりすること
ああ それが青春

GO GO クラブで汗だくになって
踊り疲れること
ああ それが青春

グループサウンズに熱中して
大声あげ叫ぶこと
ああ それが青春

フォークソングにしびれてしまって
反戦歌をうたうこと
ああ それが青春

SEXを知りはじめて大人になったと
大よろこびすること
ああ それが青春

親にかくれて酒・タバコ・睡眠薬
はては接着剤シンナー遊び
ああ それが青春

アルバイトばっかりで学校へは行かず
てきとうにやること
ああ それが青春

飛行機のっとり革命叫び
血と汗にまみれること
ああ それが青春

勉強一筋他には目もくれず
我が道を行くこと
ああ それが青春

スポーツこそ男の根性づくりだ
やれサッカーやれ野球一年中まっ黒
ああ それが青春

かっこいいスーツかっこいい車
プレイボーイ プレイガールと呼ばれること
ああ それが青春

パチンコ・マージャン・競輪・競馬
かけごと専門のギャンブラー
ああ それが青春

一日中を規則通りに生きて
他に何んにもしないこと
ああ それが青春

ジュリー!ショーケン!キンチャン!
ああ それが青春

孤独になってひとりで悩み
ひとりで考えること
ああ それが青春

自由気ままに思った通り
何んでもやってみること
ああ それが青春

さて青春とはいったい何んだろう
その答えは人それぞれでちがうだろう
ただひとつこれだけは言えるだろう
僕たちは大人より時間が多い
大人よりたくさんの時間を持ってる
大人があと30年生きるなら
僕たちはあと50年生きるだろう
この貴重なひとときを僕たちは
何かをしないではいられない
この貴重なひとときを僕たちは
青春と呼んでもいいだろう
青春は二度とは帰ってこない
皆さん青春を……

今このひとときも 僕の青春




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こんなの見つけた、青春を取り戻したい方はどうぞ!通販です。



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六本松のスタジオより、梅雨の終わりを告げる空。




迷惑かけてもいい!圧倒的に過ごせ!青春を。







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2011年07月08日

なう、、、。

今年は急に暑くなって湿気も増えた。よって早くも夏バテ気味、、、、、年取ったなぁ、、、、、こんな時はどうやってやり過ごそうか、、、、何か良い知恵あったら教えて欲しい、、、、、クーラーにこんなに弱かったかなぁ、、、、、、今宵もあたたかい柑橘系の香りのするTEAは飲んでるけど、、、、、って言うか毎日飲んどるし、、、、、、集中力もないなぁ、、、、、よいメロもフレーズもうかばない時は無理しないと決めた、、、、、俺にもTVでやってる「やる気スウィッチ!」欲しいなぁ、、、、、何とか本をまた読み出したりしてイメージの扉をこじ開けようとしてる、、、、、今読んでるのは昭和の長崎を舞台にした吉田修一の「長崎乱楽坂」極道の家系に育った兄弟の話だ、、、、、こんな時はついつい深読みしてしまいすぐに読み終わってしまうなぁ、、、、、あっ!今BGMがピンクフロイドの「TIME」が流れ出した、、、、、この曲を聴くと美しさと寂しさと儚さと「焦り」も感じてしまう、、、、、こんな時は一人でも羽目を外して飲みにでも出歩こうか、、、、、、デビットギルモアのギターソロのFUZZとDELAYの追いかけてくる感じは研究したなぁ、、、、、誰でもいいから「ファイト!」って言ってくれないかなぁ、、、、、嘘でもいいから俺の曲「素晴らしいよ」って思って俺にテレパシーでその気持ちを送信してくれないかなぁ、、、、、それか、、、、思いついたフレーズの破片についてでもすぐに、どう思うって話して語ってくれないかなぁ、、、、、気軽に、、、、、その時はくれぐれも同じ目線でね、、、、、、どんな立場とか関係なく心にどう響くか知りたい、、、、、創作とは孤独である、、、、、自分との戦いである、、、、、我が輩は猫である、、、、、夏目漱石の「三四郎」に出て来る主人公の出身地が「京都郡」だった謎が解けてほっとしたなぁ、、、、、そんな凄い人が犀川町にいたとは!、、、、、久々に「本庄池」にでも行って親父が作ったでかい木の看板でも見に行くか、、、、、、やめた、、、、、今年の博多駅の前に飾ってある山笠の山は例年よりでかいらしい、、、、、おやじが作った看板みたいに、、、、、散々自慢されたなぁ、、、、、「お前に出来るか?」って目で俺を見てたなぁ、、、、、看板の前まで連れて行かれて、、、、、「犀川町」にはいろんな人が居る、、、、、そんな事より頭痛が治らない、、、、、キュッと痛い奴がずっと居座ってる、、、、、あの看板みたいに、、、、、でかい山笠は何で裏はワンピースなんだろう?、、、、、明日はハミングバードの弦を張り替えよう!そうすれば一気に洪水の用に溢れ出るだろう、、、、か?、、、、、湿気でアコギがならない事もストレスである、、、、、ブログなう!、、、、、頭の中からっぽなう!、、、、、なう!、、、、、なう、、、、、実際なうじゃ無くて「ぱすとばい」だと思うけど、、、、、そう全て創作はぱすとばいだ、、、、、思い出って事?、、、、、う〜ん、、、、、写真も絵も手紙も曲もぱすとばい!、、、、、、「博多駅前山笠ワンピースぱすとばい!」ってね、、、、、その瞬間を共にしたいね、、、、、感動とか、喜びとか、悲しみとか、、、、、、なう!、、、、、、そんな心にいろんな破片やちりが溜って溢れ出す、洪水のように、、、、、明日ハミングバードとテレキャスの弦も張り替えよう、、、、、、最近はちりばかりが溜ってるのかなぁ、、、、、、部屋の掃除もしよう!、、、、、、頭痛ぱすとばい!、、、、、、。



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今年の梅雨なう!

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2011年07月05日

Sitting on limestone

天気が悪いなぁ。湿気も多いし、ご飯を食べる時や風呂上がりにはクーラーが欠かせなくなった。よってクーラーに弱くなった俺は頭のある部分にツンと頭痛がいる。もうこいつとの付き合いも3年越しくらいになるけど、毎年必ずこいつは現れて体が冷房になれるまでは俺に頭に居座るようになった。時には頭痛薬のお世話にならないといけない時もあるやっかいな奴だ。俺は偏頭痛持ちではないけど偏頭痛持ちの人は大変だろうし辛いだろうなって思う。偏頭痛以外にも何らかの病気と付き合って人生を送ってる人は大変だと思う、障害を持ったりとか、そんな人たちを思うと五体満足に暮らしてる事に感謝しないといけない。普通である毎日は自分が基準じゃないんだと思わなければいけない、そう思って暮らすともっとシンプルに物事が進んだり、へんてこな小さなくだらない争いも無くなるんだろうな。おいしいもの食べれて、お酒飲んで、いろんな物に恋をしてワクワクしたり、バーゲンが気になったり。そんな当たり前に思えるような毎日が基準じゃないんだと思おう。そう俺の心の中に一生居続ける虹になった少年にいつもそんな事を教えられてるよ。俺はその少年の分まで2倍の喜びや屈強や挫折を味わってこれからも、あの頃のまま生きて行くつもりだ!

時間に追われイメージを追いかけ、そのイメージを大切にまた膨らませるような感受性や選択肢や行動の日々は続いてる。今日のタイトルは今作り始めた7曲目のタイトルだ。今回の作曲の仕事はすべてイメージを言葉にして、そこから作って来た。言葉から音へ、、、これはここ5年くらいブログと言う言葉で感情や出来事やイメージや頭の中の事と綴って来たせいかもしれない。また去年は本を一年で数えたら30冊くらい読みあさり、言葉の力や言葉によって世界をイメージさせる事の素晴らしさを逆の発想で言葉から音をイメージする手法を試してみたかった。このブログでは何度も書いて来たけど、そんな毎日心揺さぶられるような出来事は起きない、けどそんなアンテナを高く立てれば音楽や詩や映像や絵画なんかで心揺さぶられる毎日を送れるし、ものを創る人間はそこで毎日を暮らしてないといけないと思う。「さ〜今日は曲作ろっ!」ってギター握るよりは、作らされた方が良い気がする、それには常に言いたい事や映像や残像に感情が入ってないと人の心は動かない!ってのも曲を創りだして何十年にもなるけど、自分の曲も振り返ってみてもそんな思いの強い曲の方が思い浮かぶし、ものすごく考えて凝って作った曲よりも、切羽詰まってた時の曲の方が思い出す。以前やってたアコギにデュオの曲も一番思い出すのが、もう俺の気持ちは、このユニットの世界観ではアコギで表現する事がないと思ってた解散するギリギリにTVの仕事で作ったアコギではなくエレキギターとサンプリングのロックナンバーの「RIDE ON」(締め切りまで2週間しかなかった)と言う曲がいちばん心に残ってるし、二人の力を抜いたエレキギターの世界観がバトルしてる気がする。もうその時の俺はSOLOの曲作りはしてた気がする、何かにイメージを擦り合せて、このユニットはこうだろうとかPOP MUSICを作らなきゃってやってたので、でも俺の頭の中はそんなじゃない!って思って俺の頭の中はもう切り替わってるけど、そのユニット名義でやらないといけない仕事だった。それがはじけられて頭の中が自由になれて良かったのかもしれない。もうその時のユニットの曲を聞き返す事はないけど、頭の中にまたハートにしっかり皺は刻まれて今がある気はする。テレビに出たりラジオで生演奏したりラジオ番組やったり今ではいい思い出だけど、きっと心のどこかで自分の居場所とは違うって思ってた気がする。でもその頃よりも年を増すごとに作品を作りたいとか世界観を表現したいとか言う心や情熱の部分と、より良い音でRECしたいと試行錯誤してる事は10年前と何も変わらず、進化してる事は感じるし、それは今の自分の音になった世界観を聞いて比べてるんだけど、多分答えはないしゴールもない、ただずっと虹になった少年と共に朽ち果てるまで俺のライフワークである。


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じめじめした毎日なので、スカッとした写真を!




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今年上半期のベストショット!あえてボケた写真にしてみたよ。




深呼吸をして、足下をみて、前を向いて歩く。



posted by usui special at 03:08| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月03日

Tranquillizer

今週は久しぶりに時間的にも精神的にもゆっくりできたなぁ。天気があまりよくなかったのでチャリランニンは出来なかったのが心残りだったけど、梅雨も明けそうな流れだったけど天気予報もころころ変わり結局曇りや雨でぐずついて、梅雨明けはもっと先になりそうだ。今週の火曜日くらいに6曲目のプレゼンも無事に終わって、次の新曲とのスパンの休みだったのでギターは一切触らずにのんびり過ごした。若い時はあまり感じなかったけど年を重ねてくると季節の変わり目に体の調子が思わしくなくなる、今年は何かと「節電!節電!」と全国ニュースで20分は時間を割いて報道してる。関東、東北管内の現在の電力使用量はって表示が出てる。オール電化のエコな住宅やエコな電気自動車は誰も触れなくなったCO2削減も言わなくなった、古いおんぼろの火力発電所に火が灯ろうとしてる。新しい商業施設はこれでもかってくらいに郊外に作られてる。何を我慢して、電気だけ節電すればいいのだろうか?経済も回さないといけない、お客さんに来てもらわないと節電なんて言ってられない業種も沢山あるだろう。節電で定時に会社から追い出され、それに当て込んだ早々と店を前倒しでオープンさせ「18時まで入店するとドリンク半額です!」の明々と電気の灯った居酒屋へ駆け込み「本日の節電にかんぱ〜い!」ってのをニュースで見たけど、何が節電なんだろうって?不思議に見えた。

ここ最近自分自身思う事がある。それは音楽で喰って行くようになって20年を迎えた(実際バイトをしなくなってからは16年くらいだけど)からなのか、自分にとってはサラリーやお店で働いてる人や自営業の人と何ら変わりない暮らし方だと思ってる。けど自分を映し出す鏡で(人と話して分かる事)で何で俺は今だにギター弾いてんだろう?って思う。そんな過去の出来事や人に言われたいろんな言葉や態度で分かる事も多くなった。同窓会も呼ばれなくなった理由やそんな事はどうでもいいんだけど、プライドかざされたり、いいよね!今だにそんな仕事出来て、とか。一時期はかなり悩んだ時期もあったけど、かといってがむしゃらに音楽でバックバンドでも何でもやってお金儲けにも興味がない、だからお金は稼ぎたい人のところにしか集まらないように出来てると思う。だから毎日喰って行ける程度にしか執着がない、自分が凄い事やってる何てこれっぽっちもない、ただ好きな事が『仕事』になってるだけだと言う感覚しかないんだけど、そんなスカしたように見えるスタンスがまたムカつく人たちも居るみたいだ。15年くらい前に憧れの日本のロック史に名を残すようなギタリストと引き合わせてもらって、そのギタリストから思いもよらぬ言葉をもらった「ギター教えてるんだって、それで喰えてんの?」俺は頷いた「素晴らしいね〜!」俺はただ驚いた、言ってる意味も分からなかった。俺からすると目の前にいる憧れのギタリストの方が素晴らしいと思ったから。

先日お世話になってる人と約一年ぶりに飲みにいった。その時に中洲のバーでいろんな話をしてて生い立ちや何故ギターを弾くようになったかとか、今の状況とか俺の周りの状況とか話してると、その人がいろんな事を言ってくれると俺はハッとして、要するにその人の言葉が俺の鏡になって自分が見えて来て分かったと言うか気付かせてくれた事がある。実家での大変な状況や二十歳で逃げ出した事は多くこのブログに綴って来たけど、まず碓井のDNAは離散家系で、中学生の頃ギターに音楽に目覚めた時は既に俺は親父曰く「ぜんぜんつまらん」だった、それから毎晩のように如何に俺がつまらんかと言う雰囲気が家出するまで続いた。ギターも叩き折られた、楽譜も全部焼かれた。そんな事を平気でやってしまう親父に義母の手助けはもちろんなく、俺は音楽聞いたり、ミュージックライフ読んだり、めげずに人から借りたギターを弾く事で精神の安定を保ってた。音楽だけが世界の何処へでも連れて行ってくれたし、友達や繋がりを沢山作ってくれた。高校三年生の時にマンドリンを弾いて大正だか昭和の初めだかに楽団をやってたじいちゃんが亡くなった。そんなじいちゃんの体たらくな人生を親父は嫌ってた、俺がギターを始めたいと言った時に最初に言われたのが「碓井の悪い血が出た」だった。そうだじいちゃんの事言ってるんだろう。そんなじいちゃんも孫をかわいがるような人ではなく、布団たたきでいつもはえを追い払うように俺は追い払われてたけど。親父は離散家系も嫌がってた、親父の弟もみな一旗揚げる為に東京へ出て行った、そんな弟たちの事もよく思ってなかった。そんな東京の弟が俺が高校3年生の2月のある日に犀川町へ仕事がらみで帰って来たときに「裕介を一ヶ月東京に連れて行くから」と俺の親父に言った、「アルバイト先も決めてある」って、俺はえ〜って感じだったけど、その日の夕方に荷造りして博多の全日空ホテルに一泊して、東京は八王子に連れて行かれた。「来週からガソリンスタンドでバイトだ」って言われ俺は訳が分からなかった、結局じいちゃんの葬式で一つ試験を受けてなくてそれを追試しないと卒業出来ないと学校から連絡があり、急遽九州に戻らなくてはならずバイトも出来ず3日くらいで戻った。その時にとった親父の弟の行動は理由が分からないままだったけど、何年かまえに従兄弟が言った「親父はゆうちゃんの才能を見抜いてて、、、」うんぬんと、要するに親父の弟は芸能の世界とも繋がりがあって俺をその世界に入れるつもりだったと、俺はその憶測は信じてないけど、才能なんてないし、芸能人なんて興味もなかった。そこで肝心なのが、じいちゃんの葬式での下りにハッとした。そうだ、じいちゃんが呼び戻したのだと、芸能の世界ではなく今の世界に。不思議な事に実家に戻ると直ぐに高校から電話がありやはり追試は受けなくても良いとの事だった。

今では離散家系の真っただ中で俺も親子の縁も切れあの町に帰る事はなくなった。でもなぜか今だにギターを弾いて暮らしてる、気がついたらギターで暮らしてる。けど一発当てて東京行って!とか言う欲はまったくなかった。何故?そのお世話になった人とバーでそんな話をしてて思った事は、じいちゃんがあのとき呼び戻してくれた、そしてギターを弾く事、音楽を聴く事、それが俺の実家に居る当時からの精神安定剤になってるんだって思った。お金儲けやのし上がる為の手段ではなくて生きて行く為の精神安定剤が今だに心のどこかにあるだけなのかもしれない。だから人が俺の仕事や今の状況を羨んだり羨望の目で見たりする事は自分自身の中でどうでも良くてむしろ分からなくて、ただ人生を人の道を生きて行く中で俺が当時感じてたギターを弾く事で関わりのある皆さんに精神安定剤の処方してるのかもしれないと思ったし、あの頃の精神が自分の心の奥底に根付いてるのかもしれないと思った。

ギターが音楽があの頃の毎日を救ってくれた。



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当時たたき折られたギター!たまにオークションで売られてる。



この際、芸能人の俺も見てみたかったなぁ(笑)





posted by usui special at 03:29| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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