2011年08月31日

11' 後半戦。

また暑い蒸し蒸しした残暑が帰って来た。先日の日曜日に無事に今年最大の大仕事が終わった、その日もとても暑かった。zepp fukuokaは楽屋でも禁煙なので関係者入り口から外に出て楽屋口の階段のところに灰皿が置いてあり、暑い中煙草を吸わないといけない。大御所のミュージシャンが来てもそうなのか?客席のロビーには喫煙所はあるんだけど、楽屋からそこまで行くのも遠いしめんどくさいので外で燻らせた。もうzeppは何度目だろう?個人的に出たのも含めると5度目になる。90年代終わりに全国に出来たzepp fukuokaのプレオープンも当時行った事を思い出す。パーティーに記念のTシャツまでお土産もらった気がする、今の時代だと考えられないだろうな。その日は朝は7時に起きて家路に着いたのは午前3時と毎年年間を通じて一番長い労働時間だ。けどステージに立つ喜びを伝えられたかなって自分の事はさておき出演者の皆さんが特別な瞬間になりますようにって毎年思ってる。やはりいくつになってもステージと言うものは特別で神聖で、元々は何もないただの箱と客席と、それより高い平べったいステージがあるだけ。その上でどんな事をやるかは立つ人間によって、またそれをサポートしてくれる周りの人間によって一つの物語が出来ると思う、そこにそれぞれの思いや人間が丸裸にされそんなパフォーマンスがお金を払ってわざわざ時間を割いて足を向けてくれたお客さんにどう届くか?って実にシンプルな事なんだけども、でもいつも思う事は演ってる人の思いが技術よりも必ず先にお客さんに届く。それは人生そのものが丸裸にされると思う、どんな風情でどんなかっこうしてて、どんな音出してって言うのは技術ではないその人の生き様が出てしまう。表情だったり、「なんか無理してんな」とか本人にも分かりづらい部分をお客さんは感じてる。まさにまな板の上の鯉だと思うよ。届くか届かないか、素の自分がそこに居るか居ないか、それしかないと思う。そして一番重要なのが、その素の自分が感動を与えられるかどうか?だと思う。それくらいシンプルにステージはある。

昨日今日と昼間はOFFにして約半年続いた気分をリセットさせた。けど今年は何だか自分の今後のベクトルの方向が見えてこない、充実感より先に自分の可能性とか今後の生き方とか色々考えてしまってる自分が居る。若い頃はいろんな物が輝いてた、どんな土地へ行っても、どんな出会いがあってその町のスーパーで買い物して文化に触れて、どこにでも行けると思ってた。今でもそれは変わっちゃいないんだけど、今自分がやってる事が全てでこのコミュニティーで残りの人生を送るんだろうか?とか、まだ行かないといけない場所や、やらないといけない事や、知らないといけない事や、やらないといけない別の事があるんじゃないだろうか?何の為に家出して自由を手に入れたんだろうか?とか今のこの状況になりたくて自由を選んだろうか?とか考えてしまってる。残された人生をどう過ごすのか?って自分自身に問いただしてる、一度しかない偶然の魂に今の魂が騒ぐ。バブルも桃源郷もない事は分かってる、けど妥協だけはしたくない家出から始まったロクデナシ人生は幸せの意味も普通とは違う気がする、もともと組織に属して人に使われて、その規則の中で動く事が嫌いな自分が自由を求めてる気がする、けど今更だけどそれが俺の原点なんだって思ったりもする。けどそのベクトルの先がまだ定まってない、、、。来週から4畳半一間の生活にも何ら違和感は感じてないけど、今の暮らしに不満がある訳でもないけど嵐の真っただ中にあえて入っていく事も好きである、結局安定を求めてないので人一人幸せに出来ないんだろうな。取りあえず作曲があと3曲残ってるからそれを今完成させて、それから考えよう。政治もスマホそうだけど、もう茶番はいらないよ、個としてみんな素晴らしい世界観を蓄積してるんだから、それが個性だろ?流されれば楽だけどね。やはり俺にはそんな人生は駄目みたいだ、ただまだ自分のベクトルが定まってないけど、嗅覚だけは凄い野良犬である。


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会場前の静寂のzepp。緊張感が漂うのは演る側。



お客さんの感想が全て正解である。

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2011年08月27日

でかくなり続けろ!

やっと晴れ間が見えた。けどやはり長持ちせずに土砂降りがやって来る、今年は特に酷い気がするなぁ。よって今年の夏は、と言うか梅雨からぜんぜんチャリに乗ってない。去年のクリスマスにサンタさんからもらったROMAN-TIVE号は大事にマンションのチャリ置き場ではなくてベランダにシートをかぶせて保管してて、乗るときは晴れの時と決めてるから中々出動してないし、梅雨が終わって夏本番になった時は暑すぎて、、、そしてやっとお盆が終わったら今度は天気がずっとよくなく、天気がよくても必ずと言っていいほどザーッと雨が降るから、ベランダでシートをかぶったままだ。

月曜日に久々の再会があった。それはDOGDAYのレコ発の頃のメンバーが集まった。BASSのSATOSHIはあの頃のまま「Blest room」と言うバンドをやってるけど、BASSは弾いてない。あれから色々メンバーチェンジがあり何と今はギターヴォーカルである。SATOSHIとは彼が中学生の時にアコギを習いに来て、それから高校生の時からBASSにチェンジしてからもずっとUSUIZUMを注入してきた、それからギターヴォーカルになってからはご無沙汰してたしギターヴォーカルになってからのライブは観た事はない、一緒にライブやってるころは大学生だったのに、もう27才になると言う。そしてこれまた久しぶりのDRUMのKEISUKE、彼は当時は「Happy NINE」と言うバンドをやっており、その後バンド名を「halo」と改名して3年ほど前に上京した。KEISUKEは音楽の専門学校に通ってる時に出会い、DOGDAYも当時いろんなメンバーが俺の前を通り抜けていきJOKERもいたりしてBASSのSATOSHIが最初からのメンバーで、その次にJUMBO MASTER ATSUSHIが入って来て、ATSUSHIと仲の良かったKEISUKEが加入した。そんなこのブログではおなじみのATSUSHIは2年ほど前にギターのインストラクターになった。月日が流れるのも早いもので、けど全員「音楽をやってる!」みんな相変わらず喰えてない連中ばかりだけど、今回の再会はBlest roomのワンマンライブにhaloを誘って東京から戻って来たタイミングで、俺はそのライブには行けなかったけど、ライブの翌日に集まった。当時はSATOSHI 22才、KEISUKE 21才、ATSUSHI 23才だったけどあれから4年半の月日が流れた事になる。気がつけばみんなアラサーか!

halo 公式 HP : http://halohalo.jp/




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今週末に毎年行われるZEPPのイベントがやって来る。これが終わらないと俺は落ち着かない、春くらいから動きだし、しかも今年は中身や流れなんかもやらないといけないので大変だけど、裏方から演奏までね。生徒さんの笑顔には救われる、もう20年近く俺は携わってるけど、原点回帰の今年は演奏ではなく裏方として気合いが入る。だってこの20年でかくなり続けてるイベントってそうそうないよね?縮小ムードの経済的なものや震災や、けど決して後戻りしたり規模縮小してない事を守り続けると言う事はある意味プレッシャーもあるけど、関わる人たちも3倍にはなった。20年前は自分たちで機材を車を運転して運び、またばらし、そしてまた組み立てて23時くらいから打ち上げをやってた。みんな若かった、けどそんな当初のメンバーも健在だし、若手も増えて、考え深いものがある。



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久々の晴れ空!夜はだいぶ涼しくなって来た。



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今年はこいつが活躍する年のようだ、ネックを自分で調整中。



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ここ何年かはこれがないとやり過ごせない。魔法のドリンク!



転がり続けて削れずにでかくなろうぜ!
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2011年08月24日

今月のアルバム,,,11'08'

連日雨が続いてる。夕立やスコールのような雨ではなくて、ずっとシトシト降って急にバケツをひっくり返したような豪雨がやってくる。福岡では珍しく「竜巻」の被害も出た、ここ何年かの夏の様子には慣れてたつもりだけど、こんな夏もあるのかと、もう子供の頃の夏は戻ってこないだろうって憂う。今年は日本は大変な地震が起きて今だにその余波が続いてる、それを憂うかのように雨が降る。夏に浮かれてんじゃねーよ!って豪雨のアスファルトを叩く音が聞こえる、TVでは励ましと混沌と日常が茶番に見える。今年ももう9月を迎えようとしてる、俺にとってもいろんな事が過去とを切り離すような年である。長年続いた安全神話は壊れて、心は怒濤に迷う。そんな時は決まって新しいものへ挑戦しないといけないって、家出から始まったロクデナシの嗅覚に臭う。やはり人は試されてるんだと思う、何に?いろんなものに、この世に今いる生かされてる事に、過去の歴史に、自分の運命のDNAに、時間軸やこの時間に。やはりはじめから100%はなかったんだって自分の周りの状況を見渡しても思う、シンプルに暮らして自分の世界観を創らないと、知らないうちにいろんなアプリを持たされ暇をつぶしこなしてるだけの毎日の奴隷になっていく気がする。何が必要で、それって必要なの?とか、そんな事知りたくもないとか、強い意志を持ってないと情報や状況の気がつかないところで奴隷になる。素晴らしい先人たちはものがないけど夢があったからシンプルにその事だけを考え、必要な情報を集めてその事だけを研究したりして歴史を作って来たんだと思う、ほんの20年前まではね。音楽もまさしくそうだと思う、音楽にビジネスが近寄って来てたのに今ではビジネスに音楽が近寄る事しか出来ないほど荒んでしまった芸術。


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Cendre / Fennesz & Sakamoto


世界の坂本龍一とアンビエントの雄Fenneszの共演したアルバムだ。環境音楽にも近いピアノとシンセサイザーに聞こえるけど実はギターの音を加工したインストアルバムだけど、今年は混沌としてるせいかFenneszやBrian Inoのようなアンビエントをよく聞いた気がする。忙しくどんどん垂れ流される情報と聞きたくもない、人のつぶやき。そんなローラーコースターに乗ってるかのような日々で自分の神髄を見つめなおす時によく聞くよ。「ボーッと座る」ってブログでも書いたけど、そんなひとりぼっちの冥想じゃないけど自分自身の今日を振り返られる時間を作ってた気がする。世の中の時間の流れとは違う自分の体内の時間の流れ、今年は自然とあまり戯れられなかった気がするので心がこういった音をや音空間を求めてたのかもしれない。このアルバムは素晴らしく心のカンフル剤になる、忙しい世の中からどこか別の世界へ連れて行ってくれる。





クリエイトは心の奥底に実はあると思う。
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2011年08月18日

脱退。

やばい、ここに来てまたクーラーにやられ気味だ。頭の奥にツゥーンと頭痛が残る、最近はまた雨模様だったり夕立が必ず降るので湿度が高い気がする。湿度が高い時のクーラーに弱いのだろうか?毎晩あったかいクッキーのフレグランスのお気に入りの紅茶は飲んでるんだけど、COCKPITに籠り出す深い時間になるとずんと痛み出す、クーラーは常に除湿で27℃キープなんだけどなぁ。年を取った証拠だろう、年々考えもしなかったけど夏場をやり過ごす事に体力使ってる気がする。早く秋にならないだろうか、秋は一番好きな季節だ、とてもメランコリックになる。メランコリック? melancholyって実は「憂鬱」って意味だけど、俺たち日本人にとってこの響きはロマンチックとかと同じラインで使ってる気がする、響きが女性的だからだろうか?決して悪い「憂鬱」な意味では使わないような気がする。そして今作ってる禁断の扉の曲名が「Shepherd's melancholy」というタイトルのイメージで創りだした。これは、ある風景からだ。94年の暮れにロンドンに行った時に現地の友達と宿もまともに取らずに12月30日にリバプールへバスで出かけた。その年のクリスマス前にはイギリスには来ていて、満を持してリバプールで新年を迎える為に行った。あまり計画も立てずに、ホテルも一日分しか確保出来てないのに「何とかなるよ!」と言う俺の当時の無鉄砲さに友達はかなりやきもきしてたみたいだ。結局31日の大晦日は案の定どこの宿も一杯で日は暮れて来て、それでも俺は「何とかなるよ!」って飛び込みで何軒かB & Bやモーテルをあたったけどどこも満室、、、、。何軒目かで飛び込んだモーテルが唯一部屋の壁をペンキで塗り直したばかりの部屋なら空いてると言う事で少しディスカウントしてもらったかな?そこまでシンナー臭くもなく逆にラッキーだったのを思い出す。リバプールまでいくと当時はまだ年末にアジア人はあまり見かけず、マクドナルドに入っても店員同志何か耳打ちしてうっすら笑われたりした、31日の大晦日に俺は風邪気味だったんだけど、こじらせてしまい夜は出かけなかったけど、外はかなりのどんちゃん騒ぎっぷりが部屋からも聞こえて来て、爆竹の音に酔っぱらって奇声を上げる声なんかが聞こえて逆に出かけてた方がヤバかったかもしれない。そんな部屋で友達には申し訳ないと思いながらTVを一緒にみてたら特別な音楽番組が放送してて、プリテンダーズやシンプリーレッドなんかが出てて逆にそんなのが見れてラッキーだったのを思い出す。そんな94、5年のロンドンのHMV本店ではデビューしたてのオアシスにプライマルのROCKSにジャミロ、久しぶりの新譜を出したプリテンダーズに何と行っても名盤のストーンローゼスのセカンドカミンがドバァーと平置きしてた。今考えると90年代に確立したクラブシーンに対抗したロックがギリギリよい時代のロンドンを体感した気がする。そんなロンドンからコーチ(長距離バス)でヴィクトリアコーチステーションからモーターウェイに乗って約4時間でリバプールに行ける。その時に車窓から、イギリスの名曲と言われる曲を入れイヤーフォンでずっと聞きながら景色を眺めてた、すると田舎になるとゴルフ場のような草原が遥か彼方に繋がってて、顔が黒い羊が群れをなしてる、その向こうに古城が見えて来た時にツェッペリンが耳の中に流れ出した、曲は忘れたけど、その時にイギリスのバンドの音の深さや melancholy が分かった気がした。ロックと言う形態はとってるけど、その背景にある牧歌的だったりクラシカルな要素が「なるほど!」って頭の中で電球が点滅して「チーン!」って音を立てた。前置きが長くなったけど、その風景は今だに頭のフィルムにしっかりと焼き付いており、決してアメリカほど開放的ではなく、島国でアメリカの音楽に憧れた melancholy そんな禁断の扉に挑戦しようと思い、イメージはあの風景のROCKしかないと思ったよ。

昨日「MICK」を脱退した。丁度このバンドに初めて声をかけてもらい参加したのも95年くらいだ、それから月日は流れ3年くらい前から再結成をオリジナルメンバーでと、また声をかけてもらい、結局ベース以外はオリジナルメンバーで再結成した。結局リハも2、3回で本番な、あの頃と変わらないスタンスで(あの頃の方がもっとリハしてないな)セッションに近い形でロックンロールするバンドだけど、今回の再結成も3回かな?ライブして、俺の中で夏場なんかが俺が忙しい事で活動出来ない事、よって年に一回くらいしかライブ出来ない事とセッションバンドなのにコミュニケーションが充分出来ない演奏が嫌だった事とセッションが全然楽しくない事が今年の3月にリハしてて俺の中ででかくなって、あの頃は俺も若く、博多の諸先輩方の中で勉強だ!って思ってたけど、もうそんな年でもないし俺の音楽人生は明らかにあの頃と価値観や作る曲や奏法も変わってた訳でスピリッツは変わってないけどね、心ここにあらずで奏る事の方が失礼かなと思って辞めた。今まで何度もライブに来てくれた方達、そして応援してくれた方達、そしてそこのあなた!どうもありがとうございました。これからももっとわがままな残された音楽人生を全うするので、よろしくお願いします!けど「MICK」は続いていくと思うので、そちらの応援もよろしくお願いします。


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ゲリラ豪雨の後の今年初の虹。



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今の瞬間が頭のフィルムに焼きついてる!のを後で感じる。





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2011年08月16日

禁断の扉に挑戦!

2011年も終戦記念日を迎えて、それぞれが日本人としていろんな事を考える。偶然かもしれないけど、毎年思うのが終戦記念日と言うのは8月15日って言うのが何とも言えない。日本では「お盆」で帰省したりお墓参り行ったりして先祖やDNAが集う日、そんな日に終戦を迎えた。13日に先祖を迎えにいって15日にお墓に還すと言う風習は戦前から?と思うのだが、暦的にも休みでみんなで先祖や日本人として過去を弔う日である、そして毎年俺の少ない夏休みも終わるわけで。毎年このお盆が終わると空気感も変わり「さぁ後半戦!」って気分も一新するんだけど、今年は毎年のzeppでの大仕事が8月の終わりに押してるので(通常は8月初めである)もう一仕事残ってる変な感じでこの時期を感じてる。

7曲目のプレゼンもOKだった。今までとはがらっと違い朝でも聞けるくらいのアコギサウンドでクライアントの人に「80年代のアールクルーっぽいフュージョンサウンドで気に入りました」とこれまた俺にはわからないお言葉を頂いた。アールクルーは知ってるし聞いた事はある程度で、黒人のギタリストだけど爽やかな、それこそフュージョンサウンドである。そんな小難しいコード進行やスケールは使ってないと思うけど、やはり曲と言うのは自分の趣旨と反してその人の心にどう届くかってことか。ロックではないブルースでもないポップだけど歌ものじゃない、ジャズやフォークでもないとなればカテゴリーとしてフュージョンサウンドになるのか。そもそもフュージョンと言う言葉は70年代前半には無くてジェフベックやラリーカールトンはクロスオーバーサウンドと言われてた、ロックやジャズ、ブルースなんかの垣根を取っ払った表現、80年代になって確立されたと思う。日本では高中正義やカシオペア、海外ではアルディメオラ、パットメセニー、リーリトナー、ちょっとジャズよりか。ロックでも凄腕スタジオミュージシャンが集い、ボストン、TOTO、ジャーニー何かがロックのカテゴリーでフュージョンっぽいサウンドで売れた。もはやカテゴリーは関係なくなって、ロックの初期衝動や反骨精神とか毒っけを取り除いた上質サウンドが沢山バンドとして出て来た。シカゴなんかもロックバンドで廃れて来た時に、デビットフォスターという上質の音楽を作るプロデューサーとタッグを組んでまた上質なポップロックで再ブレイクした。YESなんかもプログレの雄と言われながらも80年代は上質の毒をとったサウンドで再ブレイクし皮肉にも一番売れて代表曲となった「LONLEY HEART」フュージョンとは違うかもしれないけど、ROCKの初期衝動や反骨精神、ブルースの基盤や毒っけとはほど遠いと思う。

今回の曲作りに置いて俺はあまり毒っけは以前のアルバムに比べて吐いてない気がする。って俺は分からない、むしろU-MANIAさんの方がそこら辺は当の本人よりも詳しい(笑)毒はやはり吐いてるかな、いろんな「くそっ!」って言う事に、けど今回の曲に関しては「Sitting on Limestone」っていう曲名だけど、このブログを覗いてくれてる人にはおなじみの「咲咲」といった平尾台の思い出と言うか、その時の写真を彼らのブログのアー写で使ってるんだけど、それが二人が白い石灰岩(Limestone)に座ってる。そんなイメージで作った気がする、出来上がったイメージはキザイアジョーンズかCHARかなって感じだと俺は思ったけどアールクルーは意外だった。

咲咲のあまり更新されないブログはこちら : http://ameblo.jp/saku2-supra/



今はこのブログを更新しながらずっとBGMでLED ZEPPELINを聞いてる、今回の曲作りで、以前のアルバムもそうだけど影響は受けてるけど、あえて匂いだけの表現にしてたバンドだ!俺にとっては禁断の扉、神でもある世界観。真っ向からツェッペリンのブルージーなマジックを真っ向から挑戦しようとは思ってなかったし出来ないと思ってたけど、この年になってこの際この仕事と言うカテゴリーを借りて、今一度真剣に真っ向から世界観の勉強して挑戦してみたいと思った(決してフュージョンだと言われたからではないけどね)あの映像の世界に会うんじゃないかと思って、クライアントの人もツェッペリンは大好きだし、そのギタリストのJIMMY PAGEは神だと思ってるだろうから、決してまねではなくて俺が思うJIMMY PAGEの世界観。ずっと王道は避けて来た気がする、好きで凄く影響を受けてるはずなのに、昔あるギタリストに「王道好きですね!俺もそうです。」って言われた言葉も思い出して、そのギタリストはメジャーの人だったけど充分すぎるほどマイケルシェンカーだったなぁ、、、90年代の話だけど。俺も今回は「IBIZA HOTEL」って曲はみんなに「今のサンタナだ」って言われたけど俺の中でマイケルシェンカーの泣きだったつもりだけどなぁ。


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この人の怪しいブルーズやリフはやはり素晴らしいROCKだと思う。まね出来ないけどね。



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と言う事はこいつのフル稼働だ、頼むよ!


近づけないけど、素直に扉を開ける事に意味があるかも。
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2011年08月14日

7th.

やっと乗り越えた、と言うのが率直な言葉だ。7月に入り今年は季節が急にポンポンと変わり精神的な体調を崩してスランプへ突入した。創造の泉は枯れてはいないと自分に言い聞かせてたけど、曲の土台とイメージは出来てたけど、そこからがRECに至らず毎晩葛藤はしてたんだけど、ギターを手にしても自分が落ち込むくらい何も生まれなかった。負の連鎖は続いた、そしてひと月くらい創作活動を休む事にした。クライアントの人には申し訳なかったけど、そうこうしてると急遽3分の曲を一曲作ってくれと(当初はすべて5分台のスローというリクエスト)連絡があったのが丁度ひと月前。8月に入り天気も安定して来て気分も落ち着き再開したのはいいんだけど、作業的に忘れてる事も多く中々ペースがつかめない、、、。

今回のこの一連の作業で感じたのが、妙な自信とは裏腹にここに来て見えないプレッシャーをずっと感じてんだって思った。それが7月に入って一気に押し寄せた、自分の世界観も嫌になり作った曲も聞き返さなくなり、自分の奏でる音やイメージを心の奥底で跳ね返してた。ものを創る人はみんな共通してると思うけど、まったくもって孤独な作業だ。自分との戦いだし、どこが正解かも分からない。自分の頭の中にあるファンタジーは自分がどんなものに興味を示し、何がかっこ良くて何がカッコ悪くて、要するに創作活動とは全く関係ない些細な日常の生活すべてが実はそのものを創らせる。だから良い日常を送ってないと出て来るものも全然輝かない。そんな小手先の創作は簡単に見透かされ、何も伝わらないって事も分かってる。答えのない世界だから正解でもあるし不正解でもある、いろんな近しい人たちからの曲に対してのそれほど反応もないことも以前アルバムを作った時から分かってた、けど対価の為だけの創作だけはしたくない!

そして7曲目が今日やっと完パケした。一日かけてマスタリングまでしてFILEで送った、多分クライアントはお盆休みだと思うので正解か不正解かはまだ分からない。今回の曲は3分強でアコギ二本に12弦とシタールギター、ベースはあえて入れなくてカホーンとコンガのリズム隊のみの明るい曲に仕上がった。聞き返すと以前やってたストカンの雰囲気も醸し出してるなぁ。シンプルな曲だけど今回一番産みの苦しみを感じた曲である。けど何かひと月分の灰汁が抜けてすっきりしたので、残りのゴールまで、また良い時の心の状態で創作出来そうだ。やはり何かをZEROからONEにする事はPOWERがいるよ、生活全てが反映されるから。


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生きていく事は、みんな孤独なのかもしれない。


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2011年08月11日

から騒ぎ

いつまでたっても自分の人からのイメージと自分自身のギャップに滅入ってしまう。もう答えは出ないだろう、自分の親や近しい人でもそうなんだから、、、。自分でも分からない自分。哲学的になるけども、でも俺は俗にいう普通の生き方はしてなくてサラリーマンの人とも違う世界で、ただ気がつけば、この世界で生きてる。またそんなスタンスが鼻につくんだろうな、けど俺は何の計算も無くこの世界で努力してる?うん自分なりの努力してる気がするけど、またこんな書き方が鼻につくんだろうな。もうどうでもいいや!ってこの年になると思う。ただこの自由業と言う世界は自分の個性を狭めて自分自身を作らないと成り立たないと思う、上司もいないし毎月の生活も保障されてないからこそわがままに人付き合いや自分の世界観で生活しないと何の意味もないと思う。プライドをかざされたり、損得のあるものには自分から遠ざかるようにした。「もっと楽に生きたらいいのに」そんな言葉は必要ない!それくらい毎日が真剣である。人の気まぐれには付き合ってられない、目の前の目の輝きだけしか信じない。その事に過去も関係ない!自分の価値観で許せないと思えば、もうどうでもいいし、それくらいわがままに生きていかないと自分の生活は送れないだろうっておもってる。曲も出来ないだろうって思ってる、それくらい真っ白のキャンバスに絵を描く最初の一筆は思いがないと何も出来ないし伝わらないよ。その為に友をなくすかもしれないけど、俺だって表現する事に必死で生きて行ってる。気まぐれには付き合ってられないって事、近しいからこそ大事にしないといけない事とか気を使わないといけない事ってあるんじゃない?自分の都合のいい時だけのわがままに振り回されるのはうんざりだ。そう!俺は冷血人間である、じゃないとこの世界ではやっていけないよ。

久しぶりに近所の行きつけのBARにいった。打ち合わせの飲み会の後に久しぶりに一人で行った、春の花見に誘われてていけなかった事の後ろめたさも感じながら、、、俺は何故かすぐになじみの客になってしまい、けど中々一人で飲み歩かないので顔を出さなくてはいけない店がいっぱいあるけど、中々いけてない、、、。イケメンの店長一人で切り盛りする近所では珍しく3時くらいまで開いてるBARだ。イケメン店長だけあって奥さんは某TV局のアナウンサー。扉を開けるとなじみの客が3名、俺は知らない人たちだったけどマスターに花見に行けなかった事を詫び、、、「久しぶり!」するとカウンターの一番奥に90年代を感じさせるオーラの女性が一人で飲んでる。俺は迷いもせずLOCK ON ! その隣に座る。顔はまだ分からないけど、ベージュのスーツに長い髪をくゆらせお洒落なショートカクテル、バブリーだな、が最初の印象。俺はいつもの「ロンサカパー!」もどきのラムを注文する。マスターは「碓井さん!こんなもどきもあるんですよ」ってまだ飲んだ事がないものを紹介してくれる。「ロンサカパーに比べてどう?」と俺。「荒いですねぇ」マスター。「じゃあそれロックで!」「ラフロイグじゃなくてもいいですか?」とマスター「後でもらうよ」と俺。そして俺はトイレに立つ、、、。まだ隣のバブリーな雰囲気の女性の顔は見てない、トイレから戻るとマスターと女性が何らか話してた、どうも初めて来た感じで「友達と隣の公園で携帯で話してたらスケボーしてる人はいるしで、、、ここのBARをみつけて入っちゃいました、、、うんぬん、、、」そこでマスターは俺に話題を振る、分かってるなぁマスター!そこでその女性は俺の方を見て話しの続きを話し出す、マスターはスッと姿を消し俺に渡す。別に話し合ってるわけではないけど良いBARと言うのは、あ、うんの呼吸でそんな場面を作ってくれる。顔を見るとモデルさんのような美人だった、そして俺に話しかける口調は何度も髪をかきあげ(浅野温子か!)90年代の雰囲気を醸し出してた。まるでコンパニオンのような話しっぷり、スタイルは抜群、でも本音は見えなかった。そうすると俺に話術に乗って来た彼女は過去を話し出した、今はOLしてるみたいだったけど「10年くらい前はTVとか出てました、大学生だったんですけどね」「へ〜どんなTVに出とったん?」と俺「さんまさんの恋のから騒ぎに出てました」「ふ〜ん」と俺。「そのままTVに出続けて芸能人になれば良かったやん」と俺「そうなんですけどね〜」年の頃では32、3、だろうか?美人だったけど哀愁が漂ってた、がんばれ!90年代万歳!って気持ちになって来た。

そして彼女は帰っていき、常連のお客さんは彼女の話題で持ち切り「入って来た時から雰囲気違ってたよね」「何してる人?」切り込み隊長で迫った俺に歓喜の目が、、、アメリカ映画だったら、よくぞ切り込んだと拍手の雨霰でエンディングだっただろう、俺に男子は色々聞いて来た。けど何でだろう?俺のイケドンスイッチはONにならなかった、やはり相手の眼をみて話すといろんな事を感じる事が出来る特性を人間は持ってると思う。


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長い冬を終えやっと新曲が出来て来た、12弦の登場である。



から騒がなかったなぁ。
posted by usui special at 04:03| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

Route 66

今年もこの月がやって来た。8月と言えば夏休み真っ盛りだったり、お盆がやってきて先祖を敬うとか帰省したりおじいちゃん、おばあちゃんのところへ行って自分の良くも悪くもDNAを感じて、何だか懐かしい匂いがしたり、いろんな事を思い出したり懐かしい地元の友達に会ったり、また花火大会に心わくわくドキドキしてあの娘とでかけたり、夏祭りのお面にヨーヨーすくい、綿菓子にりんご飴。また俺の経験からしていろんな恋が終わったり始まったりする8月のような気がする。けど俺にはそんな帰るべきなDNAも何もない、家出から始まったロクデナシは普段と変わらず今年は曲作りとRECに追われてる。まったくもって「碓井」という離散家系のDNAを感じてしまうわけで、それは俺に限った事ではない。俺みたいに縁が切れ「碓井」の血なのに何処にいるかも分からず行方不明者は多数なDNAである。誰が悪の親玉でもない、みんな悪いのだ!それがみんな分かってるから繋がらないような気がする。偉そうな事言うDNAもいるけど結局は、その場限りのかっこつけであって持続性は無く繋がろうとしないし、みんながみんなの悪口や批判をして見栄を張るそんなDNAである。そんなDNAに俺は見切りをつけた、一般論でよく言われるのが「そんな意地はらんと、、、」もう聞き飽きた。親や親戚の事を無下にしてる俺は最悪だと思う。仏や禅の世界では即刻地獄行きだろうね、だから俺は自らロクデナシと呼ぶ。そんな十字架を背負って生きて行く覚悟は何十年も前からここに決めてたような気がする。そんなDNAに触れてる最悪な事に比べれば、それ以外の最悪な出来事は全然へっちゃらである。

FOOLISH GAMBLER お前の事さ!



そんな事を毎年考える8月であるけど、それよりも重要な事が胸を締め付ける8月だ。それは66年前の悲劇、、、決して風化させてはいけない過去。俺もまだまだ勉強不足だけど、何年かまえから映画や本なんかで時間軸や時代背景、そして真実や各国の思惑、日本人として侵略の歴史や各国の植民地にして来たアジアの歴史を勉強してる。これは俺のライフワークになるだろうな、戦後アメリカナイズドされた日本の日本人としての勿論良かった事も多いけど、今は当たり前のようにこんなカッコウしてROCKを聞きハンバーガーを食べコーラを飲み、今だに当たり前のように見る米軍基地。勿論それによって発展して来た日本経済、けどその根本をフラットに知りたいと思う。思想は別にしてね。何年か前に知覧の特攻記念館に行った、今年は観光だけど沖縄にも初めて行った。沖縄でいろんな事も考えた、唯一上陸された島(硫黄島は除いてね)一般市民が目の前で犠牲になった島、そして二発の原子力は落とされた、、、いろんな意味を含んで落とされた、ソ連や世界情勢や実験も含めて落とされた。そんな原子力のアメリカの犠牲になった日本が今自分の国の原子力の犠牲になってる、55もある原子力、豊かになった日本、何不自由無く発展し続けて来た物欲至上主義と言う名の資本主義。何が必要で何が不必要かとか考える事もばからしくなる横一列な携帯スマホや地デジ化の受け入れ。乗っかってることが一番楽だろうな、でも今一度この8月はDNAはもちろんの事、日本の近代の過去も考えてみる必要はあると思う。

それって必要なんだろうか?



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2011年の8月の夏色


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COCKPITで必要なもの


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近所の「でびっと」の餃子と冷麺で夏バテ予防!バリウマ


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それよりもバリウマの「夏の酢みそオードブル」特に、はもが美味い!


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今年の夏は原点に返って虫の気持ちになってみようと思う、いろんな事をね。


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今一番気がかりな今週末にある「咲咲」のミュージックレボリューション


そんな碓井のDNAを受け継いだ俺は素晴らしい人たちに囲まれ、碓井的や人間の根本的には全然だめなロクデナシだけど、俺はあの頃のまま何か発信し続ける事しか出来ないよ、試練は与えられるけど碓井の看板に傷をつける事だけはしたくない。そこの碓井さんは発信してるかな?もしもこのブログをこそっと覗いてるんであればコメント待ってるよ!



あれから何の音沙汰もない母親も今年66才だ。



凄いDNAが俺の血液に半分ずつ入ってるなぁ、、、(泣)
posted by usui special at 03:56| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月04日

人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ。

8月になった。あっという間にいろんな事が過去になって行く、そう今日の出来事も今さっきの晩飯のメニューも。年を重ねると言う事は冒険しなくなるから毎日や毎年が早くなるんだろうか?冒険してないわけではない、と思う。ワクワクする事が減って来てるからなんだろうか?若い頃は「予定」にワクワクしてた気がする。海に行くまでとか、ドライブにいく事とかそんな事を考えて時間を待ってる事でワクワク出来た。けど実は計画立てたりドライブしたりライブしたりとか労力がいる、計画立てて時間を合わせて、または時間を割いてライブ本番に向けて練習したり、そんな労力の先に楽しみはあると思う。最近の大人はそんな労力でさえ自分の価値観を最優先させ凄く狭い範囲でしか動かない、何かと言い訳をして自分の毎日の過ごし方や価値観の中でしか動かない。いろんな事を理由にして、、、、。俺もそうなのかもしれない、そんな時にいつも自分で言い聞かせるのは「アンテナは常に高く、受信は自由に!」けどいろんな事を受信しても全て自分の価値観の中に収めようとすると駄目だと思う。自分の鎧は置いて受け入れる事から始めよう、といろんな人に接して自分自身を正そうと思う、またそれを吐き出したいと思う。

自分自身の事は実は自分自身が思う自分じゃない事が多い、人からの言葉でびっくりするような自分自身のイメージを言われたりするけど、それは受け入れようと思う。自分自身より他人の方が自分自身を感じてるから、鏡のように写してくれる事がよくある。ある人が言ってた「その人の事や顔を思い浮かべてみて、浮かんで来たその表情がその人の自分自身の印象だ」なるほど!暗い表情でしか浮かんでこない人、笑顔が浮かんで来る人、何か寂しそうな横顔の人、人を見下してるような表情の人、何故か俺の前では大きな目に涙を浮かべてるような表情の人、笑ってるけど裏で舌を出してるような表情とかさまざまだけど。やはり人はネットやメールの言葉では分からない目の前の表情や発する言葉が大事だと思うよ。曲を作る事もそうだけど、自分をさらけ出す事、ある意味恥ずかしい行為でもあるけど、そんな行為を見ておきながらも覗き見される事の方が多い。けど何かを発する事はそう言う事でシレットされる事や覗き見されて、中々作った自分には何もエコーはない事も分かってるし、そんな大それたアーティストでもないって言う事を思い知らされる。けど最初に書いたけど、そんな事を発信して行かないと俺は自分のこの世の居場所が分からくなるだろうな、、、。これは発信する人間にしか分からない事だけど、POWERいるよ。けどこのしらけた繋がりにでも何か発信しなければって思う、人の心を動かしたいなんてそんな大それた事は思わない、自分の生きる証を泥臭くても俺こんな事感じてます!って匿名のネットの世界の繋がりじゃなくて顔のある世界だけを信じて発信して行こうと思うよ。


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午前9時の博多の、ある道。



人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ。02.jpg

今年の夏は肉ばっか喰ってるなぁ。一番美味いと思う近所の「ばかとあほ」




人が生きているうちの大半は、人生じゃなくて、ただの時間、だ、、、セネカ。


そして俺は今宵も金にもあまりならない頭の中の世界の音をギターでRECする、何のために?自分と虹になった少年の人生の為にね。


新曲「LED WOMAN」こちら : http://www.youtube.com/watch?v=9fgqYeITye8
posted by usui special at 04:24| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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