2011年09月30日

You may say I'm a DREAMER.

もう9月も終わろうとしている。そして俺は作曲の仕事も丁度半年過ぎた。今は8曲目の作業中だけど、夏にやる気をそぐわれてから中々作業のペースや頭の中の世界観や曲作りにおいての想像力も低下した。前半は前回アルバムを出して5年たってるので頭にあるイメージをバァーっと吐き出せたので自分でもびっくりするくらい創造の泉は流れ出したけど、やはり夏にさしかかった5、6曲目くらいだろうか?無理してる事が嫌になりクライアントの人には悪いけどペースダウンをしようと決めた。それでも作業に没頭すると5、6時間は当たり前で、あっという間に時間は過ぎ朝を迎える。けどそんな孤独な作業は毎日と言う人生において何か特別な物になったのは確かだ、小説を書くような、童話を作ってるような、絵本を描いてるような。自分とさしで真っ向から向き合う事は中々疲れるけどごまかしがきかない真剣勝負で答えもないし、でも仕事だからって言う思いで作ってもない。誰かに認められたいとかでもなく、褒められたい訳でもなく、ただ俺と言う人間の音楽人生の今の状態とでも言うか、そんな作品で誰か一人でも何か感じてもらえたらただそれだけで満足かもしれない。でも曲が仕上がると心の充実感はすごくある、100%満足は決してない事は分かってるけど、何か言いたい事や自分の色や世界観やKOOLなものが形となる事は、またそれを仕事として過ごせてるのは限られた人間でしか出来ないだろうから、毎日平凡に暮らしていく中で、こんな音楽人生を送れてる事に幸せに思ったりもする。

アルバムにするのか?ってよく聞かれるけど、この10曲をそっくりそのままアルバムにする事はないと思ってる。仕事としての作曲が終わっても作業は続けて、この曲たちのリアレンジしてアルバムに入れれそうなやつは入れて新たな曲たちと来年にはアルバムにしたいと思ってるよ!でも今回の仕事を通じてやはり自分の音楽人生の核と言うか、それはあらためて家出をした時からの「夢」のかたちは再発見出来たし、ライフワークとして今後の音楽人生のど真ん中を全うしようと決意した。「夢」はみるもんじゃなくて「夢」は叶える為にあると思う、少しでも近づいていこうと思う。

良い季節になって来た。俺の大好きなキンモクセイの香りが町を覆い出した、昨日の夜に感じたよ。短いけど素敵な日々である、満喫する為にチャリが活躍してくれる。


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久々登場。ROMAN-TIVE 号!風を感じて気持ちいい。



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作曲のペースダウンしてからまた本を読み出した、この夏から10冊目くらいになる。沢山のファンタジーがいろんな所へ連れて行ってくれて曲のイメージ作りにも役に立ってる。



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少し秋を感じ出すとこんなのが食べたくなる「めんちゃんこ」。




I'm a dreamer ! But I'm not the only one.


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2011年09月26日

今月のアルバム,,,11'09'

本格的な秋がやって来た!空気感もからっと変わり、毎日のように降ってた夕立のようなスコールも一週間にしてなくなり。やはり今年は余韻も無くコロッと急に季節が変わってるイメージがある。春も短く、あっと言う間に湿気だらけの梅雨に入り急にクーラーを入れ始めた気がする。そして毎日のように降る夕立でこの夏はチャリにはほとんど乗れなかったし体調や精神のバランスも良くなかった。けど急に秋になったのは何故か嬉しい!やはりこの季節が一番好きであり、実りの秋である。哀愁の秋であり。忘れてた過去の出来事を秋の空気やからみつく風によって海馬を刺激して場面が蘇ったりする。でも過去は海馬から自分だけのスクリーンに映し出され美化されロマンティックになり、それが現在の自分の実になるような気がする。それは青春映画を観に行って、いろんな場面を自分の過去の青春に投影する。曲もそうだと思うけど。今の自分が全然違うところに居ようが、あの頃と容姿も変わってしまってろうが自分だけのスクリーンにはあの頃の自分や友や恋人が何も変わらず、むしろ美化されて登場して今の自分を慰めてくれる。「ゆー防!まだギター弾きよんやね。私はそう思っとたよ!すごいやん」そんな言葉に悩まされたり励まされたりする。それは凄く素敵な事だと思うけど、現在地の俺にとっては考えさせられる場面で、結局いろいろ悩んでしまう俺が居る。結局ずーっと自分のやってる事の答えや進化や変化も分からず年だけとってる気がする。いろんな経験だけを重ねて、苦労したとは思わないけど気がついたらギター弾いてる事に経験だけで導いても何も伝わらない事も分かってる。昔から言うよね、ヤンキーでハチャメチャしてきた奴ほど大人になって痛みも分かる分真っ当な事しか伝えられない。その年や現在の環境のあの頃との違いの狭間で悩む、理由なき反抗もカッコいいと思うけど、自分の居場所を確保する為の反抗のほうがカッコいいと思う。って俺だけのスクリーンに出て来るあの頃の俺は、そんな事これっぽっちも考えてなかったなぁ。ただ「何かに反抗して突き動かされただけ」のような気がするよ。何か実になってるんだろうか?


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Veiled / Leah Andreone


このアルバムは、というかこのイタリア人ぽい名前の女性アーティストはかなりレアだと思うので、みんな知らないと思う。俺もどう考えてもこのアルバムとの出会いを思い出せない。96年の作品だけど、多分アメリカに行った人にお土産でもらったような?当時のCDショップで一押しだったとか?買って来てくれたのが誰かも思い出せないけど、とにかく曲がよくびっくりしたのを思い出す。読み方はリア アンドリオーネ とマフィアみたいな名前だけど、とにかく当時よく聴いたアルバムだ。ROCKだしセクシーだし、ちょっと椎名林檎っぽい声で今聞いても錆びれてないよ。サウンドはどちらかと言うと王道だろうか?けど惹かれる曲ばかりで、こんなアルバムを聴くと心落ち着くと言うか、タイアップだの売れる為だのを抜きにした、けどカッコいいアルバム!雰囲気とか時代とかの前に「良い楽曲」と言うのが一番に残っていくと思う。

情報が少ないけど唯一の日本のファンサイト : http://leahfan.jugem.jp/?cid=7






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3本立ててたスタンドが壊れて兄弟が壁に寄り添ってる、、、。



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シンガポール土産の3分待つ奴、スパイシークラブ、微妙だった、、、。


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咲咲レッスン後に久々3人で行った二日市名物「小林カレー」うまい!


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一週間前の「夏空」。


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うってかわって今日の秋のドラゴン雲に髭を付けた飛行機雲。



最近の音楽を聴くより本読んだりする事の方に刺激がある。そんな自分にもうんざりしてる自分も居るけど、このままだと音楽が嫌いになるんじゃないか?ビジネスだけの音楽鑑賞になるんじゃないか?って自分に危機感があった。けどこのアルバムを聴くと音楽の素晴らしさやかっこよさや曲の良さがやはり一番だと思ったよ。


RE:REVOLUTION,EVOLUTION !




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2011年09月20日

三連ちゃん。

また同じような進路をたどってのろのろと台風がやって来てる。まだ前回の台風の被害の爪痕が残ったままの町を襲おうとしてる、自然には全くもって人間は無力で、だから共存したり守って来たり被害を最小限に抑える為の知恵を俺たちの先人は残してくれてるけど。それさえも役に立たないくらいの自然の猛威が今年はこの日本と言う我が国にターゲットをしぼってるかのような一年である。被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。しかし何と言う異常気象だろうか?以前TVをつけると御年80歳を超えた元、気象予報士のおじいさんが語ってた、その方は60年以上日本の気象状況を見守って来たそうだ。印象的だった言葉が「今までも何度も何度も今年は異常気象と言われて来たけど、私はその見解には反対で、何十年も前から俗にいう異常と言われる気象は起きてたので今年はって言う見解は違うと思います」なるほど60数年分の言葉は重みがあるなって思ってみてたら「でも私は去年今年の夏の猛暑を感じて、その見解を覆します!60何年も日本の気象を見て来て、去年今年の夏の猛暑や豪雨は”異常気象”だと思います。」う〜ん考えさせられる説得力だ。だから準備して備えてるつもりでも予想以上の事が起きてしまう。やはり個人のレベルで体調管理や災難に備えないと駄目だと言う、ここ九州ではあまり地震の備えは怠ってた気がするけど日本全体が何か今後の暮らし方を考えないといけないような気がする。

毎日この時間には決まってMAC(バーガーじゃないよ)の前で創作してるけど、集中して演奏、RECしてるの半分。ぽや〜んと想像したり関係ない曲や映像見たりしてインスパイアしてるの半分の頃合いである。けどずっと毎日の生活のいつの時間や瞬間でもその曲の事が頭の片隅にあり、心苦しい時も多い。そんな2011年春から今までである。勉強も苦手な俺だけど、けど確実にその事に真っ正面から立ち向かってないと出来ない世界でもある、けど気分とか天気とか体調とか凄く小さな自分の状態が左右されるのでキツい時はキツい。そしてそれ以外の日々の行事や約束事で家路にたどり着いた時は酔っぱらってたりして出来ない事も多い。

そんな行事、多くは飲み事なんだけどね。3日続けてあった、さすがに疲れた。一つ一つ時間も長く内容も良い意味で濃いいので久しぶりに今宵はグロッキー気味で、でも良い世界観やフレーズが浮かんだのでLOGICを立ち上げるも今宵はへそを曲げてるみたいで立ち上がらない、、、、たまにあるのでいらいらするけど、そんな時は諦めてブログを更新してる。


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久々に”JUMBO"登場!インストラクターになった彼とは前みたいに馬鹿話だけじゃなく、先輩として悩み聞いたり、自分が通って来て感じてるインストラクターやギターを弾いて暮らしていく事を最近はよく話す。


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JUMBOと別れた後、近所のBARへ。”ROCKER"だの”ミュージシャン”だの常連さんに紹介するマスターには困るけど、俺の人から見たイメージはこの年になると受け流す事も覚えた。歩いて帰れるので最近よく通ってる。


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二日目。8月にあったZEPPのイベントの打ち上げ、いろんな年齢層の人が居て”音楽”と言う共通点だけで繰り広げられる宴。毎年幹事をして下さる小野さん、渋谷さん、どうもありがとうございます!結構な長丁場で二次会も入れると7時間くらい飲んだ、翌日二日酔い気味。


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翌日は俺のせいで延び延びになってた、友達が北海道から戻って来たので第二の故郷の久留米へ!せっかくなので”九州新幹線”で贅沢してみた。(二日酔い気味だったのでいろいろドーピングしてのぞんだ)


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九州新幹線の車窓から!鳥栖を過ぎた辺りだろうか。


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こんなに立派になってた”JR久留米駅”、家出して久留米に住んでる時に以前の駅舎の前の広場で”憂歌団”のライブをかぶり付きで見て打ち上げまで参加した事を思い出したけど、面影は何一つなかった。


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さすが!久留米の象徴。世界に誇るブリジストン。


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三日目!友達夫婦と三人で17時から予約してくれてた、とびきりの焼き鳥屋さんの個室で楽しい時間を過ごした。久留米はやはり俺にとって特別な町で、その友達も20年以上親友で居てくれる数少ない後輩である。楽しい時間をどうもありがとう!


久留米発23時6分の新幹線を待つホーム、この日も6時間近く飲んでしまった。楽しい時間はあっという間に思い出に変わる。



やはりLOGICは立ち上がらないけど、この三日間の意味に浸ろうかな。
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2011年09月15日

実りの秋。

やっと頭痛から開放されてきた。原因はどうも肩こりからみたいで、元々俺は肩こりにストレスを感じた事がない。肩はバリバリこってるのにあまり違和感無く生活出来る、そう言う人はまれに居るようで「欧米体質」だそうだ。欧米人は肩こりはあまり感じないんだろうか?考えてみれば「整骨院」とかクイックマッサージとかあまり欧米諸国で聞いた事ないし、自分の肩を触るとこってるのが分かるけど平気だった。肩こり自体にストレスはないけど、それが頭痛になるとは、、、。やはりクーラーを入れはじめるくらいから毎年少し頭痛がするな程度だったけど今年はやばかったなぁ、それだけ年を重ねて若い頃は何でもなかった環境の変化や温度や湿度に影響される。それは多分元気の源を保とうとする「自律神経」が年取った証拠だろう、自律神経が弱ると体温調整がうまくいかなかったり疲れやすくなったりいろんな菌を跳ね返す事が出来なくなる。今は毎日自分で首筋のリンパをマッサージしたり肩をほぐしてる、肩こりに効く漢方薬もお願いしてる。

考えてみるといろんな変化が起きて来たのは「秋」だった気がする。すーっと透明な空気が足元辺りに絡み付く頃、家出をしてここ博多に出て来たのは夏だったけど二ヶ月くらいは当時の彼女のマンションでゴロゴロしてた、とにかく自由になれた開放感を毎日味わった。貯金もすぐに底をつくくらい自由を満喫してた、彼女は働いていたのでこのままヒモ生活は嫌だった。夜の仕事をするのも嫌だった、よって当時幼なじみが通ってた大学がある町へ移り住む事を決めた。その町が「久留米」だ、アパートへ居候させてもらう事にした。御井町の十三部タイホーのすぐ近くのアパートで翌日から早速のバイト探し、その大学の学生でもないのに忍び込み教務課みたいなところに張り出してるバイト情報をみて「久留米大生じゃないんですけど、、、」って公衆電話から電話して染色工場でバイトを始めたのもこんな季節だった。時給¥500で朝8時から17時まで汗を流しフルタイムで働き土曜日の仕事が終わって博多の彼女の家まで行き月曜の朝7時くらいの西鉄電車でそのまま出勤する生活だった。月に7万いくらかにしかならなかった、居候させてもらってる友達のアパートの家賃が2万9千円で俺はシェア代として2万円家賃を払ってた。貧しかったけど楽しかった、そんな友達ももう15年くらい前に若くして病気で亡くなってしまった。

サラリーマンになった俺は何故かギターのインストラクターのオーディションに受かってしまったのが24才になりたての春だった。インストラクター契約を甲乙でかわして次の年の春から会社には内緒で水曜日と土曜日にギターを教える事になる。そんな矢先に人事部長と九州支社長に呼び出しをくらい、ばれたな!って思って恐る恐る支社長室へ出向くと、結論から言うと真反対の話でコンピューター室の実質責任者みたいな事をやって欲しいと、その時まだ俺は25才になったばかりで若いので役職に付けれないので素人の窓口としての係長は付けるけど実権は全て俺に任せると、、、、。その一週間後に辞表を提出した。提出した後に人事部長と二人で大阪へ出張に行った時の帰りの新幹線で部長が自分の息子の話をし出した。学校で美術の先生をしてたけど画家になる夢を諦められずに先生を辞めたそうだ、その時の部長の言葉は「碓井君には本当は辞めて欲しくはない、ただ最近の若者みたいにただ仕事が嫌で辞めるとか漠然とした理由だったら止めるけど、音楽と言う夢にかけて見ると言う理由ならば俺は止めんよ。ただ息子を見ててもその道の世界で生きていくのは大変と思うけど、支社長には内緒やけど頑張ってみらんね」と缶ビールで乾杯してくれた。その言葉は今だに胸の奥底にぶち刺さったままで頑張れてるのかもしれない。その部長はもうかなりご高齢だと思うけど元気にされてるんだろうか?それから8月末で辞表は受理されて引き継ぎをして、退社してすぐに髪を金髪に染め上げた。それから全然喰えなくて友達や沢山の女性にも迷惑をかけてまた支えられて何とかやり過ごす日々で、青果市場で働き出したのも秋だったなぁ。


何年かかかるけど心に植えた物は必ず実る、と思う。




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俺は種は植え続けるだろう。





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2011年09月12日

一人だけの世界。

今日は北九州はお世話になってるPLUG-INのオンラインレッスンの撮影だった。このたび2週間に一度の更新にリニューアルされた、もうかれこれ三年を超えたけど、考えてみればテキストも使わずライブに近い感覚で良くも悪くも毎週更新してたもんだ。俺の性格だから何の準備もせずに思いついた事をそれらしくレッスンする、インストラクターとしては一流じゃないな。けど感覚の部分は音楽には大切だと思い、失敗も何のその俺の現在地をカメラの向こうへ向かって伝えてるつもりだ。今のタイトルはエレキシリーズで「TOO MUCH PLAYER !」毎回簡単なカメリハと音声チェックで後はすべて俺にゆだねられる、そんなカメリハの最中にフレーズや定義をを考えてお伝えしたりする。もう130回は超えてアクセス数もトータルで何十万とありがたい限りである。何かギターを弾く喜びとか、こんな事出来るよ、へ〜そうなんだとか、それくらいのレベルで良いので感じてもらえれば嬉しく思うけど。ネットの世界に自分がヒットするのはあまり好きではない、けどもう15年くらいお世話になってるPLUG-INの何か自分の微々たる力でも足しになって宣伝やアクセスしてくれればと思ってるし、同時に良くも悪くも自分の現在地で共感してもらえればと思う。ラジオをやってた時も感じてたけど、二人とかでその番組は作られたりしゃべったりするけど、その先に何万もの事を想像しながら制作する。俺にはあまりそんな感覚がないので駄目かもしれないね。コメントで「目の前でレッスン受けてるみたいで良かった」ってもらった時には嬉しかった。

この年になって、またこんなブログであ〜だこ〜だ言っておいて何だけど、どうして今だにギター弾いてんだろ?って最近よく思う。忘れもしないトラウマが沢山ある、世間一般の生い立ちとは違う事もどこかで分かる。けど原動力はどこにあるんだろ?今だに「うるせ〜」って思う事もある、けど反骨精神だけではないと思うけど、あの忘れもしない中学二年の小運動会の前の日のギターを叩き折られた時の遠くで聞こえて来たギターの折れる悲鳴、焼却炉で焼かれていく音符やポールスタンレイの★のメイク、門限が16時だった高校3年生の夏、文化祭に向けてバンド練習してたバンドメンバーに文句言われながらも15分遅刻して帰って閉め出され、覗いた自分の部屋の引っ越したかのような何もない部屋の風景、継母の「本当の親子同士で話して」って言う刹那、親子の縁が切れる時の毅然とした両親の「じゃーの!」って響き、実母の本能で、俺には聞こえてないと思って発した「碓井の顔、、、」って愕然とされた表情と声、それから何なんだ俺のDNAはと思って受け入れた時の自分の心の涙。そんな事が今だに俺にギターを弾かせてるんだろうか?いや、もうそんな年ではない!でも人生の岐路やいろんな自分の事を考えると決まってそんな事が頭をよぎりルーツに俺の人生があるんだって憂う。

だからギターを弾いて曲を作って、良くも悪くも作品を残したりYOUTUBEに登場したりする気がする。別に反響やコメントが欲しい訳ではないけど、生きる場所が、心躍る場所や居場所がそこにしかないような気がする。それが自分の現在の表現なんだろう、いろんな事が肥やしになっておごる事無く今こんな状態です!って痛くもさらけ出さないと、あのギターの折れる音が自分を支配してしまい心折れそうだ。あれがあったから今プラスにこうなってます!って居場所。けどもうそんな年でもないんだけね、そんな混沌とした指南である。何度も言うけど俺は冷血人間だ、親の事なんかどうでもいい、よって親心や損得無しの身内の愛情も分からない。よって俺流の”愛”の形を俺は一生探すだろう、それがギターだったり創作だったりするのかなぁ、それさえも分からない凡人でもあるよ。お金も入らない、名声も入らない、タイアップなんて嘘の世界だ、ただ心に感じた「何か」熱いものにしか興味がない小者である、本当の”愛”はこれからも知らないだろうな。

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網焼き!パワーつけないとね。最高!



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タタミイワシ!カルシウム満載、つまみに最高。



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秋の贈り物。銀杏は苦手だったけど、好きになった。うまい!焼酎に合う。



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オンラインレッスンの風景、ヘッドセットがまだ慣れない。こんなカメラに向かってじゃべってる。



一人だけの世界に自分が出来ていくと思う。




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2011年09月08日

酷評。

最近は涼しくなって来たせいか体の調子を壊してる人が周りに多い、TVでも言ってた「涼しくなってからの方が夏バテが出やすいです」俺の場合は今年の夏は特に現実半分、非現実半分のところの気分を彷徨ってたかのような夏だった。頭痛も涼しくなって来て湿度が下がって大分とれた気がする。飛び跳ねて両足を打ち鳴らすような欽ちゃんみたいな気分にはまだならないけど、どちらかというと「これでい〜のだ!」って感じで毎日をやり過ごしてる。明日の移動からチャリを復活させようと思う、そうして空気感やこの今年の秋を感じながらペダルを漕ぐと現実が、また今年が、今の自分の気持ちが戻って来るに違いない。

夏前のクーラーを入れ始めて調子が悪くなってから曲作りが精神的に苦しくなった、溢れ出ると言うよりは絞り出すようになってペースダウンさせてもらった、それくらいからまた読書を頻繁に始めた。今年はだいたい4人くらいの作家に絞って読破を目指してる、けど曲やアルバムと同じで同じ作家でも作品の一つ一つが自分の届き方が微妙に変わって来る。テイストは近いし、その世界観を求めて選んだり、逆に心が病んでる時にあえてその人の作品の世界観に触れたくなったり、逆に攻撃的に何かを吐き出そうとしてその人の作品に刺激を求めたり。それは音楽でも絵でも言葉でも映像でも変わらないなって思う。ベストセラーは要するに音楽で言うと世間で流行ってるCDショップで平置きしてるのと同じで、あまり俺の心に引っかからない気がする。じゃあ何をきっかけに巡り会うのか?よく考えた事もないけど、何かを漠然と求めて本屋に足が向いて何となく気になって、そこからその作家の作品をいろいろ読むようになる気がする。

そこでベストセラーではないような作品はネットでいろんな人の感想をもとに次の作品をって思って検索すると、8割が酷評である。「評価」ってやつ?それを見るたびにネットの世界にうんざりする、よって作者のHPもあまりなく、ブログがあってもコメント出来ないようになってたり、ようするに文学の世界は音楽の世界よりももっとオーディエンスと作者との細かいコミュニケーションが出来なくなってる。「匿名」や「ペンネーム」って日本独自の特にそんなコミュニケーションが強いのだろうか?ラジオから?myspaceの外国人から入って来る曲に対してのコメントは本音だったり、ただ「your imagination is art!」とか単刀直入に感じた事をコメントしてる気がするけど、とにかく小説家への日本人のコメントは酷い!醜い!勿論好き嫌いはあるだろうけど、良い事ももっとコメントしても良いのではないか?これはやはり人付き合いでもよく感じる事だけど、素直に喜んだり悲しんだりする事は凄くパーソナルな事なのに立場や状況の方が先になってしまい炎上してしまう。

俺も子供の頃から「酷評」の毎日で褒められた記憶はない。ただギターを弾けば笑顔になれたし人が寄って来て友達も沢山増えた、そんな中でもライバルとかも居たのかもしれないけど、楽しいからやるし自分の唯一居場所だったからやる、人が楽しそうな顔になってくれるからやる。「評価」なんて気にもしなかった。今でもそうなんだけど、そうではない人も多いようだ。だからやったもん勝ちであり作品を残したもん勝ちである、勝った負けたとかとか考えてる訳じゃないけど、何かものであったり作品があってこその「酷評」だとおもうから、俺は「酷評」を受ける側にいたいと思う。「評価」されたい為ならもうきっとギターは弾いてないだろうな。


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久々に姿を現したドラゴン雲。


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まさしく光を両手で捕まえるところ。


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秋に向けてパワーを付ける為に★★★★★。


どんな評価でも人の心に届いたものは本物だと思う。
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2011年09月05日

20年目の憂鬱。

ちょっと休憩中だ。それは精神的にね、例年よりも約一ヶ月おそい休憩にはなるけど今年は何かとバタバタして心ざわつく年だった、ってまだ9月になったばかりだけど。それくらいここ20年くらいは8、9月と言うのがこんな状態で暮らして来た。今年は友達が九州に帰って来て2ヶ月に一度は会おうねって約束したけど、全て俺のせいで実行出来てない気がする。けど9月はやっとでここ博多から少し南下して帰って来て「おめでとう会」が出来そうである。その友達が帰って来ていろんな懐かしい友達との会も計画されててんだけども、これまた俺のせいで何も実行に移れてないのが申し訳なく思う。どうして若い頃はあんなにフットワークも軽く人にも平気で迷惑かけて心救われたり出来たんだろう?今でも自分の中では何も変わっちゃいないのに、年内に全て実行に移さなくてはならない!

過去のいろんな人たちが居るから今の自分が居る事を思い知らされる。けどそれはずっと繋がっているからと言うのとは訳は違う、今生きてようがもう亡くなっていようが心の中に繋がっていてくれる。時には思い出としていろんな場面や言葉や表情で今の自分を助けてくれたり、心の中ではあの頃のまま居続けてくれる。俺には子供も居ないし、昇級もないので年を重ねたと言う身近な定規がないので実年齢だけが重なっていくだけである。親子の縁も切れて実の母親の実像にもふれてからは家出から始まった反骨精神だけで暮らしていく事の終着駅にたどり着いた気がする。今だに20年前と同じ事をやってる、何とかギター弾いて暮らしてる、20年もやってればギターを弾いて暮らしてる事が人から観た特別な事でも何でも無く、みなが朝起きてコーヒーを流し込んでネクタイを締めてタイムカードを押す毎日と何も変わらないよ。生きて暮らしていくと言う事はそう言う事なんだと思う、いろんな事に悲喜交々と対処しながら一喜一憂しながら毎日を暮らしていく。バブルなんてない!けど自分の伸びしろは無限に自由な世界がある。ギターを弾いて曲を作る事は好きである、ライフワークでもあるし、けど仕事だからの制約も多く名前の知れたミュージシャンならそんな事もないんだろうけど、心の自由を求めてる。俺はルーツに世間一般からすれば大きな罪を犯し家を出て、自分の思う自由の世界を探して来た。その時の自分が今の自分を観たらどう思うだろう?って最近よく考える。夢は見続けてるもんではなくて叶えるもんだって最近になって分かって来た、それくらい人は迷って人生を送ってるんだろうか?経歴や年数は関係ない!充実してるかどうかだと思う。そんな事を今年は考える、何故?それさえもわからない自分も居る。でも今後の人生を充実させる事は何?って事がテーマになってる自分が居る、アルバムは作るつもり!作り続けようと思う、それは何十年も一貫して変わらないワクワクする事である。



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台風一過の後突如現れた桃源郷へ繋がるかのような空。



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最近買って熟読してる。時間軸や思惑など分かりやすくて面白いよ。知らないといけない歴史!



これからどこへ行こう?ロンドンに住むのもいいな。


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2011年09月02日

むせび泣くギター。

9月になった。曲作りも7月の夏本番以降なかなかうまく行かない、既成の曲をうまく演奏する事より100倍試される。でもこれが俺の本望でもあり自分自身の居場所だと思える。憧れて来たサウンドやミュージシャンはみんなそちら側だ、真っ白なキャンバスに自由に絵を描く事がいつでも最終的に俺が目指して来た居場所だと思う。いい訳も演出もない自分自身の現在地、は大丈夫だろうか?いろんな事出来ないけど不器用だけど書きなぐる事がお金に換わる、それはお金は実は俺はあまり執着してないので結果成立するだろうか?と言う部分だけど。そんな頭の中に期待してくれてお金を払おうと言う事に嬉しく思う。いろんな物を沢山従えて自分の居場所や立場を保とうとする今の政治のような事には一貫して興味がない。だからインストラクターとしては失格だろう、誰も育てられない。勝手に育っていく事しか自分を見せる事は出来ないって感じる。そもそも家出から始まったロクデナシの奴に正論は通用しないだろうから、自分を見せる事しか出来ないけど、最近はインストラクターとしての自信もあまりない、、、。今後5年が今後の自分の生きる心の道を探す事になるだろう、そもそも安定も地位も名誉も求めてないんだから、矛盾してる事が多くなる年でもある。駄目な部分も含めてさらけ出す事にしたい、真っ白なキャンバスに絵を描き続けるアーティストとしてのスタンスでね。何も保証されてない自由業は自由をなくすとサラリーよりもたちが悪い、と思う。けどインストラクターと言うカテゴリーで暮らしていくには、その会社の方針に従わないといけないから、そんな中で政治みたいになる。次の人生考える、、、、。キャンバスに絵を描く事は変わらないけど、肉体労働でも出来る精神である。ばかばかしい派閥争いには興味がない、ただインストラクターとしてのカテゴリーに自分の精神が今後収まりきれるかどうか分からない。

涙が出た。今作ってる10曲もの俺の頭の中を信頼してくれてるクライアントの人にはインストラクターとは180度違う頭の中を試されるので、しかも発注してる当のデザイナーは俺よりも音楽やROCKに詳しく勉強になる。丸裸の自分のキャンバスを人に見せると言う事は駄目な場合は凄く落ち込む事は分かってるけど、成功すればカヴァーした演奏を褒められるよりは100倍の充実感がある。そんな世界で生きていきたいとも思うし、自分の曲が一人歩きして映像をカヴァーする。以前の「媚薬」の時は今自分がこの世界に居るルーツとなった”SHAKE"さんに映像の宝石とギターがバトルしてるね!って言われて数十年分の自分の活動が間違いじゃなかったんだって思えた。それからの交流はまだ続いてるけど。自分の生き方や音はきっと聞いてる人たちの方が正直に受け取ってる気がする。


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「咲咲」の二人には何かUSUIZUMは届いてるんだろうか?しょうもないIZUMだけどね。



この曲、いい曲ですよね。むせび泣くギター。


クライアントのお言葉と共に映像のメールが届いた、なんか涙が出た。自分でも分からないけどこのプロジェクトの一曲目に出来た曲だ。



最終的にどうなるかは分からないけどYOUTUBEに上がったJEWEL STUDIOの作品を映像をどうぞ!


やっぱりあの頃誓ったように俺は表現したい。
posted by usui special at 03:40| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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