今日のタイトルは作曲の最後の10曲目のタイトルだよ。遂に最後の曲、長かったし去年の春の震災直後にいただいた仕事。忘れもしない、クライアントの人から明日には東京へ戻るので今夜会いたいと言われ夜の仕事をキャンセルして川端の韓国料理屋に行き打ち合わせをした。値段交渉は納得いかなかったけど、俺は音楽で商売はしきれないなぁ、、、。けど受諾してからは金額ではなく俺の世界観を値段以上のものにしたかった、この金額で申し訳ないって言わせるくらいの作品を作ろう!って心に命じた。この金額だからって手は抜かない!どうだ!って気持ちで臨もう!って誓ったあの夜を思い出す。きっとそれは自分に還って来るんだって思えたし挑戦でもあった、やれるかな?いややれる?出来る!そんな2011年はまさに自分のライフワークの原点が出来た気がする。作曲って所詮自分のSEXやマスターベーション見せるようなもんだと思ってる。俺こんな世界観でこんな事に執着してて、こんな事にカッコいいと思ってますみたいな。それが若い子から熟年層まで納得出来るものは無理だと思うけど、ROCKや音楽に精通してるクライアントの性癖までは分からないけど、それを納得させないといけないって考えると自分が貪欲に生活してないと曲にしても薄っぺらくなってしまうと思った。まさにSEXと同じだと思う、自分のSEXは大丈夫なのか?相手を満足させてしかもファンタジーの世界に連れて行ってやれてるのか?しかも同性だし、、、。音を作ると言うのは超メジャーなアーティストと同じ軸で聞かれてしまう。ミュージックプレイヤーでは容赦なく飛ばされてしまうと思う、けど「SETSUNA」って9曲目は「最高!」って賛辞され涙が出た、これって分かるだろうか?一曲目じゃなくて9曲目と言うのがまた俺は嬉しかったけど、同時に自分の作る曲に対して分からない部分も沢山でてきた。それは作る側が意図してる事と受け取る側の違いである。けど現代社会において表現をしたものはたたかれる、表現してないけど個人情報保護と言う傘に隠れて批判する寂しい人たちのネット社会だ。でも俺が生まれた年でも出来ちゃった婚はあった訳だし、いまだにMARCOシリーズを見てくれてた人に言われる「お母さんからは連絡はあるんですか?」答えは「何もないです」だ。それが現実だけど俺が生まれた時よりは良い状況だろう、俺自身。
珍しくここ福岡でも雪化粧。
better than 1966' も哀しい曲になりそうだ。