2012年06月30日

鈍行列車部 第一弾!usui special presents.

夢をみた。薄暗い月明かりの海の上に仰向けに浮かんでる、穏やかな波で静かな波にあちらへ流され、こちらに流され心地よい。無防備な俺はここが何処だか何故ここに浮かんでるのかさえ分からずむしろそう言った事は関係ないくらいに月明かりの群青の世界と真っ黒な海面に照らされてる月の光を堪能しながら「まるで宙に浮いてるみたいだ」って目を閉じた瞬間にもの凄い力とスピードで海の底へ引きずり込まれる。息が出来ない、その俺を引っ張って行ってるものが何なのか分からない、真っ暗な水の中から月の光が遠のいて行く、もう限界だ!ってところで目が覚めた。究極の二つの体験に天にも登る気持ちよさともの凄い不安感と地獄へ続く恐怖を同時に感じた。そう言った事はいつも背中合わせと言う何かの暗示だろうか?

6月28日の木曜日に「usui special presents. 鈍行列車部第一弾!」が決行された。メンバーは今の所の部員全員である俺と咲咲のアツシとフミヤ。経路は以前の記事で書いたので省略させてもらうね、写真と説明で一緒に言った気にでもなってくれれば幸いである。


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出発駅は吉塚駅で約50分かけて新飯塚へ!切符は田川後藤寺までの料金。


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新飯塚から田川後藤寺へ乗り換え。


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田川後藤寺駅でめずらしい2ショットJR と 平成筑豊鉄道。高校生の帰宅時間と重なり物珍しいそうな顔で俺たちはみられ続けた。


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田川後藤寺から日田彦山線に乗り換えて、田川伊田駅へ、いよいよ平成筑豊鉄道へ乗り換えの時間待ち。


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油須原駅舎。は俺の子供の頃から変わってなかった、昔は何処もこんな駅舎だった。


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いよいよ俺の育った犀川へ入った、電車からみる風景は何十年ぶりだろうか?何も変わっちゃいない。


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犀川駅舎。これは俺が家出した後にJR田川線から第三セクターの平成筑豊鉄道に変わった後に作られた。動物の犀(サイ)をモチーフにしてるらしい。


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ゴールの行橋駅舎。一年ぶりである、あの頃の面影は何もない駅舎。


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目的の一つ「三徳ラーメン」俺のソウルフードの味噌おでん!


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画廊喫茶って名前じゃなくなってる、よくさぼって通ってた「マリー」


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最終目的地の同級生が女将を引き継いで頑張ってる「呑河豚」今回はメンバーも違ったのでなんか不思議な気持ちの俺がいた。相変わらず女将のゆっこさんには癒されるし、離れてるのに全て見透かされてる感じで心地よい。いつもありがとうね!ひがん河豚うまい!


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約3時間半の旅、お疲れさん!でした。


追記:ゆっこさんの店でスーツをピシャッと着たご老人の常連さんが俺の椅子一つ開けて座った。品のある感じだったひょんなきっかけで俺が若いという話題でその方も「若い」事は良い事です!ともうすぐ80を向かえるというご老人とコミュニケートした「私からしたらみんな若い」と、それなりの地位のありそうなご老人だった。俺たちより後に来たにも関わらず先に勘定を済ませ帰る時に俺に向かって両手を差し出してきた、何かと思うと唐突に「タレントさんとお話が出来て良かったです」と固い握手をされた「、、、、、」その後大爆笑の渦が、すかさず俺は「タレントじゃないですよ〜」そのご老人は聞き耳持たず帰って行った。でた〜〜〜〜〜〜芸能人伝説!隣のアツシがすかさず「やっぱさすがですね〜これで老若男女じゃないっすかぁ!」鈍行列車部第一弾はこんな思いもしなかった思い出のオチがつき帰りは特急のソニックで帰った。

Who am I ?
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2012年06月28日

younger than older

実年齢の若さは日に日に戻っては決して来ないけど、細胞も確実に老いて行ってると思うし病気にもなりがちなんだろうけど、ここ最近の俺は身体の調子もよく二日酔いなんてならず起きると何かがみなぎってるのが分かる。気持ちは逆にドンドン若返って行ってるような感覚だ、ちょっと不思議な今までの人生で感じた事ないような、、、以前からこのブログではミリセカンドずれてるって表現して来たけど、まさにそんな表現でしか伝えられない。毎日日常業務はやってきて暮らして行く為のギターは弾かなくちゃいけない、そんな事さえもまた夏の大きな毎年やって来るZeppでのイベントでさえ今年はこんなエフェクツ使ってとかこんな曲にはあのギター使おうとか、モニターチェックや出音チェックもリハの時はしないといけないのでワイアレス買おうとか(実は先日買ったワイアレスは不具合が生じ取り替えてもらってる途中である)今回使うギターのピックアップをP-90に変えようとか(このギターは自分のライブでしか使ってなかった奴、仕事デビューである)そんな日常業務の事でもワクワク想像力全開で所詮仕事だからと手を抜く事もこなす事もない自分がいる。

周りにいる若い連中からいろんな刺激をもらってるのは分かってるし、またそんな自分の子供くらいはなれた若い連中にお父さん的にみられたりするのも嫌で、「大人」として接してなく話題とかも無理なくついて行けてる自負もある。そしてそんな連中から現役の音楽家やアーティストとしてみられたいと思って、また今だに自分がアーティストとしてまた色気のある男としていたいと毎日いろんなアンテナたてて模索してるような気がする。その模索や挑戦や想像力は逆に若造の頃よりも洗練されて年を重ねてる分、よりぶれなくなってる気がする。俺の発してる電波は強力らしく(知り合い曰く)波長が合えばガッツリ深く付き合えるけど、強すぎる為に最後はフェードアウトしてしまざるを得なくなる人も多いらしい、俺にはその電波はわからないけどもう10年来の知人に言われれば、そうなのかって思う。その知人は今だに俺と初めて会ったときの強烈な印象を事細かく覚えてて話してくれる。何なんだろうそれって?

それと今だに自分が憧れて来た世界の日本の先輩アーティストが50、60代でも現役でバリバリ表現してるって事も自分の未来予想図のように写してくれてる。そんな先輩たちが老いぼれて、あの頃はあんなにかっこ良かったのに、、、って言うんじゃなくて、今でのかっこよくどんどん進化して自分が高校生くらいのときのままの姿でステージにたってるし、自分と同年代のアーティストもこんな日本の音楽事情の中でもメインストリームで活躍してるのも刺激になるし、俺もまだまだだ。って毎日思える。訳あって今週はめずらしく真剣にクラシック音楽を聴いてるけど、そんなのもまた自分の世界観を広げてくれる。それもまた出会いのマジックである。

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この秋に新譜が出る、驚異的な60代。今だにあの頃の夢を見させてくれる、素晴らしいかぎりだ。


俺の電波ってどんなの?誰か教えて。
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2012年06月26日

Dm から B♭

ようやくまとまった雨が降り梅雨真っ盛りになってきた。今日もチャリで仕事移動だったけど夜は雨脚が強まり最後の仕事はバスへ変更、と思って慌てて家にチャリを置きに帰ってバスに乗ったら雨脚は弱まり、結局チャリで行けたのにと晴れ太郎の俺が逆効果なパターンで撃沈。小説か何か忘れたけど「雨は雨で新緑の緑が濃く輝きそれはそれで素敵ですね」という言葉を今思い出した。また昔、女が運転する軽自動車の助手席に乗ってたらその娘が「私は雨の日にフロントガラスに雨があたりその音を聞きながらこの車の中の閉ざされた空間にいるのが好き」って言ってた娘の横顔を思い出した。中学生の頃クラスマッチで男子はソフトボール、女子は体育館でバレーボールだった時、先に終わった女子が教室からソフトボールの応援をしてたら急に大粒の雨が降り出し、小学生の頃からソフトボールをしてた俺にとってはかっこ良い所の見せ所で、ビショビショになって校庭を走り回りボールを追って、その雨に打たれて白球を追う俺たちかっこいいだろう?的なテンションになって、終わって教室に戻りぼろぞうきんのような俺に当時の彼女が無言ですっと差し出してくれたタオルとその照れた顔を思い出した。一人暮らしの俺の部屋でもうこの恋も終わろうとしてる娘とお金もないけど暇は沢山あり外は雨の午後、その時その娘が「今日これからどうする?」ってベッドの上から、俺はギターをつま弾き「あ〜、、、、うん、、、」って言った湿った重い部屋の空気感を思い出した。前にも書いた喰えないとき市場でバイトしてる時に一人で一箱30Kgある白菜を100ケーストラックにパンツまでビショビショになって積み込んだ帰り道、バス賃もないので歩いて大通りを「俺一体何やってんだ、、、」って情けなくて情けなくてたまらなくて30分かけて傘もささずに帰ってたら、前の会社の営業の娘が営業車で俺に気付き停車して「碓井さん!傘もささずになにやってんですか!?」俺は「、、、、、」「送って行きますよ!!」俺は自分に悔しかったから「いいよ、もうビショビショだから、、、」って言ったときのその娘の何とも言えない表情を思い出した。

何かと雨の物語はそれぞれあると思うんだけど、歌や曲も雨を題材にしたやつも多い。あまりハッピーなのよりも哀愁の方が多いような気がする。何でだろう?去年作った曲に「雨の課外授業」というインストがある、やはり哀愁感たっぷりで毒っけもあるけど希望も見えたりする。BONUS-CDRの二曲目のストリングスが終わって最初にはじまるアコギのスリーフィンガーの曲がそうだよ、後奏の部分はまた違った後半で登場するけど、ちゃんと「刹那」ってアルバムには一曲丸ごとで入れようとは思ってる。しばしお待ちを!


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雨のある風景。


DmってKEYが俺にとっては哀愁であり雨の音色である。
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2012年06月21日

真夜中でも梅雨は梅雨

さすがに一年以上cockpitでの仕事の深夜の作業が続くと慣れてしまった。日々勉強だとは思ってるけど、今回はタイムリミットがあることが自由人の俺としては逆に良かったのかもしれない、と思ってる。そんな仕事や作業だから成長出来てる気がする。なので中々ブログの更新がままならない、今日は記事書くぞって思っても深夜の作業は終わりが無く、逆算するとタイムリミットまで今日はここまでやってないと間に合わないとか、違う予定や飲み会や夜が潰れる事も多いのでやれる時に集中してして作業してる、仕事だからね。今月中に終わると思ってた作業の仕事も後2曲あることが今日判明して7月までは続く、、、。それは嬉しい悲鳴だけどね、RECの成長も出来るし技術の向上にもなる。20代の頃よりは音楽してる!ってことはこの道は間違いじゃなかったんだ!って思える。この仕事が終わると夏のでかいイベントも控えてるけど、それと平行してアルバム「刹那」のリミックスの作業やそれと平行して「咲咲」の新譜のRECも考えないといけない。毎日日々の暮しの中で優先順つけて音楽人生送れてる事に感謝しないといけない。オンラインレッスンの撮影も容赦なくやってくる、毎日だれかが俺を必要としてくれてる音楽人生に感謝しないといけないし、また次のステージは常に考えてるよ。今のステージでは満足出来ない!もういい!このステージは、そうやって向上させてないと俺は生きていけないみたいだ。魅力的にもっとなりたい、人に必要とされたい、人として心から惚れて欲しい。だってもてたくてギター弾き始めたし、あのミュージシャンのように魅力的になりたいって思って来たから、虹になった少年の分までの人生だから。

雨音が聞こえる、小休止でヘッドフォンを外すと車のタイヤが舗装されたアスファルトの雨の音をたたく、その音で雨の量が分かる。最近ではみんなおりこうさんになってしまったような気がする、心ふるわす瞬間や夜でも無理をしない。「夢」はそんなに近くに無く、みるもんじゃなく、近づいて行くもんだって思うけど、無理も必要だし自分の許容範囲を超える世界へどんどん行って失敗したり後悔する事で本当の「夢」が近づいて来るもんだって思う。人は「寂しい」「虚しい」って煩悩で修行出来てないってきがする。今日は何を伝えたいんだろう?今度の日曜までにBASSの差し替えとドラムの差し替えが(正確に言うとドラムキットの音の差し替え)が6曲くらいある。この試練や作業を乗り越えると俺はきっと成長出来てるだろう、ギタリストとしてアーティストとしてミュージシャンとしてロクデナシとして、今だに日々勉強である。魅力的な人間や作品を作る為に、多分一生わかないだろうけど、、、、。

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新幹線「こだま」独り占め。


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今の我が家の花達、生きてる。


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やっと1、2弦もコーティングされた愛用の弦。RECでは使わないけどね。


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今年のZEPPのイベントでは演奏したりモニターチェックや出音のチェックしないといけないのでワイアレスを買った。それも俺なりの誰も分からないこだわりだけど。


そんな事が人を形成して行くと思ってる、野良猫達はどこかで雨宿り。

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2012年06月16日

それゆけ!鈍行列車部創設。

最近は梅雨らしく湿気も多くギターがなんじゃこれってくらい鳴らない。この時期から9月くらいまでは湿気が多いのでギターが鳴らない、特にアコースティックがだめだ。そして髪型もきまらない、くせっけの人は大変だろうな、おれもくせっけだけど、、、最近はくせがなくなってきた、年とって髪が痩せて来てるのか?髪までやせっぽちかって思ってしまう。もう20年以上髪を切ってもらってる人によく言われる、この年で髪の毛をすく人ってそういませんよってね。2、3年前までパーマヘヤーだったけどセットが楽でムースつけてくしゃくしゃってするだけ。白状すると今年になって高校生の時以来ぶりぐらいだろうか?ちゃんとドライヤーを使って髪を乾かすようになった。

遂にやっぱり「鈍行列車部」を作る事にした!そして第一弾のツアーのコースと日程がきまった。今回は俺がプレゼンするので、この部はプレゼンする人間が責任を持ってコースを考え乗り換えや時刻表や飯の場所や目的地を決める。そして同行する部員はその事に口出しや文句は一切言っては行けない決まりだ。部員は今の所俺と咲咲のアツシとフミヤの3人だけど、部員募集!と大々的に言いたい所だが、取りあえず条件として俺か咲咲の二人と面識のある人。勿論過去に面識があったでもOK!あとこれが大事なんだけど、土日祝日はダイヤが違うのと混み合うので平日動ける人に限ります。第一弾ツアーは

usui special のルーツとソウルフードの旅

6月28日午後12時に鹿児島本線「吉塚駅」に集合してまずは「福北ゆたか線」で「新飯塚」を目指す。

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それから後藤寺線に乗り換えて「田川後藤寺」を目指すこの線が駅の数も少なく炭坑の面影もかいま見れて一両のワンマン運転でバスみたいに降車の時にお金をちゃりんと入れて降りる。

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「田川後藤寺駅」から今度はJRではなく「平成筑豊鉄道」に乗り換える、これは第三セクターで運営されてる鉄道でホームで行き先の駅のボタンを押す券売機みたいなのがあり、勿論切符もあるんだけど乗り換えのときはそれを押すと「行橋 ¥840」みたいにかいたペランペランの紙が出て来て、この列車もワンマンなので降りる時にバスみたいにちゃりんとお金とその紙を運転手件車掌にみせて払うシステムだ。

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ここからが同じ「平成筑豊鉄道」とは言え乗ってしまえば目的地へ一直線ではない。まずは路線図を見ていただきたい、田川後藤寺から「糸田線」で「金田駅」を目指し降車、そして「伊田線」に乗り換えて「田川伊田駅」で降車、そして「田川線」に乗り換えて目的地の「行橋駅」を目指す!今回の鈍行列車部のメインはこの平成筑豊鉄道からの自然の風景やびっくりするくらいの田舎、もちろん以前の記事にも書いた子供の頃チャリで2時間くらいかけて行ってた添田までの道のりも垣間みれるし、俺が20才まで過ごした「犀川駅」にも停車するし、ギターをたたき折られた実家も車窓からみる事が出来る。そして最終目的地の青春時代を過ごした「行橋駅」で降車!そして俺のソウルフードの「三徳」でみそおでんとラーメンを食べる。行橋では時間によってはオプションもいろいろ考えてる、俺も楽しみである。あとこの鈍行列車部の特徴として目的地までの道のりを鈍行列車で楽しみ、目的を達成したら帰りは特急電車や場所によっては新幹線などをつかいそそくさと帰り夜は博多で飲み会という決まりである。何かよいプランがある方はプレゼンよろしくです!あなたも入部しませんか?また女子マネージャーも募集中です!

ここのけ!そこのけ!鈍行列車部が行く。


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2012年06月11日

大気圏内

ただいま〜無事に帰還したよ。今回の自分へのミッションはいろんな今の仕事や精神に趣向生、関わりや毎日の暮らしなんかの価値観をもっと上げるため、と3日間心のどこかで感じながら日常とは違う時間を過ごしてみようって思ってた。中々人の価値観や趣向生や暮らし方ってのは軍隊や刑務所でも入らない限り煩悩にいつの間にか支配されてしまい、ここで奮起しないととか、この出会いで自分が変われるチャンスなんかを見逃して生きてると思う。それは自分でも気が付いてない自分、人を介してではないと見えない自分ってのが実は毎日ゴロゴロころがってるのにただゴロゴロしてるだけの自分を若い頃からよく感じてた。そう言った事をいくつになっても敏感に感じて生きてたい、と思う。ってか毎日がその為にあると言っても過言ではない。

若い喰えない頃は毎日そんな事や音楽の事ギターの事ばかり考えて、いろんなまだ知らない音楽を探し知らないセオリーを勉強し(いっぱしのインストラクターになる為)鏡の前でギターしょってストラップの高さを決めたり、そんな思いを毎日ノートに詩のような叫びのような理想のような事や思いを殴り書きをしてた。ギターマガジンという雑誌を10年間毎月必ず買って隅から隅まで読み毎月特集してる、例えばブルースの常套句とかファンキーカッティングの極意とかや、その月に掲載されてるギターのスコアは必ずコピーをしてファイリングしてた。でも心の奥底には『くそっ!』アーティストになって認められたい!ってマグマは沸々とたぎって、そんなその時の思いを毎月のように手紙に書きロンドンへエアーメールする日々だった。

今の自分は大丈夫だろうか?って危機感はあの頃の暮らしや寂しさやわびしさを心のどこかで覚えてるし、何も変わっちゃいない気がするけど、大人になると平均を保つ手段を覚え先生なんて呼ばれて、人のプロデュースなんかやって自分のギターや作品や考え方が正しいって気付かないうちにそんな生活にぷかぷか湯加減の良い風呂に「今日も一日頑張ったなぁ」なんて思いながら浮かんでる気がする。所詮俺の今のステージだと思う、誰のせいでもない自分でのし上がり構築して行かないと、、、きっとあの頃の彼女に言われるだろうな「もっと楽に生きたら」って、付け加えて「今だに、、、?」って笑われるだろうけど。この年になるとそんな事を親身に相談する人も減って来るしエアーメールする相手もいない、女も助けちゃくれない。自分で自分を察して人に鏡として自分自身を写して自分の姿を確認するしかない。でも今回の旅でも特に最終日は寝れずに普段のねぐらとは違う布団で普段のお気に入りの照明や暗さではない天井を眺めながらいろんな事を考える事が出来たよ、毎朝7時には起きて朝食を食べ、知らない土地を散歩したり短かったけど、今の気持ちを言葉にのせるなら

やはり地球は青かった。


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一日目はここはロンドンか?


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人生で一番パンが旨かったかもしれない。


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天国の入り口?向こうは断崖絶壁である。


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顔の黒い羊は残念ながらいなかった。


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二日目は川端康成の「雪国」を思い出したしこの土地で感じた事は大きい、朝の散歩した道。


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子供の頃過ごした嫌な街も思い出した。


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現実、虚空、作品、計算、事実、少数派、庶民、暮し、演出、教育、哲学、想像力の欠如、攻守、平等な時間、奇跡の繋がり、君にとっての俺?俺にとってのみんな。


ざっと今回の旅で思いついた言葉。

2011'06'11 -usui special-
posted by usui special at 01:15| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月08日

short trip

明日から3日間旅に出る。日頃の事やいろんな関わりやめんどくさい事や仕事やいろんな事は置いて身軽に出かける。頭の中をすっからかんにさせて自然を満喫して来ようって思ってる。今回は近場だけど、いろんな事がリセット出来そうだ。また今後の自分の次のステージの模索やようするに残りの人生の過ごし方なんかも考えてみるつもりだ。

子供の頃は夏休みに必ず犀川町から継母の実家のある添田町まで自転車で1時間半はかけて行くのが楽しみだった。車で3、40分の距離だから子供にとっては程よく長いちょうど良いサイクリングだった。もちろん道中は田舎なのでちょっとした峠があったり、途中の赤村の川が綺麗な場所で休憩したり、家にいるのが嫌いだった俺にとっては唯一の心の開放が出来てた。冒険に近かったかな、せっせせっせと自分の足でこいで行く冒険、寄り道したりアイスを買って食べたり自分だけの時間が楽しかった。少しだけ大人になれた気にもなってた、そして継母の実家で一泊して次の日に帰る。ただそれだけの事なのに今だに強烈にその時の心の開放感やワクワク感は覚えており特別な時間だった。山に冒険行ったり、秘密基地を何カ所か作り、小さな何もない街だったけど頭の中を自由にすればどんな事でも楽しい場所だった。

所詮男はいくつになっても子供だと思う。何年かまえもブログでも紹介して「咲咲」の新曲のタイトルにもなってる「鈍行列車」に乗るのも好きで、博多から小倉へ仕事へ行くのもわざわざ飯塚、田川経由で鈍行を乗り継ぎ2、3時間かけて行った事もある。また近いうちに行こう!って今決めた。鈍行からのいつもみない車窓の風景や途中から乗り込んで来る高校生のあの独特な匂いとか、こんな場所で暮らしてるんだみたいなのを感じるのが
好きである。山陰の萩から小倉まで鈍行で帰って来た事もある。九州にもいろいろ乗ってみたい鈍行列車の路線がある、島原鉄道とか八代から人吉まで球磨川沿いを走ってる路線とか、近場では久留米から大分まで行ってる九大線とか意外と乗った事がない香椎線とかね、上げればきりがない。鈍行列車部でも作ろうかなぁ、いやいやあれは一人でふらふらと予定を変更したり途中下車するのも楽しいからサークルではだめだ。とにかくボーーッと車窓から景色をながめて物思いにふけったり魂の開放したい。

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鈍行とは真逆の新幹線からの車窓、雲が低い。


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新幹線から遂に喫煙車両が消えてこんな喫煙室が、二人はいると照れるくらいの狭さ。


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明日からちょこっと行ってきま〜す、メールとかの返事が遅かったりしたらごめんね。

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2012年06月05日

700号

6月になった。随分ご無沙汰の更新である、前回の記事からして俺の変わった事と言えば性懲りも無くまたメッシュを入れた事だろうか、敢えて写真は載せないので実際に会った人にしか分からない。事にしよう。前のメッシュもまだ残ってるので二カ所メッシュで俺の最近目指してる?三毛猫ヘアーに近づいて来た。やんちゃな野良猫スタイルを見た目も生き方も目指してるよ、何故ここに来て三毛猫?って思う人も言うと思うけど、それもあえて秘密にしておこう。

最近は体重が50kgと言う事をカミングアウトしてからよくその事を聞かれたり、身体大丈夫ですか?って茶化されたりする。若い頃は痩せっぽっちがコンプレックスで夏でもT-シャツや半袖は着なかった、それはそれでまた「ロッカーやねぇ」と茶化された。もう今はどうでも良くなりT-シャツもバンバン着るしサイズはほぼSサイズなんだけどあえてピタッとした奴を着てるよ。痩せてるネタで思い出した事がある、以前のブログでも書いたと思うけど、親父は俺が小学生の頃から痩せてる事が悩みの種だった。まるで人間の男として未完成のように扱われてた。ある時は急に新幹線に乗せられ親父は俺に行き先も告げず東京まで連れて行かれ、今でも覚えてる神田の薄暗いぼろい雑居ビルに入って行った、そこには何ちゃら診療所って書いてあるぼろい扉を開くと白衣を着た医者のような男がいて親父は男として未完成な俺の事をあ〜だこ〜だ説明して、俺は上半身を裸にされ触診らしき事をされた。結局何だか分からない上半身の塗り薬と煮出して飲む漢方薬みたいなものを渡された、そこから地獄の一年が未完成の俺にはやってきた。毎朝上半身に薬を継母に塗られ、これまた罰ゲームみたいな漢方の煮出した奴を飲まなければならなかった、それも朝と晩。あの漢方の味は今だに覚えてて今でもオエッてなる。それでも男として俺は完成されず、まだまだ地獄をみる事になる。またあるとき行き先も告げず車に乗せられ大分まで連れて行かれた、今度は和風なお寺みたいな場所で畳の上にうつぶせにさせられ、また上半身はだかで今度はお尻も半分出されてつぼ押しみたいな事され、マジックで何カ所か(7カ所くらいあったと思う)印をつけられ男3人くらいに押さえつけられ、もぐさを乗せられお灸をすえられた。普通お灸は火傷しない程度だと思うんだけど、俺にすえられたお灸は悲鳴をあげるほどのもので熱くて失神しそうになった。勿論そこには水ぶくれが出来て、お灸じゃなくてむしろ火傷みたいになり風呂も2、3日入れなかった。そこにやっとでかさぶたが出来て普通に風呂にもつかれるようになった頃、また車に乗せられ大分へ行き同じ場所にお灸をすえられ、きっと地獄ってこんなとこなんだろうなって薄れいく意識の中で感じたのを覚えてる。そんな事が3、4回は繰り返されたけど、俺は一向に男として未完成のままで、、、って事は今だに俺は男として未完成のままか?今だに「サングラスかけてると男か女か分からんねぇ」だとか、タンクトップ着てると「肩の張った女みたいやね」とか嫌みなのか何だか分からないことを言われる。見た目はそうかもしれないけど中味は男の中のイケイケドンドン男である!人は見た目で判断しちゃいけないよ、そこの子猫ちゃん気をつけな。SOTOデナ!

このブログを覗いてくれてる人にはお馴染みの北九州は小倉にある「PLUG-IN」及び「CHUYA-ONLINE」にもお世話になって今年で15年になる97年の春辺りくらいだから、お店も16年目に突入かな?何かと去年は20周年や15周年だったんだってスルッと過ぎて行った気がするけど過ぎて行った今年にいろいろ思う。あとひょんな事件から行かなくなってしまったお店も今年10周年だし、いろんな今後の自分の未来予想図を考えさせられる。そんなお世話になってる「PLUG-IN」ではじめたオンラインレッスンもこの8月で5年目を向かえる、今は丁度番外編で「TALK & QUESTIONS 」公開中だよ。番外編ではオリジナル曲のプロモ風とかもみれるのでCHECK IT OUT !

碓井裕介 onlinelesson 番外編 : http://www.chuya-online.com/online_lesson_extra_no3.html


そんな週に二度は通ってる道のりを紹介するね。


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小倉の新幹線ホーム、冬は海風でめっちゃ寒い。


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北口を出てこのエスカレーターで降りる、ほとんど表の魚町銀天街やCOLETにはいかない。


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そこから海方面に向かって5分ほどでROUTE 199 R SIDE.


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L SIDE は夕日がいつもきれい。


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この大きな信号をわたって、よくブログに載せてる夕日スポット。


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この建物のツタが毎年緑で綺麗だったのが残念。


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足長おじさんはいつもここで夕日を背に。


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必ずかうもの。


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一瞬お店があるってわからないアメリカにありそうなSHOPの入り口。


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プロモにも登場してる鉄の階段を登ると。


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じゃ〜んPLUG-IN店内、かっこいい。


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ここがレッスンとか撮影してるルーム俺は蛍光灯の灯りが大嫌いである。


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新調した今年の夏の部屋着パンツ!短足ネパール産パンツ。


このブログも今年で6年でこの記事で700号を迎えた!
posted by usui special at 02:58| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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