2013年02月27日

もうわからない。自分自身にまったく自信が持てなくなった、だれとも絡みたくない。俺自身の風体から存在や言葉が全て悪で接する人に気分悪い思いをさせてるのなら、もう俺は貝になるしかない。信じてる事、信じて来た事、が全て人に悪い影響を与えてるみたいだ。「話しかけづらい」「真剣に直球の事しか言わない」「言葉が重たすぎる」「軽く流す事をしない」「何考えてるか分からない」。同窓会に呼ばれなくなるのも、色んな人が消えて行くのも、そんな俺の風体や雰囲気や言葉のせいだとはっきりと言われた。俺の人生は間違ってたのかもしれない、、、。でも俺は全否定されても何度でも立ち上がって来た!そもそもあの家に居る頃は毎日全否定の俺だったから、でもあの頃はまだ俺も若く、夢や希望に満ちあふれ意味のない自信を希望に毎日をギターを弾きレコードを聞き、そこにファンタジーを感じて世界旅行だって頭の中で出来てた。でもこの年で全否定されると凹み方もハンパないけど、何を信じて、正しい事は何なのか、もう分からなくなった。俺と関わるとみんな不幸になるのだろうか?みんな些細な俺の言葉や存在で傷ついてるみたいだ。もう俺は人の為にとか人の事は考えない事にした、自分の事だけ考えて軽く人と繋がって生きて行こう。じゃないと気分を害す人をこれ以上増やさない為にも。今のネットやSNSの時代には俺は生きる時代を間違えてしまったみたいだ、存在が気分を害するんならばたわいもない話でもして気分を害する前に俺から気分を害する前に適度に去って行こう。

久しぶりのメガトン級の凹み。.jpg

今年最初に現れたドラゴン雲。鳳凰にも見えるけど。


気分を害した人たちごめんね。もう関わらないから。


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2013年02月20日

REST ROOM.

どんどん心が思いが内に向かってる。周りの事なんてどうでも良くなってる、人の鏡に映ってる自分も気にならなくなって来てる。思いやりなんて安っぽい言葉にも興味が無く自分の現在地だけを探してる、それに誰が関わっていようが影響なんてこれっぽちも受ける人も居ない。自分との戦い、と清算。アルバムをまとめあげようとしてる時はこんな感じになる。身内でも友達でも知り合いでもなく自分自身の正解と不正解の海原に放り出される。自分ととことん向き合い嫌な部分や全然だめな部分も含めて「過去の表現」に審判を下し自分の感覚を殺める。今回の「刹那」の大きなコンセプトはイマジネーショントリップだけど前回とは真逆の「媚びない!」に決定した。曲と写真のコラボレーションって言う新たな扉も開いてみようって決めた。何の制約も無く自由に作る!プレゼンも対価もない、期待もされてないって思うから、そこに自分の全身全霊のセンスと作品としての価値が試されるってのも前作の「媚薬」でよく分かった。付き合いで買って欲しくはない、けどあえてCDをプレスする意味は分かってるつもりだ。作る側としては日本や世界に出回ってる作品に負けないように表現するつもりである。予算もないし協力してもらってる人たちには感謝してる、けど確実にこの2013年に約6年半ぶりの俺がここに居るって言い訳出来ない。新曲は構想はあるけど入れるかどうかも決めてない、まずは「刹那」の10曲を凛とミックスしないとその先までは考えられない。

そんな日々の中でも色々あるけど、自分なりのON.OFF要するにあるなしの事が絞れて来た。みんな見出しで生きてるけど、心の奥の部分や裏側の表現はこの「刹那」までにしようって思う。理由は今の所分からないけど、エンターメントじゃないのかなぁ?アートの域にもたっしてないなぁ。けど確実に音楽で生きて来ての現在地を恥じないように自分の表現をしようって決めた。繋がりのある誰とか関係なく俺の去年までの現在地をMIXしようって思ったら色んな企みも沸いて来たし誰に向けてとかじゃなくって「こんな表現もあるよ」って狭い事しか出来ないけど、、、ただがむしゃらに頑張ろう、、、100枚しかプレスしないかもしれないけど。

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最近は年取ったせいだろうか、トイレが近い。


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気分転換にネイルしてもらった。90年代のロンドンに行った気持ちを忘れずにと思って、この年になってこんな事出来るのも感謝しないといけない。



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その後スペインを味わった。パエリアとシェリー酒で酔っぱらった、そんな本当の毎日でいい!


TOILET or REST ROOM?



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2013年02月14日

過去との対峙。

今この時間、一秒後、一時間後、明日にはどうありたいと思う?今よりハッピーな気分になりたいとか、昨日の自分よりも成長していたいって思う?買ってた宝くじ当たらないかな?とか白馬に乗ってイケメンやお姫様が突然現れて自分の人生を狂わせて欲しいとか?今日より病気が良い方向に向かうようにとか、今読んでる本の結末が気になるとか、何だか雰囲気悪いあなたとちゃんと向き合って話し合おう、いやもう通り過ぎて何もなかった事にしようとか?あの頃のみんなはもういなくなってしまったなぁとか?新陳代謝がわるくなり細胞は死んで行き若さは振り返る事しか許してくれない。そうだ!過去の自分との対峙がこの煩悩の世界での現在地だ。惰性で生きてるようでも誰でも誰かが必要としてくれてる、自分の存在を。ただ自分の過去を積み重ねて行く中での瞬きを大切に真剣に対峙してるかの積み重ねが「この今の瞬間」を作ってると思う。

こんなに情報が氾濫してSNSサイトで簡単に親指の繋がりが増え、苦労もせずに泥棒サイトで喜びや欲望が手に入る。俺もこんな仕事してるから名前をキーボードで叩けば顔も情報もだだ漏れである、それが嫌だった。月に二回は世界中の人が見れる撮影を行い、アップロードしてYOUTUBEで何万と言う人がアクセスしてるけど俺は何万と言う人は知らないせめて何十人何百人の人との暮し。その何十人だってリンゴを剥きあって食べる中でも赤ちょうちんをくぐる仲でもない。すべてが通り過ぎて行く俺の過去だ、頭の海馬と言う図書館には収まってんだろうけど、思い出すしかない。そして答えの出ない宿題を軽く出して俺を悩ませる。

今は「過去の自分と対峙」してる毎晩してる。過去の自分の作品でもその時の自分や周りの人たちが蘇り、この曲の時はリンゴ剥いてくれたなぁとか、赤ちょうちんくぐってたなとか思い出しながらリミックスと言う名の自分の曲達に今の瞬きの自分と言うスパイスを振りかけてるけど、こんな事出来てる人生送れるのもしあわせだなってやっと思える今。必要とされてるからアクセスしてくれんだとか、気にしてこのブログ覗いてくれてんだとか、だから俺はかざらなく良い事も悪い事も書く。毎日過去の自分と向き合うと見えて来る事も多く、だから俺は過去の自分と対峙して明日からの価値観を見据え人と接して「決してぶれない碓井裕介!」を創りだそうとしてんだって強く思う。あの頃のあなたは相変わらず俺にあの頃のように言うだろうね「もっと楽に生きたらいいのに」って半分笑って、雨の予定のない休日の午後にベッドで毛布に包まったまま、俺はタバコを燻らせ「I CAN'T SAY ANYMORE」だったけど今は違うよ!この2月になってリミックスやりながら新曲の構想も出て来た、いつも不思議だけど、その世界にどっぷりと足を突っ込むと自分自身がよりクリアーに見えて来て自分を指南してくれるような不思議な感覚に陥る。そして確信して「刹那」は今の瞬きの灯りを確実に俺に灯してくれるって。たった一人だけの世界。だけどそれが形成されて何万の人に逆に向けたいって強く思う。アスリートのように結果を数字では残せないけど、そう俺はロクデナシなんだしロクデナシじゃないと何も生まれない「この!ロクデナシ!」って言われ続けたい。

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このロクデナシを支えてくれてるベンチの控え選手。


0からまた始まる構想が幸せに今宵も俺を悩ませる、君との出会いにも。


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2013年02月08日

モード全開 !

また寒波がやって来る。やはり二月が一番寒いと思う、いや三月も寒いか。三月は桜も咲き春がやって来たと思うから、それにしちゃ寒いって思うのかもしれない。卒業式の体育館の底冷えする寒さ、夜桜の花見のビールの寒い事寒い事、そんな季節や時に俺は生まれ毎年の誕生日の過ぎて行くだけの寒い事寒い事。そして暖かくなって来たなって思うと湿気が増えギターの鳴りが悪くなるし、世の中は慌ただしくなるから春は嫌いだ。もう誕生日なんてどうでも良い、逆に気を使ってもらって申し訳ないしわずらわしくも思う。そんな事より毎日の大切な繋がりや人とのふれあいの方が100万と大事だって、こんなヴァーチャルな繋がりの世の中になってつくづく目の前の出来事や交流やふれあいが大事だって思う。そう!等身大の自分自身や君たちとのふれあいだけで俺はいい!

最近思う事だが、TVのNEWSをみてもどの局も横並び「NO ! NUKES」「体罰ではなく暴力です!」「新たにこの高校でも体罰と言う、、、」同じ事を同じレベルで当たり障り無く一日中やってる事にうんざりする。音楽業界のメインストリームも金のなる木に乗っかってしまうし、本当の良い作品を芸術として判断されずに売り上げ枚数で大賞が決まってしまう。だからほんとに表現したい人は休養したり引退する。タイアップにテーマ曲にスケジュールを管理され、いつまでにこのCMの曲を仕上げないといけない。シングルをきらないといけない、またそれがタイアップで宣伝された曲しかみんなに届かない。聞く側ももはや「探しもしない」流行ってるから、あのグループの新曲だから、そんな枠に収まってない芸術や素晴らしい曲達はどこで探せばいいんだろう?何か声を上げて表現の場を作ろうとしても、それに絡んでくる人たちが居ない。俺の思いや思惑は冷めた反応で結果的にはそれぞれが表現したいんだって行動に移せてなくて、それをプライドで返されたりすると俺も悪い相乗効果で「もういいや」って引いてしまうと何事もなかったように振る舞われ「通り過ぎて行く」。思いやりって何?優しさって何?心の愛情って何?そんな古びてしまった言葉や感情は通用しくなって「今をLINEで繋がって」当たり障りもない繋がりが心地いいんだろうな。めんどくさくなったら「BLOCK!」「メアド変えました登録お願いします」って一斉送信。

そんな世の中にだけど文学の世界だけは健全だと思う。「直木賞」や映画化される作品も近年増えて来たと言うか、この作品が?って言うやつまでもが映画化されて既存の物語に日本の映画界も頼り過ぎだと思うけど。一昨年「芥川賞」をとった下関出身の記者会見で「もらってやるよ!」で有名になった。田中慎弥氏の「共喰い」が早くも文庫化されたので読んだ。「芥川賞」はどちらかと言うと純文学の傾向が強い作品が候補にあがる。そんな由緒正しい?「芥川賞」で物議をかもしたのが村上龍氏が1976年に大学在学中に書かれた「限りなき透明に近いブルー」だ。ドラッグとセックスのサブカルチャーの内容だけど、やはりROCKをこよなく愛したROCK世代の解釈の純文学。俺も感銘を受けた作品だ、そんな「芥川賞」の受賞作「共喰い」も100%好きな世界観じゃないけど、そこには現実の「コンプライアンス」「パワハラ」「セクハラ」「モンハラ」と今の当たり前の世の中の常識はない!それが作者の一人間の表現であり、えぐい世界観でも俺から言わせると「THE DARK SIDE OF THE MOON」の表現が評価されてちゃんと賞を取ってる事に文壇の世界はまだまだ捨てたもんじゃないって「共喰い」を読んで感じた。CDショップに行くより本屋に行った方が無限な芸術が広がってると思う。俺もピックから万年筆に持ち替えようかなって真剣に思うくらいだ。そう!表現は自由だ、人間の奥底に潜む狂気や思いを正直に吐き出すから芸術になるって思う。美しいもの、悲しいもの、愛おしきもの、憎悪や涙、それが人間だって思うから、俺は感情をむき出すしプライドをかざしてくるやつからは俺から去る。

音楽の表現では「思い」や「暮らし方」が音や世界観として出る。そこに未来がないただの繋がりならば時間はもったいないと思う。「表現者」としてね。楽しむ分にはいいと思うけど、けどそんなサークル乗りではサークルのファンしか出来ないと思う。ここがダメだと思ってるのにやってる事はただ楽しんでるだけ、楽しめてればまだいいけど。俺はそんな音楽人生を歩んで来た、今だにまだダメだけど。今週からアルバム「刹那」のリミックスにモードが完璧に切り替わった。曲順から、ドラムの音色、バスドラの音さえもいじくって感覚のイメージで自分に対比してる。曲全体のバランスやイメージ、聞こえ方、こだわり、と上げればきりがないんだけど、一曲一曲バラして向かい合ってる。作家で言うと校正や最後の仕上げだけど、自分の指や頭でオリジナルのファンタジーを作り上げたなら最終的によりもっと遠くへ飛ばしたいって俺は思う。言葉にはできないけどものを創る人間は腹や、頭の中さらけ出してないとダメだと思う。じゃないとそれは商業作家でしかなく芸術ではないと思う。白いキャンヴァスには無限の世界が本当は広がってるはずだ!

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毎年唯一男からもらうヴァレンタインのチョコ。


小学一年からだから今年で4年生になる。そして俺がペンダントでつけてるスマイリーが俺のマークらしく毎年スマイリーのチョコをくれる。なんてかわいらしい素直な思いだろうか。

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REMIXはこんな感じ、一週間で2曲が精一杯かな。


あんたのプライドなんてもう俺は何の関係ないけど、俺のプライドは素のままで自分に対してまだまだ精進したい。

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2013年02月05日

俺にとっての流れ。

2013年2月3日(SUN)に無事DOGDAY流 VOL .4が行われた、感無量である。別に自己満足してる訳ではなく、規模も以前に比べて小さくなったけどステージの雰囲気はどんな場所でどんな規模でも同じである。2009年に俺に関わりのある人たちで何かイベントが提供出来ないかって始まった。発表会でもなく、自己表現の場所。それぞれMUSIC LIFEは違っており今の旬の自分のMUSIC LIFE の場と言うか、しかし音楽を趣味としている人たちは仕事の状況や家庭の状況が日々変わりSOLOであれば独裁で表現出来るんだけど、二人になれば民主主義になり温度差が異なったり、情熱の掛け方が違ったりして中々うまく行かない。でも楽器を趣味ででもやってる人にとってはステージの本番は無くてはならない!空気感が全然違うし、MUSIC LIFEの思いがその空間に音となり旋律となり表情やビートとなり響き渡る。それにはまったく嘘はつけない!それがステージであり本番でありDOGDAY流であると俺は思ってる。

最初は「咲咲」という自分が全身全霊4年間プロデュースして来たユニットの一人「小川敦司」。訳あって去年プロデュースを降りた、咲咲にとってもこの「DOGDAY流」はホームだったはずだけど今回はソロでステージに立ってくれた。俺は嬉しかった、ユニットとなれば先程書いたように民主主義になり何かと意見も食い違ってMUSIC LIFEの行く末のヴィジョンも違って来たりする。敦司にとっても新たな新境地への挑戦だったんだろうって思う、俺も二曲絡んだけど曲も曲だっただけに不思議な気持ちになった。新たな敦司個人としてのMUSIC LIFEはしっかり見えた気がする。もっともっと模索して欲しいってのが正直な俺の意見だけど。次はTANXの田上さん、相方が諸事情で出れない状態でも表現したいって事でアコギもギルドを手に入れ一人で表現するって事に一年費やして来た、その精神は素晴らしいと思う。TANXの相方も見に来てたけど何か感じた事は間違えないだろう。大人の選曲と雰囲気は俺はまだまだ出せないって感じた。そして今までDOGDAY流に出演してしてた人たちも何人か来てくれた、それが俺にとっては一番嬉しいかもしれない。色んな諸事情の民主主義で出れなくなった人たち、けどいつかは出たいと思ってくれてMUSIC LIFEを過ごしてくれるに違いない。このイベント「DOGDAY流」はライフワークだしいつかはZEPPでやりたいって思った。それが俺のMUSIC LIFE だ!

そして打ち上げは朝方まで続き記憶が無くなったり、二日酔続出の飲み会だったけど、俺は今日からはアルバム「刹那」のリミックスに取りかかり全開である。ライブとは真反対の作業だけど感覚を研ぎすまし、ミックスしてる自分に、ここに色んなルーツがあるんだって自分自身思える。何が正解か不正解なのか分からない世の中になってしまったけど、発信してないと不正解も分からないよ。

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咲咲のアツシのファーストソロ。


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TANXの田上さんの実質のソロ。


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俺も二人に数曲参加。


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生まれ変われるならば花になりたい、綺麗に咲いて儚くも散りたい。
posted by usui special at 05:06| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

Borderless.

二月になった。季節的には何の実感もない二月、28日しかない月くらいにしか俺の中を通り過ぎない。ただ受験生なんかは大変なんだろうけど、ここ福岡でも一番寒くなる月だけど市内はほとんど雪は積もらないので冬って感じもしないけど。ヴァレンタインも昔ほど神聖な日でもなくなりお中元やお歳暮みたいになってしまった。そうだこの資本主義物欲至上社会に置いては全てが仕掛けられてる、JUNEブライドは梅雨時期で挙式を上げるカップルが減ったから出来た言葉って聞いた事がある。ファッション業界の流行りも仕掛けられたものだ、だから女子はこぞって同じ格好をしてる。ある意味個性のない平和な我が国「日本」、出る杭は打たれ暗黙の情報操作された芸能ニュースをおりこうさんに信じ、それが巨額のお金に換わるものであればあるほど権力を持ち、おりこうさんな日本人はそれに乗っかる。芸術性や本物や真理でさえ、その素晴らしさに触れ知る事も無く、もはや選択肢も与えられずに消えて行く。真実は隠蔽され日本人の死者の数だけが連日報道され、なぜこんな事になってしまったのかまではTVでは踏み込まない。そして風化して行き被害者の家族やその周辺の方達だけが一生それを胸の十字にぶら下げて生きて行ってる。そしてそんな情報社会で若者は知ってる気になって実際には何も行動に起こしてないのに頭の中だけでプライドは高くなり、社会に出れば「パワハラ」「セクハラ」「コンプライアンス」を楯に「実際に自分のやりたい事とは違いました」と去って行く。心ふるわす出来事、人生が変わってしまうような出会い、影響、感動、尊敬なんてないんだろうな。めんどくさい事には関わらない、ただ軽く楽しくラインで繋がってれば寂しくもなく、なんて言っても傷つかない。面倒くさくなれば通り過ぎて行けばいい。魅力的な若者がいない!これからはアメリカみたいになって何でも訴訟や契約に関して10cmもあるような契約書にサインしないといけなくなるんだろうな。わび、さび、行間を読むというような日本人特有な素晴らしい文化はもはや若者や社会や会社では通用しなくなってる。なんて世知辛い、冒険しようぜもっと!傷ついても人として幅は出来るし、ってか傷つけ!もっと。

やっとアルバム「刹那」の曲順が決まった。何回、嫌何十回聞き直し並び替えた事か、妥協はしたくない。けどこの落としどころが正解かも分からないけど、意外な曲順に落ち着いて何十回か通して毎晩聞いた。今も綴りながら聞いてるけどベストかどうかは聞いてくれる人が決める事なのでベターかなって思う。これは自分しか分からない、しかも変なこだわりかもしれないけど作って月日が経ってるので客観的になれてるってのも良い気がする。ただミックスのいけてないところも沢山感じてまた最初からこの曲順を考えてリミックスを来週からやる予定だ。それと平行してアルバムのアートワークや色んな企みもアイデアが出て来て、それに関わって協力してもらう人たちとの打ち合わせもやる予定だ。「媚薬」から「刹那」とアートに近い表現。人間の心の内を黒い部分も含めてイマジネェーショントリップってテーマで表現して来たけど、「媚薬」に比べて音質もプレイも良くなってると思う。民族音楽も継承してるしクラッシックロックやアンビエント、デジロック、アコギの音も満載で何と言ってもリズム隊が120%強力になってるのでお楽しみに!こんな時代には逆行してる作品だけど、こんな人間が居てもいいんじゃないかな?

「DOGDAY流 VOL .4」が2月3日(SUN)だから日付変わってるので明日に迫って来た。俺も二人の出演者に絡むので、入場無料のフリーライブなので是非遠方からもお越し下さい(笑)くわしくはハートストリングススタジオのHPで!19時スタートですよろしくです。

HEART STRINGS STUDIO HP : http://www.heartstrings-studio.com/


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photo by tomoko.


毎日当たり前のように太陽は沈み、気が付けばもう後ろから追いかけてくる。孤独に俺はそれを見届ける!


posted by usui special at 03:27| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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