今から15年以上前にジュエリーのデザイナーのJohnny(日本人)を元ROCKERSの鶴川さんに紹介された。Johnnyは会社JEWEL STUDIOの社長で当時鶴川さんはその会社で働いてた。「うちの社長がギター習いたいって言ってるんで碓井君教えちゃらん?」ってTELがあった。それからの付き合いで今はもうレッスンはしてないけど彼の作品の紹介映像のバックの作曲の依頼や年に何回かは中洲でロックサミットと題してお付き合いさせてもらってる、音楽やロックには凄く精通しててこだわりも凄い。最初に作曲の依頼を受けた時にはJohnnyの作品に負けないインパクトとロックに精通してる彼の感性を納得させる自信はなかった、それくらいイタリアのVOGUE誌にも紹介されたくらいの彼の作品は素晴らしく俺ら庶民が簡単に買えるような金額でもなく、すべて車が買えるような金額の作品だ。けど挑戦だったけど、それがアルバム「媚薬」の曲達だけどお代だけ出され全て俺の感性に任された、そのお代が「インドのジプシー」?当時の俺は民族音楽やシャケさんに教えてもらった12弦ギターの民族音楽っぽいチューニングに傾倒してたので「やれる!」って思ってその仕事を受けた。それが確か2005年だったと思う、結局その依頼がなかったらソロプロジェクトのDOGDAY AFTERNOONもアルバム「媚薬」も出来てなかったと思う。
その後も年に何度かは気にかけてもらいロックサミットは行われてたけど、Johnnyは拠点を東京に移した。銀座のサロンと博多のサロンを行き来するようになった。それから震災のあった2011年の4月に彼の作品の年代別の作品紹介Vのバックミュージックの依頼を受けた、全十曲の依頼とJohnnyの全作品の資料のもと一年かかって作曲からREC、プレゼン、OKならばマスタリングで作ったのが通販限定で「媚薬」の再発のボーナスCDRとして全てではないけどばらしてつけた。その曲達は完成系は全十曲フルであるので、それを二枚目のアルバムとして漢字シリーズとして「刹那」を作ってる途中でリマスタリングやリミックスの途中で今の新生活になったので、頓挫したままだ。Johnnyはクラシックロックに精通していて特にギタリストには詳しくジミヘンやジミーペイジ、デビットギルモアなんかが好きだし俺もそこら辺はかなり影響受けてるので、自分の個性やJohnnyの好みにあわせて作曲した気がする。全十曲一年かかったけどプレゼンも全て一発OKだったことが自信にも繋がった、十曲もあれば仕事なので産みの苦しみもあったけど9曲目に出来たアルバムのタイトルにしようと思ってる曲をプレゼンした時に「この曲最高です!」って言葉をもらった時には心から嬉しかった。「刹那」は写真とコラボして絶対作りたいって思ってる、Johnnyの世界観から俺のフィルターを通って写真とコラボってアイデアが生まれた。それは動き出してる所だけど俺が新生活になったのでもう少し整ってから制作して完成させるよ!絶対。
新生活になってそんなJohnnyは気にかけてくれてロックサミットが行われた。俺はストレスも含めて飲み過ぎて家と全然違う場所で朝を迎えた、何でこんな所にいるんだって?でも身体がまだ動かないってやっとの思いでタクシーを拾って家路についた。初めての事だったので精神が普通じゃないって事も久々に感じる事が出来た。Johnnyから久々メールが来た、絵を送りたいって内容のメールだった。絵なんて人からプレゼントされた事がなかったけど、たぶん新生活への俺へのJohnnyなりのエールだと思った。アメリカのポップアートのデザイナーのドナルドトップの作品を頂いた。佐川急便が届き梱包を開けた瞬間、、、、なんでか涙があふれてこぼれた、意味は分からないけど、そこにはJohnnyの思いやセンスや色んなものや今後の自分の指南や愛情が溢れてた。やはりセンスやほんとの意味の付き合いや思いやりは共通してる気がする、それはJohnnyやシャケさんに共通してる本音や余裕や本当の言葉を感じる。成功してる人いや違うな成功した人って言うと軽いけど俺なりに学んだし、感覚がフラットで本音だ。心をふるわせてくれる、心をふるわせる事さえも気が付かない時代になってしまったけど。
ジミーペイジがかっこ良くデザインされてる、Johnnyの気持ちに涙がでた。
JEWEL STUDIO 公式 : http://www.jewelstudio.com/japanese/message/index.html
10月はTOKIOに行ってくる、凄く洗練される年になった2013である。
そんなに大事な人とは出会えない事に気付いてるんだろうか?若い連中は。