2013年09月26日

Johnny

誰かの為に働き、誰かの為に社会に適合する事から、自分の為に色んな事を考え今後の計画を立て食べたいものを買い明日の予定を立てる、二日も休みが続くと言葉を発する事も無く全て自分の為に時間や腹の具合を探る。そんな生活も三ヶ月が過ぎた、だいぶんペースや金銭感覚や時間の使い方もあの頃みたいに戻って来た。またA型が炸裂してるのも若い頃とは違う気がする、けどO,AのA型なので乱雑してるとこはある侘しさに押しつぶされそうな夜もあるのでまだまだ感覚は戻ってない感じである。

今から15年以上前にジュエリーのデザイナーのJohnny(日本人)を元ROCKERSの鶴川さんに紹介された。Johnnyは会社JEWEL STUDIOの社長で当時鶴川さんはその会社で働いてた。「うちの社長がギター習いたいって言ってるんで碓井君教えちゃらん?」ってTELがあった。それからの付き合いで今はもうレッスンはしてないけど彼の作品の紹介映像のバックの作曲の依頼や年に何回かは中洲でロックサミットと題してお付き合いさせてもらってる、音楽やロックには凄く精通しててこだわりも凄い。最初に作曲の依頼を受けた時にはJohnnyの作品に負けないインパクトとロックに精通してる彼の感性を納得させる自信はなかった、それくらいイタリアのVOGUE誌にも紹介されたくらいの彼の作品は素晴らしく俺ら庶民が簡単に買えるような金額でもなく、すべて車が買えるような金額の作品だ。けど挑戦だったけど、それがアルバム「媚薬」の曲達だけどお代だけ出され全て俺の感性に任された、そのお代が「インドのジプシー」?当時の俺は民族音楽やシャケさんに教えてもらった12弦ギターの民族音楽っぽいチューニングに傾倒してたので「やれる!」って思ってその仕事を受けた。それが確か2005年だったと思う、結局その依頼がなかったらソロプロジェクトのDOGDAY AFTERNOONもアルバム「媚薬」も出来てなかったと思う。

その後も年に何度かは気にかけてもらいロックサミットは行われてたけど、Johnnyは拠点を東京に移した。銀座のサロンと博多のサロンを行き来するようになった。それから震災のあった2011年の4月に彼の作品の年代別の作品紹介Vのバックミュージックの依頼を受けた、全十曲の依頼とJohnnyの全作品の資料のもと一年かかって作曲からREC、プレゼン、OKならばマスタリングで作ったのが通販限定で「媚薬」の再発のボーナスCDRとして全てではないけどばらしてつけた。その曲達は完成系は全十曲フルであるので、それを二枚目のアルバムとして漢字シリーズとして「刹那」を作ってる途中でリマスタリングやリミックスの途中で今の新生活になったので、頓挫したままだ。Johnnyはクラシックロックに精通していて特にギタリストには詳しくジミヘンやジミーペイジ、デビットギルモアなんかが好きだし俺もそこら辺はかなり影響受けてるので、自分の個性やJohnnyの好みにあわせて作曲した気がする。全十曲一年かかったけどプレゼンも全て一発OKだったことが自信にも繋がった、十曲もあれば仕事なので産みの苦しみもあったけど9曲目に出来たアルバムのタイトルにしようと思ってる曲をプレゼンした時に「この曲最高です!」って言葉をもらった時には心から嬉しかった。「刹那」は写真とコラボして絶対作りたいって思ってる、Johnnyの世界観から俺のフィルターを通って写真とコラボってアイデアが生まれた。それは動き出してる所だけど俺が新生活になったのでもう少し整ってから制作して完成させるよ!絶対。

新生活になってそんなJohnnyは気にかけてくれてロックサミットが行われた。俺はストレスも含めて飲み過ぎて家と全然違う場所で朝を迎えた、何でこんな所にいるんだって?でも身体がまだ動かないってやっとの思いでタクシーを拾って家路についた。初めての事だったので精神が普通じゃないって事も久々に感じる事が出来た。Johnnyから久々メールが来た、絵を送りたいって内容のメールだった。絵なんて人からプレゼントされた事がなかったけど、たぶん新生活への俺へのJohnnyなりのエールだと思った。アメリカのポップアートのデザイナーのドナルドトップの作品を頂いた。佐川急便が届き梱包を開けた瞬間、、、、なんでか涙があふれてこぼれた、意味は分からないけど、そこにはJohnnyの思いやセンスや色んなものや今後の自分の指南や愛情が溢れてた。やはりセンスやほんとの意味の付き合いや思いやりは共通してる気がする、それはJohnnyやシャケさんに共通してる本音や余裕や本当の言葉を感じる。成功してる人いや違うな成功した人って言うと軽いけど俺なりに学んだし、感覚がフラットで本音だ。心をふるわせてくれる、心をふるわせる事さえも気が付かない時代になってしまったけど。

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ジミーペイジがかっこ良くデザインされてる、Johnnyの気持ちに涙がでた。



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10月はTOKIOに行ってくる、凄く洗練される年になった2013である。


そんなに大事な人とは出会えない事に気付いてるんだろうか?若い連中は。

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2013年09月24日

感覚とコンタクト

毎日何かを噛み砕き何かを模索し雲の様に自由にゆっくり浮遊してるようだ。逃げずに自分自身と対峙して本当の自分の心の奥底を模索してる、心のシャッターはまだ閉じたままだけど紛らす事はなぜかしたくないって思う、何故俺はこの場所に戻って来たのか?とか今の俺はある意味精神異常だとおもうけど、客観的に精神異常だって言えるうちは精神異常じゃないんだなって思ったりする。本当の意味で誰かに愛されたいって思ってるわりにシャッターはおろしてるんだから愛されるはずもない。かといって自分から人を愛することはどこかで出来ず、真理が見えなく見せなくなってしまったこの時代はもううんざりしてる自分がいるから俺は今の時代の世捨て人になってしまってる。

タバコはソフトパックに限る、ビニールをはがして必要な5本程度が姿を表す銀色の紙をむしる。ボックスよりは湿気を最小限に抑えてくれる、そして本数が減ってくると箱をくしゃってして湿気が入らないように潰す。メントールは天然物に限る、そしてちゃんとタバコの味とメントールの具合も大事である。メントールは強すぎても嫌だ、フィルター部分は茶色がいい、昔観た映画で出てくるタバコはみんな茶色だった。そんな四の五の並べて色んな事の判断してる事とかを考える。そんな事が自分自身を作ってるしそんな感覚は大丈夫なんだろうか?そんな俺はKOOL mild から新生活になってからはマイルドじゃねぇ〜だろって急に思い立ちKOOLに変えた。別に深い理由はない、ただの今の感覚だ。ツイッターをはじめたのもその時の感覚だ。意味も自分でも分からないけど、曲を作る感覚と同じかもしれない。そんな俺を今はまだ自分自身愛せない、ダメだって思う毎日である。

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1987年に南阿蘇のアスペクタで行われた伝説のROCKイベント「BEAT CHILD」がこの10月に映画で蘇る。当時のそうそうたるバンドが出てる凄いメンツだ俺は行きたかったけど、何でか覚えてないけど行ってない。けどその後に直接シャケさんから色々話はきいた、映画は観に行きたいと思ってる。
BEAT CHILD 公式 HP : http://www.beatchild.jp/intro.html


論理ではなく感覚で生きて行きたい、敵を作ってでも。


時々 今の俺から逃げ出したい時がある
ほんの数秒前の俺に 後悔している
情けないほど 嫌気がさして こぶしを振り上げ
バカげてたなと ひとり はにかみ笑っちまってる

裸になれないもどかしさは俺も同じさ
大人になると人恋しく涙が出ちゃう
やっぱり やっぱり やっぱり 俺もひとりぼっちさ
やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

心の中では凍りつくような寒さが走る
誰かにそっと差しのべて欲しい弱さもある
そいつを手のひらにのせて痛いと泣きわめくより
そんな時こそ一心不乱にやっちまえよ

しょいこんだため息は奴らと対等さ
大人になるとわけもないのに涙が出ちゃう

やっぱり やっぱり やっぱり 俺もひとりぼっちさ
やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

どん底の恥もたくさんあれば うぬぼれもある
矛盾もあれば 勝手さもある 人間だもの
友達や女が泣いて この俺を責めても
涙のわけをわかりたくない わがままさがある

自信がないのは誰でも同じさ
大人になるとささいな事で涙が出ちゃう

やっぱり やっぱり やっぱり 俺もひとりぼっちさ
やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

作詞:長渕剛
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2013年09月19日

風がからみつく

何度目だろう?独りぼっちは。家を飛び出してもまだ同じ事の繰り返し、親父が33才母親が21才で俺は生まれた。今で言う出来ちゃった婚だ、俺が一才の時に離婚して3才まで親父の同僚の夫婦に再婚するまで預けられた。誰が親なのか誰に甘えていいのか分からないまま再婚した継母との家へ連れ返され記憶にはないけど母親だと思って暮らしてた。親父と継母の間に俺が6才の時に弟が出来た、「親志」ちかしと名付けられた腹違いの弟は重度の脳性麻痺で生まれて来た。自分で何も出来ない、食事も言葉も腕にとまった蚊でさえもはらえない状態だ。そこからはこのブログでも書いて来たように、その家では俺は全然だめな子で弟中心の暮しだった。俺は言いたい事やわがままは一切言えないって子供ながらに感じてた、中学生のときに弟の事を作文に書きそれをクラスの全員の前で先生に読まれそれから同級生に気を使われてからは自分からは言わなくなった。俺は親志が大好きだった、ぐずついてる時はそれをほぐす方法も心得ていて話した事はないけど心は通じ合ってたと思うしいつも状態で心を探ってた。何を求めてるのか?どうすれば彼は機嫌が良くなってくれるのか?何に対して不満なのか?いつも探ってた。じゃないと継母の機嫌を損ねると弟への暴力がはじまるから。暴力っていうとひどいけど継母も一人間だからぐずついてる実の息子に腹もたち手を上げてたんだろう、けど俺はそれが耐えられなかった。けど俺は何も彼を助けてあげる事はできなかった、、、。

そこから20才で俺は逃げ出してしまった。大学を辞め、のって来たバンドも辞め、弟中心の自分から俺の自分自身は何だろうって逃亡をした。ここまで読むとなんて冷血人間だ!って思うだろう、そうだ俺は冷血人間だから、今はまた独ぼっちなんだって思う。99年に彼は亡くなった。限界だったし彼自身も辛かったろう、そこから俺は虹になった少年と題して彼が男として経験出来なかった事や酒やタバコや女も知らない事を彼の人生と友に二倍生きて行こうと決めた。彼には申し訳ないと思ってる、逃げ出したんだから。今また独ぼっちになってもこれも何か彼からのメッセージであって、この寂しさも意味のあるものだと思うし俺の人生は俺だけのものでもないっておもうから「虹になった少年」に色々見せないといけないと思ってる。彼の為にもやんちゃはするけどちゃんと暮らして行く。

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今夜はカレーうどんだけどサラダとスープも欠かさず!


色んな事があるけど振り返ると風が吹いてるだけ、って思う。今の今日を大事にしたいね!
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2013年09月15日

失格。


自分の言いたいことを私は何も言わない
自分のやりたいことを私は何もできない
自分の為に泣いても人の為には泣けない
主義・主張を叫んで外を歩く勇気なんかない
ひねもすベッドに寝てるのは病人か赤ん坊
何もかもが嫌になるにはまだまだ若すぎる
誰かの喋る言葉で心なんて弾まない
明るく元気だけが取り柄の女にはなれない
他人の視線ばかり気にしてる人を認めない
社長の意見は必ずしも正しく思えない
月夜にいつも女はキスを待ってる訳じゃない
安いベッドは軋む音がうるさくて気が滅入る
愛してないのに抱かれ他の人を夢見てる
パチンと弾けて落ちたピンクのバラの花びら

一番大切なものはこの貧欲な私
一番厄介なのもそうデタラメな私
好きな人に他に守るものあっても構わない
だけどひとり夜の渋谷で待つのは好きじゃない
梅田 なんば 心斎橋 元町 西ノ宮
あんなに好きだった街ももうとっくに忘れた
チャカ・カーンを気取って歌ってた “Whatcha gonna do for me"
意味も知らずに涙を流した “Whatcha gonna do for me"
沖縄にも住んだことがあると自慢気に話す
強い日差しが残したものは顔中のソバカス
傷ついた傷つけられたと騒いで憂さ晴らし
失恋した友達慰めどこかホッとしてる
あなたは失格! そうはっきり言われたい
生きる資格がないなんて憧れてた生き方
あぁ 赤い夕焼けの町で小さな体を丸めて
叱られても 恥を重ねても まっすぐ歩いていたのに

眠れずにテレビをつけ煙草を吸えばやるせない
ひどい仕打ちに泣いたとしても夜はゲラゲラテレビ漬け
趣味は何ですかと聞かれて旅行などと答え
外国にも何度かなんて格好つけて見せる
姑息な笑顔浮かべて指先を噛んでいたい
約束を踏み付けても粋な女気取りたい
車にはねられた人を見過ごしたことがあるかい ?
ふしあわせな人を見て笑ったことがないかい ?
父親な若い女いても私は構わない
母親に別の許婚の話を聞きたい
もっときれいになってもっと上手に遊びたい
もっとまじめになってもっとたくさん学びたい
たったこれっぽっちの生きざまをひとり振り返り
四の五の理屈を言ってる私を愛したい


Lyrics by 橘いずみ


新生活になって忘れてた事を思い出した。二日も休みだと約60時間くらい言葉を発しない事が当たり前が訪れる。7、8月は精神が疲れてたから、そんな事気が付かなかったけど、、、。若い頃は平気でそんな時は友達や女達に助けられて迷惑も沢山かけて来たけど、もうそんな年でもないし友達も多い方でもなく甘えられる人もいる訳でもない。俺はそんなときになじみの店に紛らわす為に一人で飲みに行ったりもしない。そこでこの度Twitterを始めた。ほんとのただのつぶやき、フォローや返信なんか期待してる訳ではない、ただこのブログでの戯言の日常番で感じた事や起こった事をつぶやいてるよ。このブログには掲載してない写真とか、その瞬間の思いや出来事をつぶやこうって思ってる。Twitterやってる人は「usui special」で検索してみてね。

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KISS@BUDOUKANのチケットが届いた、むちゃくちゃいい席ではないけど全体を観やすそうだ


そう今の俺は失格だけど本音をつぶやくよ。
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2013年09月11日

きっと、ここが現在地。

侘しさに押しつぶされそうな夜がある、理由なんてない。今日は少し体調を崩しかけて仕事を休ませてもらった、一日家にいたけど何もしてないし誰とも一言もしゃべってない。自由と言う孤独をまだ羽を伸ばして楽しめない俺がいる、理由なんてない。かと言って紛らす事もしたくないしだらしなく生活はしたくないって思う、今は流されてたどり着く場所に漂流してから今後を考えたいって気持ちである。楽園に漂着するのか孤島に漂着するのかは分からないけど漂着して周りを見渡して目に見えるもので判断してその場所から暮らして造り上げ仲間を作り新たな繋がりを作り自分のスタイルをもっと築き磨いて自由と言う孤独を満喫出来たらいいなって気持ちである。

咲咲という二人組を約5年間プロデュースしてアルバム一枚をアレンジからRECにマスタリングまでしたけど、ある事情で降りて約一年が経った。そして俺からしたら謎の男ミスターXが彼らの前に出現して自分のバンドに誘い結果的には咲咲は解散した。ミスターXの出現は彼らにとっては結果的にはよかったのかもしれない、結果的には俺と繋がってる間が咲咲と言うユニットの二人の潤滑油であって潤滑油がなくなった二人には俺にも分からない微妙な距離感やエゴやプライドや方向性なんかのずれが出来てしまったんだろう、それがミスターXの出現によりあからざまになったように思う。結局二人ともそのバンドは辞めた、俺にも咲咲に対しての思いと言うのがあったからキツいと思ったけど言ってやった、「結局俺から離れて何にも残せんかったね」って。けどアツシの方は俺がプロデュースを降りてもずっとレッスンは続けてきた、そしてバンドを辞めたと先日聞いた。バンドの活動や近況はあえて俺からは聞かなかったけど、先週の土曜日が休みでどうしても寿司が食べたくなりアツシを誘って食べに行った、金のない俺たちはもちろん回ってるやつだけどね。その後俺の部屋で家飲み、最近はレッスン後焼き肉行ってその後は家飲みが通例となってる。そこで急にボソッと「俺バンド辞めました」って言ってきた、簡単に言えばミスターXとの方向性の違いみたいだけど、アツシは自分の日常を自分の言葉で曲にして唄いたいとソロ活動宣言をした。プロデュースって言葉はもう使いたくないけど、それに対して俺は120%協力するよって言った。バンドアレンジ考えたりRECしたりアツシの為にギターやベース弾いたりしてバックアップしたいと思ったしミュージックライフを共に今後とも過ごしたいし今まで通りに音楽だけではなく色んな価値観や生活や女の事やくだらないことを話して共有したいって思う。俺に出来る事は大してないけど俺の事を信頼してくれてる事は嬉しく思った。

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アツシ、もう5年の付き合いになる。


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部屋飲みでかかせないポテチ!ってかアツシは必ず選ぶ、ちなみに寿司で腹いっぱいである。


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秋がもうすぐだ、俺の大好きな季節。ギターの鳴りも良くなる。



色々この一年巡った。俺もアツシもきっと今、ここが現在地だろう。楽園にたどり着きたい。


立ち止まる、振り返る、この場所で生きてる。
posted by usui special at 02:10| 福岡 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月07日

暗黙の了解

台風は二回とも低気圧にかわり大雨と共に去って行った。福岡は水不足だったので解消され昨年のような土砂災害もなく、それとともに秋の空気を運んでくれた。っていってもまだ30℃近くはあるんだけど、今年の夏の猛暑に身体が慣れてるのか夜とかはチャリをこいでると長袖でちょうどいい。新生活になり夜も深まると最近ではTVもうるさく感じSNSなどやってない俺はまやかしの繋がりで寂しさを紛らす事は嫌いで、むやみに意味のないコミュニケーションやメールをする訳でもなく静寂の中過ごしてる。この先週くらいから変わった空気や気温でやっとで現実に生きてると言うか逆に言うとこの2ヶ月間の記憶がほとんどない。何をしたとかいつ誰と会ったとか細かくは覚えてないくらいに精神は疲れ果ててた。食欲も猛暑の影響でほとんどなく一日一食だった、夜はしっかり食べたけど、先週くらいからじょじょに生活のペースも出来て来て毎月のお金のやりくりも見えて来て食欲も戻って来た、幸いにして身体だけは病気もせずに風邪もひかずに元気に過ごせた。

シンプルに自分の世界観で暮らすようになると自分の周りの環境や繋がり方や立ち振る舞い方や接し方が歪んでる事に苛立ちを以前より覚える。悪い言い方すれば「しれ〜っと」して流され、必要以上に人には入って行かず、また入って来てもらってもこまる要するにただの仕事上での間なのか?知り合いなのか?友達なのか?それ以上なのか?全くもって分からないくらいに周りの何かと少しでも絡んでる人たちの心内が見えないし見せない、今の時代何言ってんの?って突っ込まれるかもしれないかもけど、人生はたして何人の人間と知り合えて、その中で気が合ったり気になったり深い話が出来たり好きになったり出来るだろうか?俺は何千人と付き合って恋愛して来たぜ!って話は聞いた事もないし、親友と呼ばれる人間が逆に何百人もいるって言う人のほうが信頼出来ないくらい半径の狭い中で俺たちは暮らしてる。暗黙の了解の中つながりただ、、、、

通り過ぎて行ってるだけ。


JUMBOが東京へ旅立ったのがお盆の8月14日だった。彼とも10年くらい付き合いがあり俺のSOLOのDOGDAY AFTERNOONも彼のお陰で何とかライブが出来た気がする。前はアルコールもほとんど飲まなかったけど今ではバーボンにラム酒などたしなむようになった(彼曰く俺がきっかけだそうだ)よく飲みにも行ったしバーとかにも行って俺が好んで飲んでたラム酒のロンサカパーでハマったそうだ。色んな話もした、東京へは随分前から行った方が良いよって言って来た、ギターもうまいしまだ若いしキャラもいいし仲間も東京には沢山いる。俺も20代の頃あるメジャーのギタリストの人に東京行ったら?って言われた事があるけど、その頃は自分の作品も無く、もっと東京へいくにはハードルも高い時代だったし自信もなかった。けど今の時代は何でもありだし可能性や本物の多い東京のほうが成功する確率は高いと思う。そんな彼も仕事で月に一度は福岡に帰ってくる、その第一弾が先日あり丁寧にも「夜は都合悪いんですが、飛行機が15時前くらいに着くので碓井さんの今日のレッスン前にでもお茶しませんか?」何だかとてつもなく嬉しかった、約三週間ぶりの再会(笑)気持ちや行動を目の前で感じるって事は凄く大事だと思ったし、それは先輩後輩、男女関係なく大切な事だと痛感した。俺はそんな大切な人が2、3人くらいいればこのロクデナシの人生幸せだと思った。

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JUMBO FROM TOKYO まだ生活は落ち着いてないみたいだ。


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基本的にはあまり食べないんだけど、あまりにも甘いものを口に入れてないなって思い久々ティラミスを食べたけど旨かった!


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KISSの武道館のチケットが届いた!二階席だけど二列目で正面より少し右よりでアリーナの後ろより全然全体を見下ろせて逆に良かった。


しれっとした暗黙の了解で暮らしてると多分人生の半分以上は喜怒哀楽の部分で損してしまうだろう。


崩れ落ちる前に崩せ!出来上がるのを待たずに創れ!
posted by usui special at 01:52| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月04日

BRAND NEW DAYS の今日。

昨日はDVDの映画を観て夜更かししたから目覚ましは14時にセットした、だいたい新生活になってからは夜22時からのスタジオの仕事のない週(だいたい隔週である)はDVDの映画を一週間分3本借りて夜観るのが通例となってる。昔観たやつを見返したりタイトル借り、ジャケ借りしたり8月の終戦記念日近辺は戦争ものも観た。しかし今日は12時前にはぱっと珍しく目が覚め、二度寝しようかどうしようかと贅沢な選択をベッドの中でモゾモゾやって「よし!起きよう」で起きた。まず台所へ向かい冷蔵庫をあけ毎月1ダース届けてもらってる鹿児島の「財宝温泉」という水を飲む。そしてベランダに出て小さなキャンプ用の椅子に座り季節や天気や温度や湿度を感じながら「KOOL」を燻らせる。そして部屋に戻りまたすかさず台所へ行き煮出して冷やしてる「ルイボスティー」を注ぎビタミン剤を流し込む、そしてTVを付けソファーでうだうだしながら今日のスケジュールチェック、今日は小倉の日だったので何時に家を出てとか買い足さないいけないものとかをスマフォのリマインダーに打ち込む、そしてまた台所へ向かいアイスコーヒーを注ぎソファーでうだうだしながら、リビングの床の汚れ具合が気になる(床のフローリングが白っぽいので落ちている髪の毛や埃が目立つ、そして顔を洗いアイスコーヒーを飲み干すまでが起きてから40分くらいかな?

そしてまたベランダで「KOOL」その後また台所へ行き飲むヨーグルトを一杯のみ冷蔵庫をあさって昼飯を考える。そしてまたソファーでうだうだしながら、掃除機をかけるかモップで済ますか考えながらうだうだ。そこまでで起きて2時間。そう俺は行動を始めるまでに2時間はこんな時間が毎日必要である。「よし!掃除機をかけよう」こだわりで選んだエレクトロラクスのコードレスの掃除機をまんべんなくかけた。そして昨晩の洗い物が残ってるので台所で洗う、と同時に洗濯物の溜り具合をチェックする。今晩は洗濯だな!(うちは外に干せないので室内乾燥のついてる浴室でシャワーを浴びた後に風呂に干すようにしてる。そこで「KOOL」タイム。ここまでで3時間かな?やっとで昼飯に取りかかるチャチャっと今日は。

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海老ピラフとハマってるもずく酢。夏のクソ暑い昼は食欲が無くこればっか食べてた。


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ちなみにこだわりの掃除機、色はチョコレートブラウン。


食後は最近は必ず野菜ジュースを一杯飲んでから身支度をする。そしていつもならチャリで10分くらいで博多駅に着くんだけど、ここんとこ博多は大雨や長雨続きでしかたなくバスで博多駅へ17時台の電車に乗ればいいんだけど今日は早めに博多駅へ到着。目的は10月のKISSの武道館ライブへの飛行機チケットとホテルの予約を旅行代理店へ行った。飛行機も朝が弱い俺には快適な16時台という時間が取れ、ホテルは新宿にある「イビス東京」が二拍で取れ頭金を入れいざ小倉へ。

18時半頃小倉駅に到着して、まず向かったのは「コレット」に入ってるLOFTだ。台所のシンクをあらう荒めのスポンジとスポンジ置きをこれまたこだわりで選んだ、新生活に入って今までは気にする事のなかったキッチンコーナーやお掃除コーナーやお風呂コーナーばかり品定めしてる。お金がないので少しずつ少しずつ気に入ったものを集めてる状態かな。そしてプラグインで仕事が終わり小倉駅へ向かってるとスマフォのリマインダーのお知らせ音が鳴る。開くと昼間に入れておいた買ってかえるものが出て来た「電球、飲むヨーグルト、もずく酢」博多へ新幹線で戻って来たのが21時40分、やばい!ヨドバシカメラは22時までだ、ダッシュしてお目当ての電球コーナーへ、玄関とトイレの最初からついてた白熱灯がずっと明るすぎると感じててシャンデリア用の25Wの透明の白熱灯に変えたら良い感じ!基本的にくらい中暮らすのが好きである。

帰りはバスには乗らずに雨の中歩いて帰りローソンでヨーグルトともずく酢と「KOOL」を買って帰って来た。時刻は22時過ぎ、取りあえずベランダで「KOOL」。手を洗い部屋着に着替えてちょっとソファーでウダウダ、電球を早速取り替え、洗濯機を回す。もちろん洗濯ネットも使ってるよ!LOFTで買って来たスポンジで早速シンクを磨きスポンジ置きをセット、さてと晩飯!冷蔵庫をあさる。

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今夜はスパゲッティーナポリタンとパンプキンスープ、そして最近これもハマってる、ある焼肉店でメガ盛りキャベツの千切りってのがあって特製のたれをかけると旨い!これをヒントに阪急でこだわりの「ゆずポン酢」を買ったので、それをかけてマヨネーズとブラックペッパー!旨い。あっ、赤みがかったお茶が「ルイボスティー」だよ。


そしてシャワーを浴びて浴室に洗濯物を干して「浴室乾燥」3時間にセットすれば洗濯物も乾くし浴室のカビ防止にもなる。ここにきてA型が炸裂してる気がするけど、腐る訳でもなく、そう言う事から少しずつ自分の世界観で毎日やこだわりや無理無く「城」を作り上げて行こうと思う。

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これが例の寸足らずのカーテン。


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人生どんな出会いや別れがあるかわからない、けどこんな毎日の積み重ねが自分自身の人生を創りだしてるんだろうな。


このBANDは40年普遍的に夢を与え続けてる、素晴らしいなぁ。

posted by usui special at 03:13| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月02日

寸足らずのカーテン

随分久しぶりにブログを更新する、新しい人生、生活が始まり二ヶ月が過ぎた。色んな心配の声やメールどうもありがとう。初めて会った人にオンラインレッスンやブログで知ってますって言われたりするとネットの世界は凄いなって思うけど、俺にはレスポンスの早いSNSは必要ないって思ってるから、つぶやいたり、顔の本や線はやらない。必要な気になる情報や必要な本当の繋がりだけで良い、ってこんなやつだから独ぼっちになるんだろうなって思うけど、心は子供の頃から独ぼっちだったから独ぼっちは慣れてる。今も静寂の独ぼっちの中書いてる、復活すると言いながら随分間があいて申し訳ない。

この二ヶ月、いや半年、一年は人生に於いても1、2を争うくらいに精神が疲れ果て、仕事的にも中途半端な状態が一気に二つ三つ押し寄せて、その答えが今この状態のこの時間にあるんだってやっと何となく感じ取れて来た。まだ客観的には状況は把握出来てないし(自分の心も含めて)ペースもつかめてないし毎日の日常があの頃から急にタイムスリップして途中の記憶が無くなり今の状態にあるようにも思える。双六でいうとこの振り出しにもどるが出た感じと言うか、けどあの頃は若く根拠のない夢にあふれ、友達にも平気で寂しさの迷惑もかけ、女の皆様にも沢山助けられたし金もなく、でも若さがあればどんな挑戦でも出来てどんなつらいバイトでも出来た。今の状況はもっと悪いかもしれないなぁ、金は相変わらず無く誰かに頼る年でもなくなり、ただ一人きりで毎日を乗り切ってる気がする。夢すらまだ観れない、ただ毎日俺に与えられたこの世の業を無意識にこなしてるだけで未来は何一つ見えない宙ぶらりんの状態だけど、虹になった少年と生きてる俺にとっては彼の苦悩(本人は苦悩なんて気が付いてなかったろうけど)に比べればタバコは吸える酒は飲める旨いものは喰える女は抱けるだけでも幸せなんだって根底があるから、このロクデナシの素晴らしき世界で虫の息でも生きてやるって思う!これが俺に課せられた人生の業だろう。だよね?ばぁちゃん?

今は自分の風体や醸し出してる雰囲気や言葉(こればっかりは俺自身も分からない間に育った環境なんかで出来上がったものだろう)が鼻についたり家族になれなかったり、でも俺にももう分からないよ。何も計算もしてないし、自分の価値観で相手の事思って行動したり発したりする言葉さえも人をむかつかせたりプライドをかざされたりするって事は何十年も前から分かってた『つもり』だったけど所詮『つもり』だった事は分かった。今は誰とも深く接したくない、深くなりたくない、甘えさせてくれと思ってる人にも甘えない。ただ「碓井」という俺の変えようもない脈々と流れてどくどくうねってるDNAの血を背負い人生を一人全うさせたいと思う。ご先祖様も親も恨んではない、ただ気が付けば俺はそう言う血で生まれて来て、そう言う環境で育ったって言う事、それは選べないしみんなもそうだろ?受け入れる事しか出来ないし、そんな血の人間はそんな血の元で生きてゆかなければいけないって事も分かった。

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12才のときこの人たちによって今の色んな意味で人生が出来上がった気がする、もう60才も超えてるけど、今だにあの頃と同じファンタジーを見せてくれる。もう最後だと思うので「どうもありがとうございました」の意味も含めて初来日と同じ「日本武道館」に行ってくる。そのとき初めて近くの靖国神社も日本人として「ありがとうございました、安らかにお眠りください」とお参りに行くつもりだ。

しかし金がない、、、東京まで行けるのか?でも借金してでもこれは俺の人生で行わないといけない業だと思う。

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今の部屋。カーテンを買う金がなくて以前住んでた家のカーテンを吊るしてる、サイズは合ってないけど自分への次のステップへの戒めにもあえて吊るしておこう。

俺はドフトエスキーのラスコールニコフにもならない、カミュのムルソーにもならない、サリンジャーのホールデン・コールフィールドにもならない!リチャードバックの

ジョナサンでいつまでもありたい。
posted by usui special at 02:12| 福岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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