2013年10月29日

リスタートそしてTOKYO.

心の血液があるとするならば入れ替えたいってここ数ヶ月思ってた。考えてみれば身体の細胞も退化していくのならば心の細胞も退化してるんだろうか?意欲とか行動力は心の体力の方が強いと思うけど、恋をすれば一気に心は若返り道に咲く植栽でさえ普段は気が付かなかった感動を覚える。絶望って崖っぷちがあれば立ってみるといい、その下に見える恐怖を感じればいい、けど中々その崖っぷちまでは行かなくてやりすごしてると毎日は何事も無く通り過ぎて行くけど、逆の感動や歓喜や希望溢れる事の振り幅も狭い気がする。毎日は普段通りに訪れ去って行き何事も無くプロ野球の結果が気になりほろ酔いで気分よく床につく。そんな当たり前の毎日のプラスαがその人の心の血液を循環させてる気がする。音楽聞いて何か思ったり本読んで何か思ったり映画みて何か思ったり、その積み重ねがその人の人格を心から作ってる気がする。過去の賢者が言った言葉を代用して言うつもりはない自分の今の感覚で発信したいね、それが避難されても。今も過去の自分のアルバム「媚薬」をあえて聞きながら書いてる、それはあえてじゃなくそんな状況に今の心があるから、決して戒めでもなくおごりでもなく今の俺の心の状態で選択しただけ、でもそんな数年前の自分に接すると今の自分は色んな感情やダメ出しやエールなど心は躍動する。過去の自分を知る事で未来を創造出来る仕事はある意味感謝しないといけないのかもしれない。

TOKYOへ行って来た。8年ぶりだ、20代の頃は昔一緒にバンドやってた友がメジャーにいた事もあって年に一度は一週間くらい行ってたけど、ここHAKATAもTOKYOと変わらないくらいに何でもあるし都会になってしまった、ので高層ビル群をみて日本の中心なんだって思うくらいだけど「直結」具合はちがう成功すれば全国区になるのがやはりTOKYO。カルチャーショックはないけどこの場所で足跡を残す事は大変だなって事は20代の頃とは変わらなかった。今回の目的は前にも書いたけど音楽やギターに目覚めるきっかけになった「KISS」の武道館ライブを観に行く事だ、せっかく行くのだから誰かにアポとって観光してとかはいっさいしないで武道館と靖国神社だけが目的だった。ただ自分のソロプロジェクト「DOGDAY AFTERNOON」を手伝ってくれた若手ミュージシャンとは再会したいと思って渋谷で待ち合わせた、結論から言うとTOKYOの感じ方が変わってた(自分自身)何処に住んでようが最初に書いた日常の中でもがいてる、ただTOKYOはそれが全国区に直結してて、同じ吹きだまりであがくならばTOKYOの方が厳しくも正当に判断してくれると思った。そして俺の人生のリスタートがきれた気がする。心の血液に新たな息吹が吹き込まれた。

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飛行機は唯一地球を感じれると思う美しい。


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ベタに渋谷はハチ公前であえて待ち合わせ。


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DOGDAYSのJUMBOとKEISUKEとの再会といっても今年は博多で会ってる、でも俺からしたらDOGDAYS in 渋谷は不思議な気持ちだった。


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新宿の二泊したHOTEL


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いよいよKISSの武道館当日に俺にとっては早起きしてJUMBOの拠点の三茶でこれぞTOKYOという中華そばを食べてJUMBO宅へ。


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三茶にある忘れたけど高層ビルからの神奈川方面の風景。


それから武道館とその前にある靖国神社にJUMBOと行った。KISSの武道館ライブと同じくらいの位置で靖国神社に日本人として参拝するって目的があった。

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そのすぐ横にはこんな記念館もあるにびっくりした。

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特攻隊員たちが「靖国の桜の木で会おう!」ってた桜がこれじゃないかな?何か慎ましい気持ちになった。

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そして今回のTOKYOへわざわざ来た理由の本命は小学生の時に洗礼を受け今こうなってる事への感謝を込めて武道館へ!いろんな思いや自分の状況で四回は泣きそうになった。KISS @ BUDOKAN 23/10/2013.


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俺の人生を狂わせ、導いてくれたBAND very special THANKS .


何処で暮らそうが才能あふれてる人たちは沢山いると思う、ただTOKYOが色んな意味でそれに直結して早く事が進むってことも分かったし、それはある意味ドライにビジネスなんだなってことも感じた、逆にそれがビジネスなんだ。ビジネス?ロックはそれのせめぎ合いが何十年も続いてる。芸術や表現って何なんだろう?

そんな些細な毎日の事が刺激になり足を運んで心の血が出来て行ってる。

posted by usui special at 04:34| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月22日

いざ!TOKYO

明日の22日から3日間TOKYOへ行ってくる。約8年ぶりだ、8年前は友人の結婚式や従兄弟の所や富士山の麓に移り住んだSHAKEさんのところまで行って来た。もう8年も経つのか?その間にアルバム「媚薬」をつくりソロプロジェクトとしてDOGDAY AFTERNOONを若手と友にライブを成功出来た。そしてここ二年くらいの表現の「刹那」に取り組んでる時に新生活がはじまり頓挫したままになってる、けど今回のTOKYOへ行く目的、このブログを覗いてくれてる人たちは知ってると思うけど、KISSと言うアメリカのBANDで音楽に目覚めGUITARを手にし今だに音楽で暮らして行ってる。あの頃からの俺からは想像もできない現在だと思うし、またまだまだ進化の余地や表現したいとかアーティストとして深めたい事で毎日が回ってる事に色んな人に感謝だ。求められるからGUITARを弾く、求められるから曲を作る、求められるから写真の被写体になる。凄く幸せな事だけど平凡なサラリーの方が当たり前に家族が増えて行き車が大きくなり平凡な毎日をKEEPするために何かを削ってるんだろうけど安定と言う代償を受ける、今はそんな昔のような生涯勤務伝説も無くなって大変なんだろうけど。

波瀾万丈じゃないと曲も出来ないし被写体になれるような雰囲気も出来ないんだろう、だから今の暮しの状態があるんだってあらためて思うけど、振り出しに戻るだけど、確実に心や技術や振る舞いや判断は成長してる気がする今後も突き進むしかない!研ぎすまされてく嗅覚とセンスと技術で!そんなKISSも高齢になりメインの二人は60超え、あのステージングが良く出来るなって思うけど多分最後だと思うので「ありがとうございました」って心で言ってくる「あなた達の存在で自分の人生や今の暮しがあります」って武道館で言ってくる。武道館でみるのは二度目だけど、やっぱ武道館ってのも感慨深い。

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TOKYOは盛り上がってそうだ。


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個人的にはあの日から16年が過ぎた。


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おとまりセット!女か!準備万端。


色んな思いを胸に!取りあえず明日は渋谷で20時だ!



posted by usui special at 00:09| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月16日

少しかすんでた満天の星空。

ケータイが鳴った、今の時代大切な用件もメールで済ませLINEなんかで軽く言いたい事を言って楽しむツールで無料電話機能難を搭載してるアプリでつながってるからあまり電話として携帯が鳴る事は少なくなった。ので俺も起きたてだったので寝ぼけ眼でケータイを見ると登録されてない番号が表示されてた。セールスか?って羅列してる数字を眺めた、ん?二度見した。そこには見覚えのある数字が並んでた、「実家!」まぎれも無く二十歳で家出するまで過ごし10年前親子縁を完全に切ってしまった「実家」の番号が表示されてる。動揺した、その時は心のちっぽけな俺は出る事は出来なかった、けど動揺は続いた。結構長くコールは続いたが出る勇気はなかった、もう十年もお互い連絡も取り合ってなくお互い縁をきった親父とおかんのいる家の電話番号。それから落ち着かせる為にベランダで二度タバコを燻らせたコーヒーも入れ直して色んな考えが頭をよぎった、高齢の親父とおかん。まさか、、、、その間30分考えこれは今のお互いの立場や状況や見栄やプライドではなくコールバックしないといけないんじゃないか、いち人として。

意を決してコールバックした。聞き覚えのあるおかんの声が、約10年ぶりである「ゆうちゃん?嫌、実は、、、」その先は聞きたくなかったけど「うん」「元気しちょるん?」俺は「うん」。要するに内容は自分たちも高齢になり財産分与の事なんかをちゃんと話しあいたいとの事だった、俺は「俺にはそんな資格はない」と色々押し問答があり俺は「親父に変わって」そして親父とあ〜でもないこ〜でもないと10年前と何も変わらない親子であっても男同士のプライドがぶつかりあう。そして今の俺の新生活、一人のボッチ新生活の事を俺の従兄弟に聞いたと言われた。遺産相続を俺が拒否する事もそれはそれで容認した、大した遺産でもない事も言ってたけど、そうなれば小さな駅前の土地は街のものになるけど俺が拒めばそれはそれで承諾するだの、俺の実印が必要だの、何が必要だの実務的な話になってきた。それからはそれ以前の10年間のお互いの思いや今の俺の暮しや俺の価値観「碓井」への想い、以前綴った「ばぁちゃん」への思いやサインなんかを話してたら時間を忘れ一時間くらい話してた。

そこでふと俺は何かに導かれるように今日は休みだし明日は小倉で仕事だから「じゃあ今から帰るよ、18時か19時くらいには着くと思う」で電話を切った。それから俺は簡単な身支度を済ませ何も心の準備が出来てなかったけど無意識に阪急の地下で焼酎と有名なバームクーヘンを無意識に買い新幹線のホームに立ってた、三連休の最終日でホームはごった返してたけど、心は無の状態で今からの状況がいいのか悪いのかも分からず、気が付いたら玄関のチャイムを鳴らしてた、このチャイムにも色んな思い出が詰まってる、高校生の時に閉め出された時にこのチャイムを鳴らした、反応が無く庭の方に行くと俺の部屋が引っ越した後の様に何も無くなってた光景を思い出す、反応が遅い、、、すると勝手口のほうが空き「ゆうちゃんかい?」とおかんが現れ勝手口の方へ促された。10年ぶりの再会に俺は緊張してた、変わりない勝手口で靴を脱ぎ「ただいま」おやじは「おう」何事もなかったかのように晩飯の準備を始めるおかん「いつもはねぇもう17時くらいに食べるんやけどあんたが来るっちゅうけね待っちょうたんよ」とあの頃と変わらない台所で料理を始めるおかん「ビールは外の冷蔵庫に入っちょるけね〜」たしか親父は身体を壊して療養中だと従兄弟に聞いてた「親父飲む?」「おう、ちいさいの貰おうかのぉ」

俺はまずは仏壇に線香とバームクーヘンを備えたかった。仏壇にお供え物を起きローソクに火をつけて線香に火を灯しまいった。そして何事もなかったかの様に飯を食いおかんは俺の子供の頃の話を笑顔ではなし「あんたこうやったきね〜」遺産相続の話も何も出ず俺に今の状態に至るまでの話を聞いてた。結局俺だけ阪急で買ったちょっと高めな焼酎をのみ昔話に花が咲いた、けど俺の心は不安定だった、実の母親にあった事、従兄弟の事、今の俺の生活の状態になったこと、俺が思う全て俺が一才半で無くなったばぁちゃんが全てしむけてる事、虹になった少年と俺との人生の事なんかを話した。俺の10年前の気持ちも伝えたし親父の気持ちも聞いた、「おやじ、明日墓参り三人で行こうや」って俺が切り出した。結論から言うと俺はばぁちゃんが碓井の自分の息子含め孫を全て取りまとめてる気がした、いまはそんな何十年も不義理して来た息子達を偶然にも集めて同じお墓にこの1、2年で入ってる、東京や静岡や色んなとこからこの場所に帰らせてる気がした。俺はそんなばぁちゃんからすれば長男の子だ、これもきっと去年の墓参りから続くばぁちゃんのいい意味での策略何だろうって気がした。

気が付けばいつもは21時には寝てるおやじとおかんは0時を過ぎてた。俺はその日なにかまだ急に俺が帰って来た事の心の落としどころが見つからず結局布団に入ったものの寝れなかった、いつかまた同じ事を繰り返し親父達の考えに反旗をひるがえし、お互いにプライドかざし俺の心は窮屈になり何であのとき帰ってしまったんだろうって事を盾に取られ同じ事を繰り返すんではないだろうか?とか、この何十年も培って来た色んな事を思い出して寝れなかった。次の朝に俺からしたら早朝の9時には起き出した。親父には正直な今の俺の心の状態は話しておきたかった「今の生活になってまだ自分のペースも出来てないし押しつぶされそうな夜」「今日帰って来た事のこの10年のお互いの思いや事が心の整理も出来てない事」「けど電話もらって今日帰らないと、無視する事も出来たけど今時の俺の周りの一連の繋がりにうんざりしてた事とかも実はここにあって、良い事なのか失礼な事何かも心の整理がつかずに、これで帰らないともう帰るタイミングはないんじゃないかと思い帰って来たし一連の全てばぁちゃんがしむけて「碓井」をまとめてる」そんな事も話して午前中に墓参りに行った。当初かぁちゃんは遠慮してたけどおやじが促して小雨の中三人でお墓参りをした。ばぁちゃん凄いって思った。

15時代の電車で仕事に小倉へ向かう事を告げると墓参りの後帰って来て三人で昼飯を食べながらマカロニウエスタンの映画をみた。そうだ今だに親父は映画好きでWOWOWにも入ってる、おかんのみそ汁を10年ぶりくらいに味わった、あの頃と同じ味がしたけどおやじは文句をいってたけど心のこもった味だった。相変わらずおやじの前に登場する時は今だに俺は気にする事がある。目は死んでないか?ファションセンスはだ丈夫か?親父をうならせる容姿や表情をしてるか?ファションは足元からのセンスにみあった靴履いてるか?そんな親父の友達が俺をネットでみつけたらしい、って話になった時に俺のみんながみてるブログのアーティスト写真を見せて「これのこと?」って言ったらおやじは「おお、これはいい写真や現像しておくってくれ」って言われた。俺はただ照れるしかなかったけど。

時間が来た、この一日、一晩の事の終わりだ。この10年の空白やお互いの今の状態、駅まで車で送ってくれるって言って準備を始めたおやじの目を盗んでおかんが俺に綺麗に四つ折りされたお札を握らせる、俺はもういい年のおっさんである「いいよっいらん」、「ちゃんとおいしい晩ご飯食べなさい」、それから車の助手席に乗り込んでバックで15メートルくらい敷地内を下がるんだけど、今までは「じゃあおかんも健康でね!」なんて勝手口のなかで別れてたのが今回は表まで出て来てバックする間ずっと、それは小さい子供の今後を心配するかのような母親の顔でずっとバックする車の俺たちをみてる、初めての事だそんな顔。フロントガラス越しにあの頃から10年ふけたおかんが心配そうな何とも言えない表情でずっとみてる、俺は手を振った、手をふりかえすおかん、その表情は何とも言えずまた俺は手を振った、また手を振るおかん、結局三回手を振ったけど今までみた事のない心配そうなおかんの顔、今思い返すだけでも何の飾りや計算もない女のそれは美しい立ち姿と表情だった。

駅に着いた。駅前の自分たちの土地をみて説明されたけど境界線だのなんだの話半分くらいおかんの残像が残ってた、ロータリーでシートベルトを外すとおやじが「さみしくて辛い時にはいつでもちょっとでも帰ってこい、せっかく親子で生まれて来ていがみ合ってどうするかちゃ、金が無くなったらおかあさんに電話して助けてもらえ」

俺が今回一人になって新生活を送ってる事に対して、またこんな仕事してる事に対しても昔みたいに上から認めないおやじとおかんではなかった、アーティスト写真と一緒にCDも送ろうって決めた。車の中では我慢出来たけど、小さな変わってしまった駅のホームではおかんのさっきの顔とおやじの言葉に最近コンクリートでぬり固めていた心の部分が壊れて涙が止まらなかった。

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到着した時の夜の始まりの風景。


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昔は毎日通ってた線路の下の小さなトンネル。


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帰る時の反対側のホームと列車。


夜、庭でタバコを燻らせてるときみた満天の星空は俺だけかすんで見えたのかもしれない。


posted by usui special at 04:43| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月12日

10 年の彼方へ

86年の俺が今の俺をみたらきっと片目をつぶって笑いながら親指を上に立ててくれるだろう、86年の俺が96年の俺をみたら笑顔で片目をつぶり両親指を立ててくれるだろう、86年の俺が06年の俺をみたら涙を浮かべた顔で片目をつぶり親指を立ててくれるだろう。それくらい10年はあっという間で色んな事があるけど振り返ると様々な事が実はあっており、顔つきも変わり状況も変わりゆくけど俺の場合は何かが一貫してるような気がする。体重や体型は何も変わってなく別に努力もしてないけど意識の中では美学としてコントロールしてる部分があるんだろうけど、ある人に言われた「碓井君は最初にあった時から見た目全然変わってないもんね、何でかギターのヘッドは逆やし」俺は「変わりましたよ〜」というと「いやっ!それは美学がそうしてるんやろうし否定されると逆にムカつくんよね」、、、ほめ殺しである。ほめ殺しは時には村八分にも会う事も学習してるし逆にそれをぎゃふんと言わせるような活動や存在感や知名度もない事に愕然と自分自身落ち込む事も多かった。

今の俺が03年の俺を見ると眉間に皺が寄ってダメだって親指を下げてる、93年の俺を見ると眉間に皺が寄ってるけど頑張れ!って言いたい、やはり毎日は通り過ぎて行ってるだけだけど10年、1年、一ヶ月、一日、一時間、一分と何かと変化して行ってるんだって思う。でも俺の心の奥底の根底にあるのは86年の俺に言いたい!よくぞ家出した!そのときお前は野たれ死んでもいいつもりで最終列車に飛び乗って自分の生きる証や真の自分自身を探す決心だったんだろ!その時からこのレースは始まった。音楽やかっこいいもの美しいものに正直に惚れて右往左往しながらも自分自身を発見してそれが作品になり容姿になり選ぶ服になり髪型や言動になってないといけない。そう思うと最近の軽い繋がりに一々翻弄される事はないんじゃないか?って思うけど気になる事は気になるのでこれまた翻弄される、そんな人生だ。

恥ずかしいけどこんなタイトルでブログを書いたので写真を引っ張り出して来て何年頃か覚えてないけど若い順に並べてみた。

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ほんとたまたまセミやプロのカメラマンの知り合いが当時多く個展にも使ってもらったりで沢山写真が残ってる、最初の写真は25年前くらいではないだろうか?


今この生活に於いて意思は変わらず!髪も長い。しあわせなんだろうか?


posted by usui special at 01:49| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月08日

音も無く流れる雲のように。

秋は夕暮れ 夕日のさして山の端いとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり


台風が来てる。随分でかいやつだ、久しぶりにベランダのもの取り込んだりチャリも部屋へ避難させようと思ってる。小中学校も早くも休校が決まった、俺にとっては台風は通り過ぎて今は次のステップへの模索してる所だけど台風一過はまだ現れてない。理由を考える事を止めてその先に何があるのかもまだ分からないくらい自分自身を形成出来てないけど、そんな今の俺の心境は決していい事ではない事だけは分かってるけど、ingで繋がってる事にも真実や流れて行くんだろうなってことも予測してる冷めた自分がいる。台風は何か自然の記憶を俺たち人間に意味あって教えてくれてんじゃないかって気もする。今までの凄い台風、特に自分に被害があった時のやつは覚えてるから、それは自然が供えを教えてくれてんじゃないかって思ったりもする。ひどい被害を受けた地区や人には申し訳ないけど。

子供の頃から空を眺めるのが好きだった。この季節だと稲を刈った田んぼのほし草に寝っ転がり青空を全面にみて雲をいろんなものに例えて、ある時は青空が海に見え雲が島に見えたり、雲が恐竜やゴジラに見立てて空想してた。夜も今でも全面見えない狭いベランダでの夜空で月でも見えれば見とれてしまうし星もずっとみてしまう。空想好きは子供の頃はウルトラマンやゴジラがあの山から現れたらこれくらいの大きさだろうなとか、そんな事を空想しながら藁の上に寝そべり空想してた。それが今の作曲にも共通してる気がする、今は人の心の裏側と言うか深層心理(PINK FLOYDの影響だけど)HAPPYな表面だけの繋がりではないって言うテーマでIMAGINATION TRIPってテーマで作って来たけど今は違う所にいる気がする。アメリカのバンドKISSで音楽で目覚め気が付けば親子の縁も切るロクデナシになり今また独ぼっちで暮らしてる事にも意味はあるんだろうなって思う。

今月8年ぶりにTOKYOへ行ってくる。あまり行きたくないけど、けど最後に「ありがとうございます!」ってKISSに心で言いに行く。昔は友達がデビューしてた事もあって毎年一週間くらいTOKYOに行ってたけど俺にとっては合意的で早すぎて裏のありすぎる街、でなじめない。って街だけど最後だと思ってKISSの武道館は今後の自分の人生の分岐の日になるような気がする。でも確かにこの街から色んな事が最先端で発信されてる事は分かってる。TOKYO=東京、オリンピックも決まって活気づくだろう。福岡よりは全然音楽の進み方も違うと思う。そんな事よりも、空の様子が気になる。

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新幹線の車窓より飛行機雲か?


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ここにも。飛行機じゃないな?


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何だろう?


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秋は夕暮れ!素晴らしい色だ。音にも言葉にもできない色と空気感感動的である。


早く次の作曲の状態に心を持って行きたい。


posted by usui special at 03:25| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

激動の後の静寂と孤独のそのあと。

10月になった。ひと雨ごとに空気がきーんと張りつめて来た、ここ最近はツイッターばかりでブログの更新が出来てない。いや〜しかし去年の10月からは怒号の一年だった、これだけも色んな事がいっぺんに重なったのは人生初ではないだろうか?どれもこれも考えても答えがでない事ばかりで、ある意味今の自分の状態が答えな訳で、このペースだと後3年くらいで「そして誰もいなくなった」って換算になるけど、もう俺の人生何なんだなんて考える事にも飽きてしまった。MONSTERやJOKERが次々と、それはまるでGAMEのように送り込まれそれらに真正面から向き合い仲間を増やして旅を続けられず「バイバイ、さようなら」って言葉も無くすっと後ろを振り向き挨拶も無く何事もなかったかの様に消えて行くだけ。

そんなこんなの出来事を色々話して来た女性に言われた。「それは全てあなたのせい」俺のみてくれや雰囲気、真っ正面からよかれと思って接する言葉や態度が関わる人間をそうさせてしまう、だそうだ。その言葉を聞いて腹も立たなかった、それは俺は計算で生きてないからそんなみられ方がわからない。人によって接し方を変えてる訳でもない、客観的に考えても自分の親でさえ同じように背中を向けた事を考えると他人なんて当たり前なんだろうな。

考えてみると去年の秋から梅雨にかけて激動だった、いやこの秋めいた9月の終わりくらいまでは激動だった。精神は疲れ果てた、それらが落ち着いたのと同じタイミングで静寂と孤独がやって来た。押しつぶされそうな夜も何度も超えて来た、仕事も宙ぶらりんの事がいくつか継続中だ。けど不思議と腐る事無くエナジーやマグマや自信は消えてない!素直に人を好きになりたい、やさしくなりたい、誰かに甘えたい。そんな景色の変化も10月23日の武道館から何かが変わる気がする、いや変えて行く!自分のみてくれや価値観やこだわりはもう変えるわけにはいかないので、ムルソーは言った「それは太陽のせいだ」俺は言いたい「それは碓井のDNAのせいだ」

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久々に行った春吉の「花びし」のちゃんぽん、俺のベスト 1だけど、約一年ちょっとぶりに行った、と言っても年に二三度くらいしか行ってなかった、花びしのおばちゃんが初めて話しかけてくれた「随分久しぶりですね。」えっ!覚えてくれてるの?そうだ、俺は二三度行けば常連さんになるみたいだ、色んなお店で同じ経験をしてる、良い事なのか悪い事なのか分からない。


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真の出会いに気付くまで俺はちゃんと暮らして行く。


ブログでツイッターが見れるようにしようっておもってる。

posted by usui special at 00:58| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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