2015年06月11日

DOGDAY AFTERNOON は続いてる。

2007年にレコ発ソロコンやって、その時のDOGDAYsは巣立って行った。みんなTOKIOに居る。そして俺は今生活も変わってもがいてるのか?やり過ごしてるのかもしれない。今一度何故DOGDAY AFTERNOONってソロをやったのか考える、最高のPOP SONGを目指してたSTRINGS COMPANY時代のジレンマや尖ったロックンロールBANDをやってた若い頃の対峙、俺の音楽の生活に居座るものは何か?って事から始まった気がする。若い頃には分からなかったDOORSやジミヘンやPINKFLOYD、KISSのアメリカンな分かりやすいROCKとは別の心の闇や叫びに到達したALBUMが「媚薬」だった。なぜこのタイトルにしたかは憶えてないけどPOP SONGに対しての対峙の最高のタイトルだったかもしれない。こんなALBUM理解されるわけないと思いながらも、導かれるように曲が溢れて来た。仕事からの曲作りだったけど当時傾倒してた民族音楽やデジロックなどの表現だった気がする。某楽器店で再発してもらう時には2011年の第二弾の楽曲もボーナスCDR付きでネット販売してもらった。2011年に作った曲たちはまだ日の目をみていないけど「刹那」ってタイトルにしようって決めた。ダメな曲や追加したいイメージもあるからまだ出せてないけど、今の自分を織り込みたいって思ってる。

アーティスト写真も新たに撮ってもらったけど、何か歯車が合わない…何だろう?表現の具現性が自分自身噛み合わない、だからリリースしたくないって感じは分かる。時は過ぎて行ってる、細胞は死んでるシワも白髪も増えてくる、ことは分かってる。行きずりの恋にもあまりときめかなくなってしまってる、そんなDOGDAY AFTERNOONの真髄は死んじゃいない!2009年からやってるDOGDAY流、自分に関わる同じ液体が流れてるイベントは今年も11月にやるよ!


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DOGDAY流 2015.
posted by usui special at 01:36| 福岡 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
■1967年のThe Doors / Light My Fireは随分
流行ったので覚えてるよ。
あの頃は普通に洋楽がラジオで流れていて
今の女学生学芸会みたいな楽曲は誰も聴かないし
中学生はBeatlesやRolling Stonesの二派に分離
してPOPでもClassic基調のROCKやJAZZ思考のROCK
にはっきり別れていた。
ところでラリー・カールトンやアルディメオラに
興味ないですか?
Posted by まっく at 2015年06月16日 10:08
サマーオブラブやウッドストックやFENをリアルに多感なティーンの頃に体験した世代は羨ましく思う。自分が音楽に目覚めた頃にはバックするしかなかった、そんなギリギリの世代かもしれない。2.3学年したはもうブルーハーツやボウイなどのジャパニーズROCKが出て来て傾倒してた、もうクロスオーバーと言うジャンルはフュージョンって言葉に変わり進学クラスの連中はカシオペアや高中正義を最新の機材で演ってた。テクニックはうまかったけど心は動かなった。ラリーカールトンは仕事で有名な曲は演奏した事あるけど、傾倒はしなかった。何でだろう?やはりジェフベックやトミーボーリンの方がどこか毒がありROCKやブルージーを感じる。それもバックして聞いてたけど時代はハードロックに突入、影響は受けたけど、JAZZには一切行かなった、それはJAZZを演ってる人たちはROCKを見下してるような場面に沢山遭遇したから。それよりもエディーヘーゼルやスティーブクロッパーのグルーヴに感銘を受けたから。ギターはリズム楽器だと今だに思ってる。
Posted by usuispecial at 2015年06月16日 16:57
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