2013年10月29日

リスタートそしてTOKYO.

心の血液があるとするならば入れ替えたいってここ数ヶ月思ってた。考えてみれば身体の細胞も退化していくのならば心の細胞も退化してるんだろうか?意欲とか行動力は心の体力の方が強いと思うけど、恋をすれば一気に心は若返り道に咲く植栽でさえ普段は気が付かなかった感動を覚える。絶望って崖っぷちがあれば立ってみるといい、その下に見える恐怖を感じればいい、けど中々その崖っぷちまでは行かなくてやりすごしてると毎日は何事も無く通り過ぎて行くけど、逆の感動や歓喜や希望溢れる事の振り幅も狭い気がする。毎日は普段通りに訪れ去って行き何事も無くプロ野球の結果が気になりほろ酔いで気分よく床につく。そんな当たり前の毎日のプラスαがその人の心の血液を循環させてる気がする。音楽聞いて何か思ったり本読んで何か思ったり映画みて何か思ったり、その積み重ねがその人の人格を心から作ってる気がする。過去の賢者が言った言葉を代用して言うつもりはない自分の今の感覚で発信したいね、それが避難されても。今も過去の自分のアルバム「媚薬」をあえて聞きながら書いてる、それはあえてじゃなくそんな状況に今の心があるから、決して戒めでもなくおごりでもなく今の俺の心の状態で選択しただけ、でもそんな数年前の自分に接すると今の自分は色んな感情やダメ出しやエールなど心は躍動する。過去の自分を知る事で未来を創造出来る仕事はある意味感謝しないといけないのかもしれない。

TOKYOへ行って来た。8年ぶりだ、20代の頃は昔一緒にバンドやってた友がメジャーにいた事もあって年に一度は一週間くらい行ってたけど、ここHAKATAもTOKYOと変わらないくらいに何でもあるし都会になってしまった、ので高層ビル群をみて日本の中心なんだって思うくらいだけど「直結」具合はちがう成功すれば全国区になるのがやはりTOKYO。カルチャーショックはないけどこの場所で足跡を残す事は大変だなって事は20代の頃とは変わらなかった。今回の目的は前にも書いたけど音楽やギターに目覚めるきっかけになった「KISS」の武道館ライブを観に行く事だ、せっかく行くのだから誰かにアポとって観光してとかはいっさいしないで武道館と靖国神社だけが目的だった。ただ自分のソロプロジェクト「DOGDAY AFTERNOON」を手伝ってくれた若手ミュージシャンとは再会したいと思って渋谷で待ち合わせた、結論から言うとTOKYOの感じ方が変わってた(自分自身)何処に住んでようが最初に書いた日常の中でもがいてる、ただTOKYOはそれが全国区に直結してて、同じ吹きだまりであがくならばTOKYOの方が厳しくも正当に判断してくれると思った。そして俺の人生のリスタートがきれた気がする。心の血液に新たな息吹が吹き込まれた。

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飛行機は唯一地球を感じれると思う美しい。


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ベタに渋谷はハチ公前であえて待ち合わせ。


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DOGDAYSのJUMBOとKEISUKEとの再会といっても今年は博多で会ってる、でも俺からしたらDOGDAYS in 渋谷は不思議な気持ちだった。


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新宿の二泊したHOTEL


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いよいよKISSの武道館当日に俺にとっては早起きしてJUMBOの拠点の三茶でこれぞTOKYOという中華そばを食べてJUMBO宅へ。


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三茶にある忘れたけど高層ビルからの神奈川方面の風景。


それから武道館とその前にある靖国神社にJUMBOと行った。KISSの武道館ライブと同じくらいの位置で靖国神社に日本人として参拝するって目的があった。

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そのすぐ横にはこんな記念館もあるにびっくりした。

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特攻隊員たちが「靖国の桜の木で会おう!」ってた桜がこれじゃないかな?何か慎ましい気持ちになった。

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そして今回のTOKYOへわざわざ来た理由の本命は小学生の時に洗礼を受け今こうなってる事への感謝を込めて武道館へ!いろんな思いや自分の状況で四回は泣きそうになった。KISS @ BUDOKAN 23/10/2013.


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俺の人生を狂わせ、導いてくれたBAND very special THANKS .


何処で暮らそうが才能あふれてる人たちは沢山いると思う、ただTOKYOが色んな意味でそれに直結して早く事が進むってことも分かったし、それはある意味ドライにビジネスなんだなってことも感じた、逆にそれがビジネスなんだ。ビジネス?ロックはそれのせめぎ合いが何十年も続いてる。芸術や表現って何なんだろう?

そんな些細な毎日の事が刺激になり足を運んで心の血が出来て行ってる。

posted by usui special at 04:34| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月22日

いざ!TOKYO

明日の22日から3日間TOKYOへ行ってくる。約8年ぶりだ、8年前は友人の結婚式や従兄弟の所や富士山の麓に移り住んだSHAKEさんのところまで行って来た。もう8年も経つのか?その間にアルバム「媚薬」をつくりソロプロジェクトとしてDOGDAY AFTERNOONを若手と友にライブを成功出来た。そしてここ二年くらいの表現の「刹那」に取り組んでる時に新生活がはじまり頓挫したままになってる、けど今回のTOKYOへ行く目的、このブログを覗いてくれてる人たちは知ってると思うけど、KISSと言うアメリカのBANDで音楽に目覚めGUITARを手にし今だに音楽で暮らして行ってる。あの頃からの俺からは想像もできない現在だと思うし、またまだまだ進化の余地や表現したいとかアーティストとして深めたい事で毎日が回ってる事に色んな人に感謝だ。求められるからGUITARを弾く、求められるから曲を作る、求められるから写真の被写体になる。凄く幸せな事だけど平凡なサラリーの方が当たり前に家族が増えて行き車が大きくなり平凡な毎日をKEEPするために何かを削ってるんだろうけど安定と言う代償を受ける、今はそんな昔のような生涯勤務伝説も無くなって大変なんだろうけど。

波瀾万丈じゃないと曲も出来ないし被写体になれるような雰囲気も出来ないんだろう、だから今の暮しの状態があるんだってあらためて思うけど、振り出しに戻るだけど、確実に心や技術や振る舞いや判断は成長してる気がする今後も突き進むしかない!研ぎすまされてく嗅覚とセンスと技術で!そんなKISSも高齢になりメインの二人は60超え、あのステージングが良く出来るなって思うけど多分最後だと思うので「ありがとうございました」って心で言ってくる「あなた達の存在で自分の人生や今の暮しがあります」って武道館で言ってくる。武道館でみるのは二度目だけど、やっぱ武道館ってのも感慨深い。

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TOKYOは盛り上がってそうだ。


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個人的にはあの日から16年が過ぎた。


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おとまりセット!女か!準備万端。


色んな思いを胸に!取りあえず明日は渋谷で20時だ!



posted by usui special at 00:09| 福岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月16日

少しかすんでた満天の星空。

ケータイが鳴った、今の時代大切な用件もメールで済ませLINEなんかで軽く言いたい事を言って楽しむツールで無料電話機能難を搭載してるアプリでつながってるからあまり電話として携帯が鳴る事は少なくなった。ので俺も起きたてだったので寝ぼけ眼でケータイを見ると登録されてない番号が表示されてた。セールスか?って羅列してる数字を眺めた、ん?二度見した。そこには見覚えのある数字が並んでた、「実家!」まぎれも無く二十歳で家出するまで過ごし10年前親子縁を完全に切ってしまった「実家」の番号が表示されてる。動揺した、その時は心のちっぽけな俺は出る事は出来なかった、けど動揺は続いた。結構長くコールは続いたが出る勇気はなかった、もう十年もお互い連絡も取り合ってなくお互い縁をきった親父とおかんのいる家の電話番号。それから落ち着かせる為にベランダで二度タバコを燻らせたコーヒーも入れ直して色んな考えが頭をよぎった、高齢の親父とおかん。まさか、、、、その間30分考えこれは今のお互いの立場や状況や見栄やプライドではなくコールバックしないといけないんじゃないか、いち人として。

意を決してコールバックした。聞き覚えのあるおかんの声が、約10年ぶりである「ゆうちゃん?嫌、実は、、、」その先は聞きたくなかったけど「うん」「元気しちょるん?」俺は「うん」。要するに内容は自分たちも高齢になり財産分与の事なんかをちゃんと話しあいたいとの事だった、俺は「俺にはそんな資格はない」と色々押し問答があり俺は「親父に変わって」そして親父とあ〜でもないこ〜でもないと10年前と何も変わらない親子であっても男同士のプライドがぶつかりあう。そして今の俺の新生活、一人のボッチ新生活の事を俺の従兄弟に聞いたと言われた。遺産相続を俺が拒否する事もそれはそれで容認した、大した遺産でもない事も言ってたけど、そうなれば小さな駅前の土地は街のものになるけど俺が拒めばそれはそれで承諾するだの、俺の実印が必要だの、何が必要だの実務的な話になってきた。それからはそれ以前の10年間のお互いの思いや今の俺の暮しや俺の価値観「碓井」への想い、以前綴った「ばぁちゃん」への思いやサインなんかを話してたら時間を忘れ一時間くらい話してた。

そこでふと俺は何かに導かれるように今日は休みだし明日は小倉で仕事だから「じゃあ今から帰るよ、18時か19時くらいには着くと思う」で電話を切った。それから俺は簡単な身支度を済ませ何も心の準備が出来てなかったけど無意識に阪急の地下で焼酎と有名なバームクーヘンを無意識に買い新幹線のホームに立ってた、三連休の最終日でホームはごった返してたけど、心は無の状態で今からの状況がいいのか悪いのかも分からず、気が付いたら玄関のチャイムを鳴らしてた、このチャイムにも色んな思い出が詰まってる、高校生の時に閉め出された時にこのチャイムを鳴らした、反応が無く庭の方に行くと俺の部屋が引っ越した後の様に何も無くなってた光景を思い出す、反応が遅い、、、すると勝手口のほうが空き「ゆうちゃんかい?」とおかんが現れ勝手口の方へ促された。10年ぶりの再会に俺は緊張してた、変わりない勝手口で靴を脱ぎ「ただいま」おやじは「おう」何事もなかったかのように晩飯の準備を始めるおかん「いつもはねぇもう17時くらいに食べるんやけどあんたが来るっちゅうけね待っちょうたんよ」とあの頃と変わらない台所で料理を始めるおかん「ビールは外の冷蔵庫に入っちょるけね〜」たしか親父は身体を壊して療養中だと従兄弟に聞いてた「親父飲む?」「おう、ちいさいの貰おうかのぉ」

俺はまずは仏壇に線香とバームクーヘンを備えたかった。仏壇にお供え物を起きローソクに火をつけて線香に火を灯しまいった。そして何事もなかったかの様に飯を食いおかんは俺の子供の頃の話を笑顔ではなし「あんたこうやったきね〜」遺産相続の話も何も出ず俺に今の状態に至るまでの話を聞いてた。結局俺だけ阪急で買ったちょっと高めな焼酎をのみ昔話に花が咲いた、けど俺の心は不安定だった、実の母親にあった事、従兄弟の事、今の俺の生活の状態になったこと、俺が思う全て俺が一才半で無くなったばぁちゃんが全てしむけてる事、虹になった少年と俺との人生の事なんかを話した。俺の10年前の気持ちも伝えたし親父の気持ちも聞いた、「おやじ、明日墓参り三人で行こうや」って俺が切り出した。結論から言うと俺はばぁちゃんが碓井の自分の息子含め孫を全て取りまとめてる気がした、いまはそんな何十年も不義理して来た息子達を偶然にも集めて同じお墓にこの1、2年で入ってる、東京や静岡や色んなとこからこの場所に帰らせてる気がした。俺はそんなばぁちゃんからすれば長男の子だ、これもきっと去年の墓参りから続くばぁちゃんのいい意味での策略何だろうって気がした。

気が付けばいつもは21時には寝てるおやじとおかんは0時を過ぎてた。俺はその日なにかまだ急に俺が帰って来た事の心の落としどころが見つからず結局布団に入ったものの寝れなかった、いつかまた同じ事を繰り返し親父達の考えに反旗をひるがえし、お互いにプライドかざし俺の心は窮屈になり何であのとき帰ってしまったんだろうって事を盾に取られ同じ事を繰り返すんではないだろうか?とか、この何十年も培って来た色んな事を思い出して寝れなかった。次の朝に俺からしたら早朝の9時には起き出した。親父には正直な今の俺の心の状態は話しておきたかった「今の生活になってまだ自分のペースも出来てないし押しつぶされそうな夜」「今日帰って来た事のこの10年のお互いの思いや事が心の整理も出来てない事」「けど電話もらって今日帰らないと、無視する事も出来たけど今時の俺の周りの一連の繋がりにうんざりしてた事とかも実はここにあって、良い事なのか失礼な事何かも心の整理がつかずに、これで帰らないともう帰るタイミングはないんじゃないかと思い帰って来たし一連の全てばぁちゃんがしむけて「碓井」をまとめてる」そんな事も話して午前中に墓参りに行った。当初かぁちゃんは遠慮してたけどおやじが促して小雨の中三人でお墓参りをした。ばぁちゃん凄いって思った。

15時代の電車で仕事に小倉へ向かう事を告げると墓参りの後帰って来て三人で昼飯を食べながらマカロニウエスタンの映画をみた。そうだ今だに親父は映画好きでWOWOWにも入ってる、おかんのみそ汁を10年ぶりくらいに味わった、あの頃と同じ味がしたけどおやじは文句をいってたけど心のこもった味だった。相変わらずおやじの前に登場する時は今だに俺は気にする事がある。目は死んでないか?ファションセンスはだ丈夫か?親父をうならせる容姿や表情をしてるか?ファションは足元からのセンスにみあった靴履いてるか?そんな親父の友達が俺をネットでみつけたらしい、って話になった時に俺のみんながみてるブログのアーティスト写真を見せて「これのこと?」って言ったらおやじは「おお、これはいい写真や現像しておくってくれ」って言われた。俺はただ照れるしかなかったけど。

時間が来た、この一日、一晩の事の終わりだ。この10年の空白やお互いの今の状態、駅まで車で送ってくれるって言って準備を始めたおやじの目を盗んでおかんが俺に綺麗に四つ折りされたお札を握らせる、俺はもういい年のおっさんである「いいよっいらん」、「ちゃんとおいしい晩ご飯食べなさい」、それから車の助手席に乗り込んでバックで15メートルくらい敷地内を下がるんだけど、今までは「じゃあおかんも健康でね!」なんて勝手口のなかで別れてたのが今回は表まで出て来てバックする間ずっと、それは小さい子供の今後を心配するかのような母親の顔でずっとバックする車の俺たちをみてる、初めての事だそんな顔。フロントガラス越しにあの頃から10年ふけたおかんが心配そうな何とも言えない表情でずっとみてる、俺は手を振った、手をふりかえすおかん、その表情は何とも言えずまた俺は手を振った、また手を振るおかん、結局三回手を振ったけど今までみた事のない心配そうなおかんの顔、今思い返すだけでも何の飾りや計算もない女のそれは美しい立ち姿と表情だった。

駅に着いた。駅前の自分たちの土地をみて説明されたけど境界線だのなんだの話半分くらいおかんの残像が残ってた、ロータリーでシートベルトを外すとおやじが「さみしくて辛い時にはいつでもちょっとでも帰ってこい、せっかく親子で生まれて来ていがみ合ってどうするかちゃ、金が無くなったらおかあさんに電話して助けてもらえ」

俺が今回一人になって新生活を送ってる事に対して、またこんな仕事してる事に対しても昔みたいに上から認めないおやじとおかんではなかった、アーティスト写真と一緒にCDも送ろうって決めた。車の中では我慢出来たけど、小さな変わってしまった駅のホームではおかんのさっきの顔とおやじの言葉に最近コンクリートでぬり固めていた心の部分が壊れて涙が止まらなかった。

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到着した時の夜の始まりの風景。


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昔は毎日通ってた線路の下の小さなトンネル。


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帰る時の反対側のホームと列車。


夜、庭でタバコを燻らせてるときみた満天の星空は俺だけかすんで見えたのかもしれない。


posted by usui special at 04:43| 福岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月12日

10 年の彼方へ

86年の俺が今の俺をみたらきっと片目をつぶって笑いながら親指を上に立ててくれるだろう、86年の俺が96年の俺をみたら笑顔で片目をつぶり両親指を立ててくれるだろう、86年の俺が06年の俺をみたら涙を浮かべた顔で片目をつぶり親指を立ててくれるだろう。それくらい10年はあっという間で色んな事があるけど振り返ると様々な事が実はあっており、顔つきも変わり状況も変わりゆくけど俺の場合は何かが一貫してるような気がする。体重や体型は何も変わってなく別に努力もしてないけど意識の中では美学としてコントロールしてる部分があるんだろうけど、ある人に言われた「碓井君は最初にあった時から見た目全然変わってないもんね、何でかギターのヘッドは逆やし」俺は「変わりましたよ〜」というと「いやっ!それは美学がそうしてるんやろうし否定されると逆にムカつくんよね」、、、ほめ殺しである。ほめ殺しは時には村八分にも会う事も学習してるし逆にそれをぎゃふんと言わせるような活動や存在感や知名度もない事に愕然と自分自身落ち込む事も多かった。

今の俺が03年の俺を見ると眉間に皺が寄ってダメだって親指を下げてる、93年の俺を見ると眉間に皺が寄ってるけど頑張れ!って言いたい、やはり毎日は通り過ぎて行ってるだけだけど10年、1年、一ヶ月、一日、一時間、一分と何かと変化して行ってるんだって思う。でも俺の心の奥底の根底にあるのは86年の俺に言いたい!よくぞ家出した!そのときお前は野たれ死んでもいいつもりで最終列車に飛び乗って自分の生きる証や真の自分自身を探す決心だったんだろ!その時からこのレースは始まった。音楽やかっこいいもの美しいものに正直に惚れて右往左往しながらも自分自身を発見してそれが作品になり容姿になり選ぶ服になり髪型や言動になってないといけない。そう思うと最近の軽い繋がりに一々翻弄される事はないんじゃないか?って思うけど気になる事は気になるのでこれまた翻弄される、そんな人生だ。

恥ずかしいけどこんなタイトルでブログを書いたので写真を引っ張り出して来て何年頃か覚えてないけど若い順に並べてみた。

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ほんとたまたまセミやプロのカメラマンの知り合いが当時多く個展にも使ってもらったりで沢山写真が残ってる、最初の写真は25年前くらいではないだろうか?


今この生活に於いて意思は変わらず!髪も長い。しあわせなんだろうか?


posted by usui special at 01:49| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月08日

音も無く流れる雲のように。

秋は夕暮れ 夕日のさして山の端いとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて三つ四つ、二つ三つなど飛びいそぐさへあはれなり


台風が来てる。随分でかいやつだ、久しぶりにベランダのもの取り込んだりチャリも部屋へ避難させようと思ってる。小中学校も早くも休校が決まった、俺にとっては台風は通り過ぎて今は次のステップへの模索してる所だけど台風一過はまだ現れてない。理由を考える事を止めてその先に何があるのかもまだ分からないくらい自分自身を形成出来てないけど、そんな今の俺の心境は決していい事ではない事だけは分かってるけど、ingで繋がってる事にも真実や流れて行くんだろうなってことも予測してる冷めた自分がいる。台風は何か自然の記憶を俺たち人間に意味あって教えてくれてんじゃないかって気もする。今までの凄い台風、特に自分に被害があった時のやつは覚えてるから、それは自然が供えを教えてくれてんじゃないかって思ったりもする。ひどい被害を受けた地区や人には申し訳ないけど。

子供の頃から空を眺めるのが好きだった。この季節だと稲を刈った田んぼのほし草に寝っ転がり青空を全面にみて雲をいろんなものに例えて、ある時は青空が海に見え雲が島に見えたり、雲が恐竜やゴジラに見立てて空想してた。夜も今でも全面見えない狭いベランダでの夜空で月でも見えれば見とれてしまうし星もずっとみてしまう。空想好きは子供の頃はウルトラマンやゴジラがあの山から現れたらこれくらいの大きさだろうなとか、そんな事を空想しながら藁の上に寝そべり空想してた。それが今の作曲にも共通してる気がする、今は人の心の裏側と言うか深層心理(PINK FLOYDの影響だけど)HAPPYな表面だけの繋がりではないって言うテーマでIMAGINATION TRIPってテーマで作って来たけど今は違う所にいる気がする。アメリカのバンドKISSで音楽で目覚め気が付けば親子の縁も切るロクデナシになり今また独ぼっちで暮らしてる事にも意味はあるんだろうなって思う。

今月8年ぶりにTOKYOへ行ってくる。あまり行きたくないけど、けど最後に「ありがとうございます!」ってKISSに心で言いに行く。昔は友達がデビューしてた事もあって毎年一週間くらいTOKYOに行ってたけど俺にとっては合意的で早すぎて裏のありすぎる街、でなじめない。って街だけど最後だと思ってKISSの武道館は今後の自分の人生の分岐の日になるような気がする。でも確かにこの街から色んな事が最先端で発信されてる事は分かってる。TOKYO=東京、オリンピックも決まって活気づくだろう。福岡よりは全然音楽の進み方も違うと思う。そんな事よりも、空の様子が気になる。

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新幹線の車窓より飛行機雲か?


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ここにも。飛行機じゃないな?


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何だろう?


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秋は夕暮れ!素晴らしい色だ。音にも言葉にもできない色と空気感感動的である。


早く次の作曲の状態に心を持って行きたい。


posted by usui special at 03:25| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月05日

激動の後の静寂と孤独のそのあと。

10月になった。ひと雨ごとに空気がきーんと張りつめて来た、ここ最近はツイッターばかりでブログの更新が出来てない。いや〜しかし去年の10月からは怒号の一年だった、これだけも色んな事がいっぺんに重なったのは人生初ではないだろうか?どれもこれも考えても答えがでない事ばかりで、ある意味今の自分の状態が答えな訳で、このペースだと後3年くらいで「そして誰もいなくなった」って換算になるけど、もう俺の人生何なんだなんて考える事にも飽きてしまった。MONSTERやJOKERが次々と、それはまるでGAMEのように送り込まれそれらに真正面から向き合い仲間を増やして旅を続けられず「バイバイ、さようなら」って言葉も無くすっと後ろを振り向き挨拶も無く何事もなかったかの様に消えて行くだけ。

そんなこんなの出来事を色々話して来た女性に言われた。「それは全てあなたのせい」俺のみてくれや雰囲気、真っ正面からよかれと思って接する言葉や態度が関わる人間をそうさせてしまう、だそうだ。その言葉を聞いて腹も立たなかった、それは俺は計算で生きてないからそんなみられ方がわからない。人によって接し方を変えてる訳でもない、客観的に考えても自分の親でさえ同じように背中を向けた事を考えると他人なんて当たり前なんだろうな。

考えてみると去年の秋から梅雨にかけて激動だった、いやこの秋めいた9月の終わりくらいまでは激動だった。精神は疲れ果てた、それらが落ち着いたのと同じタイミングで静寂と孤独がやって来た。押しつぶされそうな夜も何度も超えて来た、仕事も宙ぶらりんの事がいくつか継続中だ。けど不思議と腐る事無くエナジーやマグマや自信は消えてない!素直に人を好きになりたい、やさしくなりたい、誰かに甘えたい。そんな景色の変化も10月23日の武道館から何かが変わる気がする、いや変えて行く!自分のみてくれや価値観やこだわりはもう変えるわけにはいかないので、ムルソーは言った「それは太陽のせいだ」俺は言いたい「それは碓井のDNAのせいだ」

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久々に行った春吉の「花びし」のちゃんぽん、俺のベスト 1だけど、約一年ちょっとぶりに行った、と言っても年に二三度くらいしか行ってなかった、花びしのおばちゃんが初めて話しかけてくれた「随分久しぶりですね。」えっ!覚えてくれてるの?そうだ、俺は二三度行けば常連さんになるみたいだ、色んなお店で同じ経験をしてる、良い事なのか悪い事なのか分からない。


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真の出会いに気付くまで俺はちゃんと暮らして行く。


ブログでツイッターが見れるようにしようっておもってる。

posted by usui special at 00:58| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月26日

Johnny

誰かの為に働き、誰かの為に社会に適合する事から、自分の為に色んな事を考え今後の計画を立て食べたいものを買い明日の予定を立てる、二日も休みが続くと言葉を発する事も無く全て自分の為に時間や腹の具合を探る。そんな生活も三ヶ月が過ぎた、だいぶんペースや金銭感覚や時間の使い方もあの頃みたいに戻って来た。またA型が炸裂してるのも若い頃とは違う気がする、けどO,AのA型なので乱雑してるとこはある侘しさに押しつぶされそうな夜もあるのでまだまだ感覚は戻ってない感じである。

今から15年以上前にジュエリーのデザイナーのJohnny(日本人)を元ROCKERSの鶴川さんに紹介された。Johnnyは会社JEWEL STUDIOの社長で当時鶴川さんはその会社で働いてた。「うちの社長がギター習いたいって言ってるんで碓井君教えちゃらん?」ってTELがあった。それからの付き合いで今はもうレッスンはしてないけど彼の作品の紹介映像のバックの作曲の依頼や年に何回かは中洲でロックサミットと題してお付き合いさせてもらってる、音楽やロックには凄く精通しててこだわりも凄い。最初に作曲の依頼を受けた時にはJohnnyの作品に負けないインパクトとロックに精通してる彼の感性を納得させる自信はなかった、それくらいイタリアのVOGUE誌にも紹介されたくらいの彼の作品は素晴らしく俺ら庶民が簡単に買えるような金額でもなく、すべて車が買えるような金額の作品だ。けど挑戦だったけど、それがアルバム「媚薬」の曲達だけどお代だけ出され全て俺の感性に任された、そのお代が「インドのジプシー」?当時の俺は民族音楽やシャケさんに教えてもらった12弦ギターの民族音楽っぽいチューニングに傾倒してたので「やれる!」って思ってその仕事を受けた。それが確か2005年だったと思う、結局その依頼がなかったらソロプロジェクトのDOGDAY AFTERNOONもアルバム「媚薬」も出来てなかったと思う。

その後も年に何度かは気にかけてもらいロックサミットは行われてたけど、Johnnyは拠点を東京に移した。銀座のサロンと博多のサロンを行き来するようになった。それから震災のあった2011年の4月に彼の作品の年代別の作品紹介Vのバックミュージックの依頼を受けた、全十曲の依頼とJohnnyの全作品の資料のもと一年かかって作曲からREC、プレゼン、OKならばマスタリングで作ったのが通販限定で「媚薬」の再発のボーナスCDRとして全てではないけどばらしてつけた。その曲達は完成系は全十曲フルであるので、それを二枚目のアルバムとして漢字シリーズとして「刹那」を作ってる途中でリマスタリングやリミックスの途中で今の新生活になったので、頓挫したままだ。Johnnyはクラシックロックに精通していて特にギタリストには詳しくジミヘンやジミーペイジ、デビットギルモアなんかが好きだし俺もそこら辺はかなり影響受けてるので、自分の個性やJohnnyの好みにあわせて作曲した気がする。全十曲一年かかったけどプレゼンも全て一発OKだったことが自信にも繋がった、十曲もあれば仕事なので産みの苦しみもあったけど9曲目に出来たアルバムのタイトルにしようと思ってる曲をプレゼンした時に「この曲最高です!」って言葉をもらった時には心から嬉しかった。「刹那」は写真とコラボして絶対作りたいって思ってる、Johnnyの世界観から俺のフィルターを通って写真とコラボってアイデアが生まれた。それは動き出してる所だけど俺が新生活になったのでもう少し整ってから制作して完成させるよ!絶対。

新生活になってそんなJohnnyは気にかけてくれてロックサミットが行われた。俺はストレスも含めて飲み過ぎて家と全然違う場所で朝を迎えた、何でこんな所にいるんだって?でも身体がまだ動かないってやっとの思いでタクシーを拾って家路についた。初めての事だったので精神が普通じゃないって事も久々に感じる事が出来た。Johnnyから久々メールが来た、絵を送りたいって内容のメールだった。絵なんて人からプレゼントされた事がなかったけど、たぶん新生活への俺へのJohnnyなりのエールだと思った。アメリカのポップアートのデザイナーのドナルドトップの作品を頂いた。佐川急便が届き梱包を開けた瞬間、、、、なんでか涙があふれてこぼれた、意味は分からないけど、そこにはJohnnyの思いやセンスや色んなものや今後の自分の指南や愛情が溢れてた。やはりセンスやほんとの意味の付き合いや思いやりは共通してる気がする、それはJohnnyやシャケさんに共通してる本音や余裕や本当の言葉を感じる。成功してる人いや違うな成功した人って言うと軽いけど俺なりに学んだし、感覚がフラットで本音だ。心をふるわせてくれる、心をふるわせる事さえも気が付かない時代になってしまったけど。

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ジミーペイジがかっこ良くデザインされてる、Johnnyの気持ちに涙がでた。



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10月はTOKIOに行ってくる、凄く洗練される年になった2013である。


そんなに大事な人とは出会えない事に気付いてるんだろうか?若い連中は。

posted by usui special at 03:30| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

感覚とコンタクト

毎日何かを噛み砕き何かを模索し雲の様に自由にゆっくり浮遊してるようだ。逃げずに自分自身と対峙して本当の自分の心の奥底を模索してる、心のシャッターはまだ閉じたままだけど紛らす事はなぜかしたくないって思う、何故俺はこの場所に戻って来たのか?とか今の俺はある意味精神異常だとおもうけど、客観的に精神異常だって言えるうちは精神異常じゃないんだなって思ったりする。本当の意味で誰かに愛されたいって思ってるわりにシャッターはおろしてるんだから愛されるはずもない。かといって自分から人を愛することはどこかで出来ず、真理が見えなく見せなくなってしまったこの時代はもううんざりしてる自分がいるから俺は今の時代の世捨て人になってしまってる。

タバコはソフトパックに限る、ビニールをはがして必要な5本程度が姿を表す銀色の紙をむしる。ボックスよりは湿気を最小限に抑えてくれる、そして本数が減ってくると箱をくしゃってして湿気が入らないように潰す。メントールは天然物に限る、そしてちゃんとタバコの味とメントールの具合も大事である。メントールは強すぎても嫌だ、フィルター部分は茶色がいい、昔観た映画で出てくるタバコはみんな茶色だった。そんな四の五の並べて色んな事の判断してる事とかを考える。そんな事が自分自身を作ってるしそんな感覚は大丈夫なんだろうか?そんな俺はKOOL mild から新生活になってからはマイルドじゃねぇ〜だろって急に思い立ちKOOLに変えた。別に深い理由はない、ただの今の感覚だ。ツイッターをはじめたのもその時の感覚だ。意味も自分でも分からないけど、曲を作る感覚と同じかもしれない。そんな俺を今はまだ自分自身愛せない、ダメだって思う毎日である。

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1987年に南阿蘇のアスペクタで行われた伝説のROCKイベント「BEAT CHILD」がこの10月に映画で蘇る。当時のそうそうたるバンドが出てる凄いメンツだ俺は行きたかったけど、何でか覚えてないけど行ってない。けどその後に直接シャケさんから色々話はきいた、映画は観に行きたいと思ってる。
BEAT CHILD 公式 HP : http://www.beatchild.jp/intro.html


論理ではなく感覚で生きて行きたい、敵を作ってでも。


時々 今の俺から逃げ出したい時がある
ほんの数秒前の俺に 後悔している
情けないほど 嫌気がさして こぶしを振り上げ
バカげてたなと ひとり はにかみ笑っちまってる

裸になれないもどかしさは俺も同じさ
大人になると人恋しく涙が出ちゃう
やっぱり やっぱり やっぱり 俺もひとりぼっちさ
やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

心の中では凍りつくような寒さが走る
誰かにそっと差しのべて欲しい弱さもある
そいつを手のひらにのせて痛いと泣きわめくより
そんな時こそ一心不乱にやっちまえよ

しょいこんだため息は奴らと対等さ
大人になるとわけもないのに涙が出ちゃう

やっぱり やっぱり やっぱり 俺もひとりぼっちさ
やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

どん底の恥もたくさんあれば うぬぼれもある
矛盾もあれば 勝手さもある 人間だもの
友達や女が泣いて この俺を責めても
涙のわけをわかりたくない わがままさがある

自信がないのは誰でも同じさ
大人になるとささいな事で涙が出ちゃう

やっぱり やっぱり やっぱり 俺もひとりぼっちさ
やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

やっぱり やっぱり やっぱり あんたもひとりぼっちかい?

作詞:長渕剛
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2013年09月19日

風がからみつく

何度目だろう?独りぼっちは。家を飛び出してもまだ同じ事の繰り返し、親父が33才母親が21才で俺は生まれた。今で言う出来ちゃった婚だ、俺が一才の時に離婚して3才まで親父の同僚の夫婦に再婚するまで預けられた。誰が親なのか誰に甘えていいのか分からないまま再婚した継母との家へ連れ返され記憶にはないけど母親だと思って暮らしてた。親父と継母の間に俺が6才の時に弟が出来た、「親志」ちかしと名付けられた腹違いの弟は重度の脳性麻痺で生まれて来た。自分で何も出来ない、食事も言葉も腕にとまった蚊でさえもはらえない状態だ。そこからはこのブログでも書いて来たように、その家では俺は全然だめな子で弟中心の暮しだった。俺は言いたい事やわがままは一切言えないって子供ながらに感じてた、中学生のときに弟の事を作文に書きそれをクラスの全員の前で先生に読まれそれから同級生に気を使われてからは自分からは言わなくなった。俺は親志が大好きだった、ぐずついてる時はそれをほぐす方法も心得ていて話した事はないけど心は通じ合ってたと思うしいつも状態で心を探ってた。何を求めてるのか?どうすれば彼は機嫌が良くなってくれるのか?何に対して不満なのか?いつも探ってた。じゃないと継母の機嫌を損ねると弟への暴力がはじまるから。暴力っていうとひどいけど継母も一人間だからぐずついてる実の息子に腹もたち手を上げてたんだろう、けど俺はそれが耐えられなかった。けど俺は何も彼を助けてあげる事はできなかった、、、。

そこから20才で俺は逃げ出してしまった。大学を辞め、のって来たバンドも辞め、弟中心の自分から俺の自分自身は何だろうって逃亡をした。ここまで読むとなんて冷血人間だ!って思うだろう、そうだ俺は冷血人間だから、今はまた独ぼっちなんだって思う。99年に彼は亡くなった。限界だったし彼自身も辛かったろう、そこから俺は虹になった少年と題して彼が男として経験出来なかった事や酒やタバコや女も知らない事を彼の人生と友に二倍生きて行こうと決めた。彼には申し訳ないと思ってる、逃げ出したんだから。今また独ぼっちになってもこれも何か彼からのメッセージであって、この寂しさも意味のあるものだと思うし俺の人生は俺だけのものでもないっておもうから「虹になった少年」に色々見せないといけないと思ってる。彼の為にもやんちゃはするけどちゃんと暮らして行く。

風がからみつく.jpg

今夜はカレーうどんだけどサラダとスープも欠かさず!


色んな事があるけど振り返ると風が吹いてるだけ、って思う。今の今日を大事にしたいね!
posted by usui special at 02:52| 福岡 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

失格。


自分の言いたいことを私は何も言わない
自分のやりたいことを私は何もできない
自分の為に泣いても人の為には泣けない
主義・主張を叫んで外を歩く勇気なんかない
ひねもすベッドに寝てるのは病人か赤ん坊
何もかもが嫌になるにはまだまだ若すぎる
誰かの喋る言葉で心なんて弾まない
明るく元気だけが取り柄の女にはなれない
他人の視線ばかり気にしてる人を認めない
社長の意見は必ずしも正しく思えない
月夜にいつも女はキスを待ってる訳じゃない
安いベッドは軋む音がうるさくて気が滅入る
愛してないのに抱かれ他の人を夢見てる
パチンと弾けて落ちたピンクのバラの花びら

一番大切なものはこの貧欲な私
一番厄介なのもそうデタラメな私
好きな人に他に守るものあっても構わない
だけどひとり夜の渋谷で待つのは好きじゃない
梅田 なんば 心斎橋 元町 西ノ宮
あんなに好きだった街ももうとっくに忘れた
チャカ・カーンを気取って歌ってた “Whatcha gonna do for me"
意味も知らずに涙を流した “Whatcha gonna do for me"
沖縄にも住んだことがあると自慢気に話す
強い日差しが残したものは顔中のソバカス
傷ついた傷つけられたと騒いで憂さ晴らし
失恋した友達慰めどこかホッとしてる
あなたは失格! そうはっきり言われたい
生きる資格がないなんて憧れてた生き方
あぁ 赤い夕焼けの町で小さな体を丸めて
叱られても 恥を重ねても まっすぐ歩いていたのに

眠れずにテレビをつけ煙草を吸えばやるせない
ひどい仕打ちに泣いたとしても夜はゲラゲラテレビ漬け
趣味は何ですかと聞かれて旅行などと答え
外国にも何度かなんて格好つけて見せる
姑息な笑顔浮かべて指先を噛んでいたい
約束を踏み付けても粋な女気取りたい
車にはねられた人を見過ごしたことがあるかい ?
ふしあわせな人を見て笑ったことがないかい ?
父親な若い女いても私は構わない
母親に別の許婚の話を聞きたい
もっときれいになってもっと上手に遊びたい
もっとまじめになってもっとたくさん学びたい
たったこれっぽっちの生きざまをひとり振り返り
四の五の理屈を言ってる私を愛したい


Lyrics by 橘いずみ


新生活になって忘れてた事を思い出した。二日も休みだと約60時間くらい言葉を発しない事が当たり前が訪れる。7、8月は精神が疲れてたから、そんな事気が付かなかったけど、、、。若い頃は平気でそんな時は友達や女達に助けられて迷惑も沢山かけて来たけど、もうそんな年でもないし友達も多い方でもなく甘えられる人もいる訳でもない。俺はそんなときになじみの店に紛らわす為に一人で飲みに行ったりもしない。そこでこの度Twitterを始めた。ほんとのただのつぶやき、フォローや返信なんか期待してる訳ではない、ただこのブログでの戯言の日常番で感じた事や起こった事をつぶやいてるよ。このブログには掲載してない写真とか、その瞬間の思いや出来事をつぶやこうって思ってる。Twitterやってる人は「usui special」で検索してみてね。

失格。01.jpg

KISS@BUDOUKANのチケットが届いた、むちゃくちゃいい席ではないけど全体を観やすそうだ


そう今の俺は失格だけど本音をつぶやくよ。
posted by usui special at 23:07| 福岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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